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「精神的な暴力」によるコントロールから抜け出すために

人は意外にも、身近な人物の「精神的な暴力」によって、巧みにコントロールされているように思います。

ここで言う「精神的な暴力」とは、金銭や住居といった生活に必要なもの、あるいは(見かけ上の)愛情や責任といった要素を盾に、暴力を振るう側の条件を、見えないかたちで押しつけられることを指します。より具体的に言えば、各種のハラスメント、そして精神的DVはまさにこうした精神的な暴力です。

精神的DVを振るう人物は、何も男性には限りません。女性にも多く見受けられるうえ、女性から男性だけでなく、女性から女性といったケースもままあるようです。

私が専門家に聞いたところによると、精神的DVのケースを探っていくと、女性の中にも意外なほどに暴力的な傾向を持つ人がいるようです。その場合の暴力の手段は当然、腕力ではありません。言語と態度を使って、相手を精神的にコントロールするわけです。さらに言えば、「目に見えない」がゆえにやっかいで、精神的DVを受けている側は、精神的DVの被害に遭っていることさえも自覚しにくい、というのが特徴のようです。

実は私はかつて、男女のパートナーシップを結んでいた女性から、断続的に精神的DVを受けていた経験があります。しかもそれは1回だけではありませんでした。大学生の時初めて男女として付き合った女性はもちろん、大人になって付き合った女性も含めて、複数回にわたり同じようなパートナーシップを経験してきました。(今から考えれば、これは正当な「パートナーシップ」でも何でもなく、私は単に奴隷として使われていただけですが……)

私が「彼女らから受けた行為が精神的DVに当たるものである」と自覚したのは、そうしたパートナーシップを経験して散々な目に遭った40代になってからのことでした。「何かがおかしい」と感じて、心理分野の専門家らに相談したところ、ようやくその事実を認識しました。

専門家の指摘を受けながら、ふっと頭に浮かんできた疑問がありました。それは、「私が過去付き合ってきた女性たちから私が受けた行為や言動には、不思議と同じ特徴がある」というものでした。

この着想をベースに自分の過去を探っていったところ、私は自分の「被ハラスメント体質」を嫌というほど自覚することになりました。言い換えれば、「わざわざハラッサーと言われる精神的暴力者に、自分を喜んで供与するという不思議な心のクセ」を持っている自分に気がついたのです。

このような不思議な心のクセを自覚した当時、私は相当なショックを受けましたが、この自覚を経て様々な取り組みを進めることで、ようやく私は(少し抽象的ではありますが)「自分自身の軸」というものを取り戻してきたように思っています。

この記事では、そうした被ハラスメント体質を克服しようとする道のりで得た、多くの方々にも有用と思われる要素をシェアしていこうと思います。

■起点は家族関係にある

過去3~4年ほどにわたり、専門家の助けを借りながら様々な取り組みを進めた結果、いろいろなことが分かってきました。それらのポイントを挙げてみましょう。

①外側に現れる人間関係は、原初の家族関係の写像である

端的に言えば、私は、過去パートナーシップを結んできた女性との男女の関係性には、母親との関係性の特徴が端的に表れていました。

家族カウンセリングの専門家に話を聞くと、現代の子どもにはこのような「原初の人間関係である自分の家族を、その後の人生における人間関係のモデルとする」傾向が共通して見られるようです。ちなみに、女性の場合は、「男性と結ぶ関係性は、自身の父親との関係性のコピーだ」などと指摘されるようです。

過去のnote記事(下記のリンクからご覧ください)にも書いていますが、少年期の私はどうやら、母親から性的なハラスメントを受けていたようでした(40代後半になってようやく自覚しました)。そのうえで、少年だった私が母親に反抗して怒ると、「切れるのはお前のせいだ」「お前は短気だ」と逆ギレされていました。

頭の中に「自分ではない声」を作り出した、母親のハラスメントについて|高下 義弘(Yoshihiro Takashita) (note.com)

つまり、私は母親から「お前は私(=女性)の道具だ」と役割を定義されたうえで、「反抗するな、お前のせいだから(女性が悪いわけではなくお前が全部悪い)」という調教を受けていたわけです。

こうしたコミュニケーションを「ダブルバインド」と呼ぶそうで、ハラッサーと呼ばれる人々が使う典型的な支配の手段です。また、こうしたダブルバインドの環境下に長く置かれていると、精神疾患などになるケースもあるようです。

加えて指摘しますと、性的なハラスメントは当然暴力であり、母子の間は明らかになりにくいがゆえに、非常に悪質です。また逆ギレも精神的な暴力の一種です。

ひるがえって見てみると、過去の私は、見事に母親による(精神的)暴力を伴う強烈な調教に沿った、その通りの人生を歩んできたようです――つまり、「お前は女性の道具だ。反抗するな。お前のせいだから」。

脳機能科学者である苫米地英人博士の書籍によれば、暴力は極めて強烈な変性意識状態をつくり出すようです。その変性意識状態によるインプットは、まさに洗脳とも呼べる状況を意識内につくり出します。

②専門家の力を借りながら、事実を正しく認識することが大切

私が一連の事実を認識するには、精神的DVやハラスメントの構造についての専門知識を備えたカウンセラーの助けが必要不可欠でした。

カウンセリングにはとても長い時間がかかりますし、もちろんカウンセラーだけではなく自分自身の強いモチベーションが欠かせません。私のモチベーションは「なぜこうも自分は女性関係で失敗ばかりで、後には何も残らないひどい状況に陥ってばかりなのだろう」という強烈な問題意識がありました。

