祝!サザンオールスターズ ストリーミング配信開始③:サザン全オリジナル・アルバムショートレビュー 下

①テーマ別プレイリスト集②アルバムレビュー上

Southern All Stars

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各メンバーがソロ活動期間を挟んでの5年ぶり復活作。
原由子が復帰しても桑田佳祐がソロ作から連れてきた小林武史に少なからずの自由を与えている事でいかにもなバンド感は回復せず。それでいて『KAMAKURA』のような攻めたエレクトロニックなアプローチも希薄ということで、熱心なファンや評論家からはあまり好意的に捉えられていない印象があった。しかし、くるりの岸田繁が再評価したりと、ここ10年ほどで少しずつジワジワと評価を上げている模様
おそらくその背景には、後の『キラーストリート』で、本職メンバーがいる楽器もサポートメンバーに任せたり桑田が一人で録っていたりしていた事が記され、楽器未経験者でさえ「このパートはメンバー本人では無いのではないか?」と疑念を抱くほどになっていくこれ以降の作品が実際そうである事が決定的になり、90年代以降のサザンへのバンド幻想が消えた事がひとつあるだろう。
もうひとつには、そもそもロック界全体でバンドやユニットの体裁でデビューしつつ実際はフロントマンとプロデューサーのプロジェクト、というような在り方が激増し、ロック批評界全体にもバンド幻想が薄れた事もあるはずだ。
それを踏まえると個々の楽曲は優れたものが多い。海辺で聴くと気持ちいい”高速Todd Rundgren"「YOU」、The Beach Boys(そして山下達郎)オマージュの「忘れられたBig Wave」、そして90年代J-POPのひとつの雛形となった「さよならベイビー」といったポップな名曲はもちろん、Manhattan TransferとJah Wobbleを魔女の鍋にかけて歌謡曲を煮出したような怪曲「女神たちへの情歌」、前衛スウィング・ジャズ「MARIKO」といった尖った曲も良い。
が、大森隆志作の曲が申し訳程度に(それ自体は興味深い曲だが…)入っていたり、セルフタイトル・白い背景にカブトムシ、とThe Beatlesのバンド崩壊の序章であり実質的にソロ曲をコンパイルしたものに近い作品『The Beatles(通称ホワイト・アルバム)』へのオマージュである意図がわからなかったり、桑田ソロの延長的小林武史とのユニットなのかバンド復活の狼煙なのかが危うく揺らぐ背景は今聴き返すにも若干座りの悪さを残す事もまた確かだろう。

(『稲村ジェーン』はCD発売時Southern All Stars and All Stars名義だったがストリーミング解禁にあたって稲村オーケストラ名義に書き換えられたので、その内実を鑑みても後に予定している桑田佳祐ソロ作レビューの際に触れる事にする)

世に万葉の花が咲くなり

ベースの関口和之が病気のため休養、体裁としては根岸孝旨がサポートとして加入したがこのスタジオ録音においてはシンセベースの出番が多く結果として小林武史のプレゼンスが高まった。さらにこの時点で大森隆志に表立った問題は無かったにも関わらずギターにもゲストとして『稲村ジェーン』で重要なパートナーであった小倉博和がクレジットされ、各曲ごとの表記は無いため断言は出来ないにせよおそらくかなりの割合のギターを小倉が弾いている。よって本作の制作体制の実際は”桑田佳祐 & 小林武史 feat. 小倉博和 with 松田弘 & 原由子 (ゲスト大森隆志)”であり、本作を以てサザンオールスターズというバンドは崩壊した
そしてジャクソン・ポロックのドリッピング画法風という珍しく現代アートに目配せしたジャケ、インナーの脅迫文めいた新聞コラージュ、写真等も少なく黒字に白抜きを徹底した歌詞表記、とアートワークの暗さが示すように楽曲もマイナーキーが多い。バンド体制の崩壊に暗い楽曲…と並べると陰鬱な作品を想像してしまうが、その実桑田と小林がやりたい事を好き放題やったという開放感とエネルギーに満ち溢れている。あえて言おう、この作品こそが桑田佳祐全盛期の幕開けであると。
桑田青春の70sブルース・ロックをトリップ・ホップ・サウンドで蘇らせた冒頭「BOON BOON BOON〜OUR LOVE」から”暗いのに快活”という意味が伝わるはずだ。その他David Bowie「Space Oddity」をモチーフにしてThe Flaming LipsやStereolabのファンにも好意的に受け止められそうな「HAIR」、場末を這い回る野良猫を80年代Tom Waitsの歌とCream時代Eric Claptonのギターで描くようなブルース「亀が泳ぐ街」といったロック・ファンの耳を惹く尖った楽曲と、代表曲であるメロウなソフトロック「涙のキッス」、爽やかなフィリー・ソウル「君だけに夢をもう一度」のようなポップな楽曲を違和感なく繋ぐ曲順の妙も見事。内情の不安定さと裏腹に鮮やかな傑作

