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「ハラッサーへの殺意」は実は、「母親への殺意」のあらわれだった

私は幼少期、母親から数々のハラスメントにさらされていました。一方、父親は「とんでもない性格を備えていた母親から逃げていた」(本人談)そうです。

母親からのハラスメントは当然ディスカウント(相手の人間としての価値を低める行為)ですが、結果として、私はパートナーである母親を放棄していた父親からも、間接的ではあるものの強いディスカウントを受けていた格好と言えそうです。

私は小さい頃から頭の中で、「こんちくしょう」「なんでおれはこうなんだ」といったネガティブな言葉が浮かびがちで、また妙に他人からのからかいに弱い、心が動く対象であっても困難に直面するとすぐに諦める、といった傾向がありました。

こうした傾向は、それ単体で観察された場合、他者からしばしば「陰気・陰湿」「根気がない」「短気で我慢に欠ける」などという批判にさらされます。しかし、これらは私の体験上、幼少期に両親からこうした強いディスカウントを受け続けてきた結果ではないかと推察します。

となると、外形的に見られるこれらの特性で散々「本人の問題」と批判・非難されてきた状況は、実は生来的ではない可能性が高く、両親から植え付けられたあくまで外部的な要因に基づくネガティブな性質であるわけです。これは、子どもにとってあまりにも苛烈な状況と考えてよいのではないでしょうか。

■必死に取り組んだ結果、統合失調症的な症状を克服した

私がこうしたトラウマ的な過去の実態に向き合い、徹底的に直面するようになったのは、つい近年、つまり40代の後半にも突入してからのことでした。これら幼少期の実態に直面しつつ、カウンセリングやセラピー、セルフヒーリングなどに必死になって取り組み続けた結果、私の人生を長年覆い続け、ほとほと悩ませ続けてきた統合失調症的な症状(頭の中で自分を批判する声が常に響くなど)が、一気に緩和されました。これには驚きました。

これらの実体験から踏まえると、「人が幼少期に体験するハラスメントは、その後の人生を台無しにしかねない強烈な暴力行為である」というのが私の見解です。

■常に猛烈な怒りと殺意を抱えていた、過去の人生とその「反転」

こうした両親からのハラスメントを自覚し得なかったかつての私は、猛烈な怒り、いや殺意というべき強い感情を常に抱えていました。

その対象は様々でした。確かにメインの対象者は母親ではあったのですが、なぜ母親に対してここまで殺意を抱くのか、自分でもよく分からないところが多々ありました。

そしてほかに殺意を抱いていたのは、過去出会ってきた人々で、学校生活におけるいじめっ子(私は中学生時代、度々カツアゲに合っていました)、あるいは以前の職場でハラスメント行為を繰り返してきた元上司などでした。

先にも述べたように、ハラスメント行為の実態を掘り下げるまでは「なぜ、自分は母親に対して強い殺意を抱くのか」「なぜ、自分はここまで過去のハラッサーたちにここまで強い殺意を抱くのか」がそれほど明確ではなかったのです。

しかし、「小さい頃のぼくが母親から受けてきた嫌なこと」が性的ハラスメントに類するという事実が明確に判明して以降、私は面白い心の動きを体験しました。こうしたいじめっ子や元上司への殺意が、とにかく大きく緩和されたのです。

このメカニズムの裏に何があるのかを把握し切れてはいないのですが、推察するに、本来母親に対して強い殺意を抱いているにもかかわらず、その構図を完全に解明できていないゆえに、その殺意の吹き出し口として、いじめっ子やハラスメントをしてきた元上司などに殺意が向いていたのではないかと思われます。

私はよくここまで実際に他者に手を下さずに済んでいたものだな、と思いました。私はあらためて、幼少期に体験するハラスメントは、その後の被害者の人生を完全に破壊してしまうのだということを認識しました。

最近、元ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏(故人)による男性アイドルたちへの性的ハラスメントが大きく取り上げられるようになりました。こうした性的ハラスメントについては「魂の殺人」とも言われていますが、実体験からしても、さもありなんです。私は母親により魂が殺されかかっていたがゆえに、母親に対して殺意を抱いていたのでしょう。

■ハラッシーがハラッサーを殺すとき、殺すのはハラッサーの内側にひそむ「自分に向き合わない心」だ

統合失調症的な症状が大きく緩和され、母と父の実態を十分に知り、殺意も父母以外にはわかなくなってきたごく最近のことです。以前、お世話になった家族カウンセラーの人の話がふと、記憶の底から湧き上がってきました。その内容をここで少し紹介してみましょう。

【ときに、ハラスメントを受け続けてきた人物が、勢い余ってハラッサーを殺してしまうという事件が発生する。その場合、たいてい殺す側は、いつもはおとなしくて、とてもじゃないが殺人などを起こしそうにない人だ。

ハラスメントを振るう側、つまりハラッサーと言われる人々は、自分の本心、つまり素直な気持ちに向き合うことなく、他人を心理的に攻撃することによってストレスを解消している。本来のストレスの原因は本心の持ち方にあり、それに向き合わないことによってストレスが助長されているにも関わらずだ。

そのため、ハラスメント行為を受けているハラッシー側は、突発的に、それまでの中長期的なハラスメントへの反撃として、殺害に及ぶ。このときハラッシーが殺すのは、本当はおそらくハラッサー本人ではない。『本心に向き合わないようにしている考え方』を攻撃しているのだ】

いずれにせよ、殺人は許されるものではありません。しかし、周囲の誰もが認める「大人しい人」が突発的に殺人を起こした場合、もしかしたら被害者は加害者に対して、私が母親および父親から受けていたような執拗なハラスメントが中長期的に行われていたのかもしれません。

「被害者と加害者の人間関係において、本当のところは何が起きていて、どこにてこ入れをすれば原因が取り除かれるはずだったのか」。これを究明しない限り、殺された側の命も浮かばれないことでしょう。

転じて、ハラスメントをふるうハラッサーも、元々はハラッシー、つまりハラスメント行為を受け続けてきた側だとされています。ハラスメント行為を受け続けて、「心のコップ」になみなみと他者のネガティブ感情が注がれた結果、それをどうしようもなくなって、弱そうな相手に流し込む、それがハラスメント行為なのだということです。

だれもが全体構造を知り、そしてだれもが自分の内側に向き合い、だれもが自らに対して適切な治癒を選択し行うことが必要でしょう。

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