しかし、不思議なもので、強烈な問題意識を持っていると、必要な助けは現れるものです。カウンセラーに関しましては相性などもありますので、どなたが最適かとお勧めすることはできませんが、真剣に取り組んでいるうちに、必要なカウンセリングを提供してくれるカウンセラーが現れるはずです。

なお、これも私の経験から言えることですが、「この人とは合わないな」と思うカウンセラーとマッチングした場合は、失礼のないようにしつつも遠慮なく切り替えることが大切です。とにかく自分の肌感に合うカウンセラーでなければ、なかなか自己開示が進まず、その結果自分の心の治癒は遅れます。つまり、無駄に時間とお金を費やすことになってしまいます。

③事実認識の「基礎体力」づくりに瞑想が効く

私の感覚では、瞑想が一連の気づきに大いに貢献してくれていたように思います。瞑想は近年マインドフルネスとしても知られるようになりましたが、心身の健康増進を含めて、非常に幅広い効果をもたらしてくれる優れたツールです。

瞑想はいわゆる「メタ認知」の能力を高めてくれますし、また心身のリラクゼーションを促します。瞑想により培われるこのような精神的基盤が、自らの人生を覆ってきた洗脳の解除に立ち向かう「基礎体力」を養うことになったのは間違いありません。

こうした瞑想の効果を改めて認識した結果、私自身が瞑想のファシリテーター資格を取るほどにもなりました。随時、体験会を開催しているほか、個別に学んでみたいという方にも1on1にて対応しています。次の瞑想ご案内Webページ「ActiveRest」も併せて、ご覧ください。→ https://peraichi.com/landing_pages/view/activerest4u

■事実に直面すると、自己認識が変わり、周囲の世界も変わる

アリストテレスで有名な形而上学では、「自分の内なる世界が外側に反映している」と説いているそうです。

私は過去数年にわたり、自分が幼少期に置かれていた家族の真実を直視してきました。そして、そこから形成された自分の心のクセに直面したところ、不思議なほどに、自己に対する認識や現実世界が変わってきました。

これには本当に驚きました。まさに形而上学が言うとおりの変化が起きたためです。

例えば、私に端的に表れた変化は、先にも少し触れましたが「自分の中心」とも言えるものが認識できるようになったことでした。

私は過去からつい最近に至るまで、相手の挑発的な発言や行動に対してすぐにつられてしまう心のクセがありました。その結果、かっとしてうかつな発言をしたり、ときには怒鳴り散らしてしまうこともままあったのです。挑発してきた相手には、そうした私の発言や怒鳴り散らした行動を指摘され、ゆすりやたかりをうけることもあり、悔しい思いをしてきました。

ところが、先述のような、幼少期において私が母親から何をされていたのかというハラスメントの事実が見えてきてからは、この傾向がだいぶ緩んできたのです。相手に何かを言われても「ああ、なんか言っているな」と風と受け流すことができるようになってきました。

この「自分の中心」というのは、言語ではなんとも説明がしづらいのですが、「周囲の刺激に対してしなる竹のようなもの」と言えばいいでしょうか。「こうしたものが確かに自分の中にある」というのが分かったのです。

私は若い時から、揺るぎのない「自分の中心」を構築することに憧れていました。瞑想はもちろんですが、「気功の達人や武道家には自分軸があるらしい」などと聞きつけて、健康増進を兼ねて気功術のトレーニングなどを積んだこともありました。

これらの教えにはとても高度なものが多くありました。それは私の知的好奇心をとても強くそそるものではありました。しかし先生たちの教えが理解できず、また自分が渇望していた「自分の中心」を感じることもできず、長年悩み続けてきました。

しかし、なんと、私は幼少期に母親から何をされてきたのかが見えてきた途端に、急速に「自分の中心」のことが腹落ちしてきたのです。これには本当に驚きました。

また、私がかつて克服しようとずいぶん苦労してきた「短気な性質」は、実は、母親に押しつけられた虚構であったことも分かりました。性的なハラスメントを受けて侮辱的な扱いをされていて、それに対して怒るのは当然なのだ、ということが……。

私の母親は、怒る子ども=つまり私に対して「お前のせいだ」とダブルバインドをかけることで、母親自身の性的ハラスメント行為を多重的に正当化し、そもそも根本原因にたどり着かせないように巧みに覆い隠してきたわけです。これにはもはや人間業とは思えないほどの巧みさが感じられます。

■真実を知ることを助けてくれた瞑想

暴力による調教、この真実を知るのは、かなりつらいものがあります。なにせ小さい頃に安全だと思っていた家庭が、まったく安全ではなかったということを直視することになるためです。

しかし、それを直視してこそ、見えてくるものがあります。それは先にも触れたように、自己という存在に対する正当さと安心感です。そして直視するベースとなる精神的基盤は、瞑想などの伝統的な修養によって確実に培われていきます。

小さい頃に受けてきた暴力、そしてそれによる調教。そこから抜け出す大いなる手助けとなった瞑想などの方法論について、紹介してきました。

繰り返しのお知らせになりますが、私は「MAX瞑想™システム」という瞑想法のファシリテーターをしています。随時体験会を開催しておるほか、ご希望に応じて1on1の瞑想体験会も開催しています。

そしてご相談に来られた方には、私自身の経験や人的ネットワークを通じて、上記のようなハラスメントに関するいろいろな角度からのお手伝いをしていくつもりです。ぜひ、お声がけください。

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