Young Love

桑田ソロ『孤独の太陽』を挟んで関口が復帰、小林武史が不参加。となるとバンド感が戻ったか?とも思いたくなるし実際表面的にはいかにもヘッドアレンジのロックバンドというような曲もいくつか並んでいるが、実情は怪しい。いくつかのインタビューを総合するにシングル曲「愛の言霊」は(マニピュレーター角谷仁宜サポートのもと)桑田がほぼほぼ単独で作ったもののようだし、いかにもバンド的なサウンドの楽曲の一つ「胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ」ではノン・クレジットでエンジニアの林憲一もギターを弾いていた事が明らかにされている。そしてソロや後の作品で桑田が弾いている事が明示されている楽曲でのプレイと比較すると、ギター/ベース共に桑田が弾いている楽曲が多いように聴こえる。鍵盤の原、打ち込みも出来る松田はそれなりの時間桑田とスタジオを共にした可能性はあるが…
ひとつひとつの楽曲でどれだけ桑田以外のオリジナルメンバーが関わっているかを検証するとキリがない。しかし、前作から不可逆的にサザンオールスターズという名前は桑田のソロユニットと化したとまで言ってしまっても事実と大きく異なるとまでは言えないだろう。
だが仮に不確定部分が全てオリジナルメンバーによるものだったとしても、これまでの作品以上に桑田佳祐という個に注目して語りたくなるのは、ここでのヴォーカル・パフォーマンスが圧倒的だからだ。
かつてモノマネ番組でうんざりするほど誇張されていた桑田のトレードマークと言えば”ダミ声”。Bob DylanやTom Waitsに憧れて若き日にわざと声を枯らしたと本人が明かしているその声は、全体の作風としてもそれらの影響源に立ち返った直近のソロ『孤独の太陽』でピークを迎えているが、そこから2年足らずの本作で実の所桑田は声の荒れをかなり抑えている。というか、ここからしばらくの間、サザン最大にして日本音楽史上屈指のヒット曲である「TSUNAMI」を含めて桑田のヴォーカルはダミ声どころかFrank Sinatraや大滝詠一で知られるジェントルなクルーナー唱法を明らかに志向している。特にサウンド的にも大滝の影響が感じられる「あなただけを」における歌唱は絶品だ。情緒的でドラマティックな楽曲に対し色を付け過ぎる事無くリスナーの想像力に委ねる抑えたトーンを基調としながら、所々に小爆発を設けて起伏を付けるこの歌唱はポップスを歌う形の一種の理想形とすら言っていい。
そんな”歌”にフォーカスしたポップの間に交えた痛快な鳴りのギターを響かすロックも出来は上々で、サザンを初めて聴く向きにも勧めたい快作

