Flying Lotus - Flamagra: ジャズのエンゼル、集めてもらおう!おもちゃのビンヅメ地獄! (2019年間ベストアルバム26位)

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2019年ベストアルバム3: 50位〜26位

この00年代から孤高に先端を走り続けてきたLAのビートメイカーにとって、本作はひとつの転換点となるアルバムだろう。本作でFlying Lotusを初めて聴いた者には驚かれるかもしれないが、これは随分と軽やかで風通しが良くなったと言えるアルバムだ。

Alice Coltrane LP

John ColtraneのパートナーAliceを叔母に持ち、最初期作『Reset EP』のジャケも宇宙を思わせるデザイン、と、ジャズと宇宙を結びつける…叔母アリスのほかSun RaAlbart Aylerフリー・ジャズからスピリチュアル・ジャズと呼ばれる範囲のアーティスト達の表現に対する関心は初期において既に示されていた。

が、その表現の解像度が変わったあるいはヒップホップの定型をよりはみ出す事に躊躇が無くなり、決定的にそういった影響を表面化させてきたのは、RadioheadのThom Yorkeを招いた点も話題になった2nd『Cosmogramma』からであると見て良いだろう。
そして時期を追うほど自らのジャズ理解も深め、またちょうど時期を近くして台頭してきたRobert Glasperらがジャズという音楽を再びエッジーなフィールドに乗せた事もあり、その盛り上がりや音楽性の進化も貪欲に取り入れ、前作『You’re Dead!』に至っては”ヒップホップビートメイカーがジャズ的な表現に挑戦した”のか、”ジャズミュージシャンがヒップホップ的感覚を大胆に導入した”のかわからないほどに達していた。

もう一つ重要なのは、曲名から明白であったり時にCaptain Murphyと名乗るペルソナでの自身のラップのリリックにおいて表明されてきた、ドラッグへの言及、つまり音楽性としてもサイケデリアを備える事の重要性だ。
しかもFlyLoはドラッグやサイケデリアを享楽的なものとして扱うよりは、内省、インナートリップに至る一つのツールとして表現していた。この点に関しても始点は『Cosmogramma』にあり、ジャズ濃度と同じように作品を重ねるごとに深まっていった。
良く言えば思索的な深みを獲得したそれらの作品はしかし、別の面に目を向ければかしこまって聴くアート作品になっており、そういった作品の存在意義は否定されるべきでないが、ストリートミュージックとしての機能性は減退していたのも否めないだろう。

その点本作は幾つかのトラックでストリートへの回帰を試みている。言わずと知れたP-Funk総帥George Clintonとの2度目の共演「Burning Down The House」(Talking Heads!)やAnderson .Paakを招いた「More」、実質盟友のThundercatソロ曲と化している「The Climb」辺りは、前3作で築いたジャズのイディオムを織り交ぜつつ、さらに仄かなサイケデリアも香らせつつもポップなストリートミュージックとして機能している。
これらの曲をシンプルにポップに寄ったと見るのなら、ソロ・ディスコグラフィだけから考えればさらなる驚きが待っている。Little Dragonを招いた「Spontaneous」Syunsuke Onoが参加した「Takashi」は、取り様によってはKehlani等が歌ってもおかしくないようなメロウナンバーなのだから。
ただこの点は、Kendrick LamarやMac Miller、Thundercatらにはスピリチュアリティやサイケデリアをあまり持ち込まないメロウ・トラックをこれまでも提供しているので、かなり大胆に振って来たなとは思うもののFlyLoことStephen Ellisonの仕事全般に渡ってみれば決定的に新基軸と言うほどのものでも無いかもしれない。

そう、ある意味で本作は、この10年がむしゃらに自らの音楽にディープネスとドープネスを与えようとインナートリップを繰り返してきたFlyLoが、一度プログレッションをやめて立ち止まり、これまでの自らが培ってきたものの総決算を鳴らした作品とも言える。
しかしまた翻す事になるが、一方で強烈な前衛性も本作には焼き付いているのだ。映画監督/ミュージシャンのDavid Lynchが、その映画作品と同じようなビザールな語りを添える際立つ異色作「Fire Is Coming」。これがリードトラックとして公開された時には驚嘆した。坂本龍一やMeiteiが試みているような楽音と非楽音(ここでの楽音とは平均律の音程を持った音の事では無く、ドラム等も含めたポピュラーミュージック一般で使われる音。つまり非楽音はそれ以外)の境界を曖昧にする音響実験の最新形、それを最高にクールでゴシックでホラーな形で成し遂げていると。最後までアブストラクトな音響実験のまま終えてほしかったが、それはそれとして後半で展開されるビートもまたこのアルバムのハイライトと言えるほどクールな仕上がりで、まあ白旗を上げざるを得ない出来だ。

そのアブストラクトな音響実験は最終盤にもう一度顔を出す。最終曲「Hot Oct.」はトラックタイムで4分半のおよそ半分を変調されたコーラスとシンセとフィールドレコーディングがゆっくりと渾然一体になったまま長く長くフェードアウトして無音に至るという構成だ。LPで聴くとアナログレコードで必然的に生まれるノイズすらそれと絡んで、どういうプロセスを経たものを楽曲と呼ぶのか?小鳥のさえずりとThe Beatles「All My Loving」との間に差は何かあるのか?とある種哲学的でさえある思索に辿り着く
そして、それに向かっていく後ろ2曲もまた壮絶。Solangeが作曲にも絡んだ「Land Of Honey」は『When I Get Home』のアブストラクトでスピリチュアルな空気も持ち込まれた、Marvin Gaye「Flyin’ High (In The Friendly Sky)」のアップデートといえるゴスペル仕込みのヘヴィーソウル。続いてその空気を持ち込んだまま『You’re Dead!』を思い出すようなThundercatのベースがスリリングなジャズ「Thank U Malcolm」があって前述の「Hot Oct.」に雪崩れ込むのだが… そう、この最終盤の展開こそ、最初に触れた、一見さんに「これが軽い作品だなんて」と思わせる可能性を感じる点。ここだけ聴くと非常に重いが、前3作は空気感や感情的ムードにおいては全編がこのようだったと言っても過言では無いので、それに比すと露骨に重さやスピリチュアリティを漂わす流れがこの程度というのはFlyLoディスコグラフィにおいては軽い、という事だ。

さて、ここまで言及してきた要素を列挙してみよう。なんだかんだとスピリチュアルでサイケデリックなジャズは基礎にあり、しかしストリートミュージック/ポップミュージックとしてある種の機能性を果たすトラックもあれば、甘いメロウネスやゲーム音楽の影響が強いトラック、一方で極度に前衛的な音響実験がある。
これを”とっ散らかっている”と片付けてしまうか、使い古された言葉で言えば”おもちゃ箱をひっくり返したような”というのを褒め言葉として用いるか、これが分かれる点ではあると思うが、個人的にはひたすら是と捉えたい。
稀代の天才が踏み出した雑多で奇妙で軽やかで新しき一歩を、リアルタイムで聴けた事を誇りに思う。




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