さくら

個人的にはこれを最高傑作に挙げたい
ここ数作で触れてきた制作体制に関する考察から今回も始めると、恐らく過去2作に比べオリジナルメンバーのプレゼンスは相対的に高まっている。「LOVE AFFAIR」「BLUE HEAVEN」「湘南SEPTEMBER」あたりは久々に6人が膝を突き合わせて初期を思い出しながら作ったのではないかという感触だ。一方で、楽器や録音に対する知識が無くとも桑田以外のメンバーが不在である事が明らかな完全弾き語り曲(厳密には終盤に原のバンドネオンが入る)「私の世紀末カルテ」や、(これは『人気者〜』での「Dear John」という前例があるにせよ)オーケストラのみをバックにした「素敵な夢を叶えましょう」といった楽曲も入っており、いわばソロユニットとしての先鋭化とバンド回帰が同居している
この不安定さは桑田の作詞曲にも反映されており、パブリック・イメージに比べマイナーキーの曲が多いという点では『人気者〜』や『世に万葉〜』という前例があるが、それらが音楽的冒険心が先行していたある種の痛快さも伴っていたのに対し、本作はThe Ronettes「Be My Baby」のビートで横浜のデートスポットを歌いこむ「LOVE AFFAIR」のようなポップ極まれり楽曲を含めても尚、陰鬱とさえ言える空気感が漂う
オルタナ以降の歪みとトリップ・ホップ以降のビートでLed Zeppelinを再現した「NO-NO-YEAH / GO-GO-YEAH」に始まり、ドラムンベースにBlack Sabbathめいたリフを乗せた「(The Return of) 01 MESSENGER」、Radiohead『OK Computer』のパスティーシュに万葉集の引用を絡めた「CRY 哀 CRY」といった、”デジタル・ロック”なんてタームがあった当時の時流にクラシック・ロック世代らしい解釈を施したエッジーさを片方の軸に。”レペゼン湘南”なイメージとは裏腹にキャリア20年目にして初めてタイトルに湘南を冠しながらも陽光と賑わいの夏ではなく人が去りゆく初秋を歌った「湘南SEPTEMBER」、ガラスのスライドバーを用いたDire Straitsばりな桑田のソロが冴え渡る「BLUE HEAVEN」、文字通りのサウダーヂを滲ます久保田早紀めいたエキゾ歌謡「SAUDADE」等に現れたセンチメンタリズムをもう片方の軸に。それらの振幅の間にジャズやファンクを忍ばせて不安定に揺れ動く様が不安定なまま提示された作品。
決して万人受けするアルバムでは無いが、桑田の作風を、バンドの経緯を知って一つ一つの裏側が解きほぐされる毎に現れる生々しい感情が胸を引き裂く。どこかPaul McCartneyによるビートル達へのラスト・メッセージ「Carry That Weight」と同じようなメッセージも仄かに香るクロージング・トラック「素敵な夢を叶えましょう」は美し過ぎて悲しい。サザン名義のことオリジナル・アルバムにフォーカスしたクロニクルを今振り返れば、この曲は単に『さくら』のクロージングであるのみならず様々な意味での一時代の終焉を示していた。

キラーストリート

「TSUNAMI」の記録的大ヒット、同年にファンの署名をきっかけとして開催され国民的イベントの如く報道された茅ヶ崎ライヴ、大森隆志の脱退(時々誤解されるが覚醒剤所持による逮捕は脱退後である)、桑田はサザンのパブリック・イメージをソロの名で正面切って演じた「波乗りジョニー」や初期サザン以上にシンプルなバンドサウンドを志向したアルバム『ROCK AND ROLL HERO』を、関口は多数のゲストを迎えてサザン曲をセルフ・カヴァーした『World Hits!? of Southern All Stars』を、松田は初の映画音楽『マナに抱かれて』を手掛け…とバンドを畳むことを見越したようなソロ活動、という激動を経てここまでで最長のブランク7年ぶり13作目は2枚組30曲2時間17分の大作
クレジットではこれまでそれぞれのメイン担当楽器のみが記載されてきた慣例を破り桑田が非常に多くの楽器を演奏している事が明示され、またセルフライナーノーツとレコーディング・ドキュメントDVDにその詳細が記録された事で楽器や録音の知識が無いファンにまで内実が既に桑田のソロ・ユニットだと詳らかになり当時ファン・コミュニティは大きくざわめいた
作編曲の部分では変わらぬセンスを見せるものの、サザン再始動の2003年から急速に進んだ作詞と歌唱法のセルフ・パロディ化が痛々しい
若き日ほど喉を酷使できない中でダミ声に戻した歌は時にモノマネタレントじみてさえ感じられるし、「勝手にシンドバッド」に代表される”ぶっ飛んだ言葉遣い”という雑なパブリック・イメージに自縛され雁字搦めになった作詞は明るい世界観を描くほどに息苦しくなる。
それでも聴き所が無いわけではなく、もう少しコンパクトにまとめていれば多少印象は良くなっていたかもしれない。松田のドラムと関口のベースの絡みが20年ぶりのバンド・マジックを見せつける「セイシェル」、80sプラスティック・ソウルな「LONELY WOMAN」、Princeばりの密室ファンク「DOLL」、サザン最長尺8分半による”エレクトロニック天国への階段”「FRIENDS」ほか幾つかは十分に聴き継がれる価値を持つ

葡萄

ここまで言及してきた通り、『KAMAKURA』後にメンバー各々がソロ活動を開始してから随所にサザンよりもソロが優先される期間が挟まれてはいたのだが、明確にサザンというバンドの休止が宣言されたのはその『KAMAKURA』直後だけであった。それが2008年、シングル「I AM YOUR SINGER」と同年のライヴ活動を最後にサザンを休止させるという23年ぶりの宣言が行われ、明確な休止期間を挟み2作連続でブランク最長を更新した10年ぶりのアルバム
制作期間にガン発覚と治療を挟んだ直近の桑田ソロ・アルバム『MUSICMAN』は『キラーストリート』から引き続きのセルフ・パロディ感が抜けきっていない苦々しさも伴っていたにせよ十分及第以上の聴き所を備えた作品だったが、サザンオールスターズの錦の旗のもと本作で作詞と歌唱のセルフ・パロディが再加速してしまっているのが厳しい。のみならず『キラーストリート』までは保たれていた作編曲の水準も低迷、正直な所1時間12分の尺を聴き通すのがなかなかしんどい作品だ。
冒頭の「アロエ」からニワカEDMで、サザン名義のオリジナル・アルバムとしては初となるメイン・エンジニアを務めた中山佳敬の平板な音作りも相まって、かつて「Computer Children」や「(The Return of) 01 MESSENGER」のような刺激的なロックとエレクトロニクスの融合を産んできたバンドとは思えない凡庸さに堕している。時代のトレンドについて行けていないのみならず「Missing Persons」のようなクラシック・ロックリアルタイム世代の面目躍如と行きたい傾向の楽曲にまで冴えが無くひたすら辛い。
聴き所は、何故だか妙に深読みさせるタイトルを付けられたが実際はいかにも桑田の手癖でそれだけに安定感はある「はっぴいえんど」、混迷の時代にこれまでに無くストレートな歌詞でメッセージをぶつけた「ピースとハイライト」程度。うーん厳しい。

愛はスローにちょっとずつ

オリジナル・アルバムとしての直近作がどうにも厳しい内容であるが故に、酷評で記事を締めるのに心苦しさもあったため、この2019年にリリースされた40周年記念シングルにも触れておこう。
長く苦しい音響的暗黒時代であった中山佳敬メイン・エンジニア時代がようやく終焉したと共に、憑き物が落ちたかのようにリラックスした曲が届けられた。同時に肩の力が抜けた事で自然とベテランらしい深みも出た美しいバラード。音響的な不満も無くこれだけ安心して聴ける桑田楽曲は2007年のソロ・シングル「ダーリン」にまで遡らねばならないかもしれぬ。
その「ダーリン」こそカップリングも含めて充実した内容だったが、同年の他のソロ・シングル2枚は低調な内容で1曲だけでは安心できない所もあるが、今回は直近のソロ・シングル、桑田佳祐 & The Pin Boys名義の「Let’s Go Bowling」も、桑田長年の趣味であるボウリング大会とのタイアップだけにノベルティ色は強いにせよ気負いの無さでは「愛はスローにちょっとずつ」と通じている。
ソロ名義になるにせよサザン名義になるにせよ、次のアルバムはリラックスした表情で心穏やかに聴ける作品になりそうな希望の灯は確かに点っている。

結構ギリギリでやってます。もしもっとこいつの文章が読みたいぞ、と思って頂けるなら是非ともサポートを…!評文/選曲・選盤等のお仕事依頼もお待ちしてます!