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自分の人生を生きる/『あやうく一生懸命生きるところだった』を読んで

面接官「当社を志望した理由は何ですか?」 

自分(エントリーシートが通ったからとりあえず面接受けに来ただけです。。。)

面接官「前職の退職理由を聞かせてください」             

自分(仕事が嫌だったからです。。。)

面接官「あなたの強みは何ですか?」                 

自分(特にないです。。。)

面接官「前職では、休日や勤務時間後に、自己研鑽として、どのようなことをやっていたのですか?」                      

自分(テレビ見て寝てました。。。自己研鑽って、やってて当然なんだ。。。)

面接官「コロナウイルスの影響で、家で過ごす時間が増えたと思いますが、その間に何か新しい取り組みをしたり、成長したことはありますか?」  

自分(コロナウイルスの影響で成長したことはありません。。。)

転職活動での違和感

上記の文章は、僕が転職活動で受けた質問と、それに対して抱いた率直な感想です。(実際の受け答えではありません。)

僕は、大学を卒業して二年半、会計事務所で働いていましたが、仕事に限界を感じて、今年の5月ごろに転職活動を始めました。しかし、上記のような、やる気の無い気持ちで行っていた転職活動は難航しました。そして、ようやく学習塾に転職したのが、今年の9月でした。

しかし、仕事と転職活動のストレスでメンタル疾患を患い、学習塾は1か月半で退職し、現在は実家で療養しています。

25歳でメンタル疾患を患い、仕事もせずに実家で療養していると、様々な不安を感じるものです。

そんな中で読んだのが、こちらの本です。​


この本では、40歳を目前にして何のプランもなく仕事を辞めた著者が、自分らしく生きるための考え方を紹介しています。

なぜ僕は、仕事に対するやる気が無いのだろうか

転職活動中、僕は自分と面接官のギャップを強烈に感じていました。面接官はやる気のある人間を採用したい一方で、僕は仕事に対するやる気を持てずにいるという状況です。

「どうして自分はこんなに、仕事に対するやる気が低いのだろう」

やる気があるのが正しい社会人の姿で、自分はダメな人間だと思い悩んでいました。そしてこの悩みは、メンタル疾患を患い、実家で療養していても、ずっと頭の中にありました。

しかし、下記の文章を読み、僕はとても救われました。

この社会はとにかく「やる気」が大好き。僕らも、「やる気=素晴らしい」という意識をいつの間にか植え付けられている。その証拠にやる気と聞いただけで、なんだか胸がアツくなる。

熱烈な愛情を持ち、頑張る人を嫌う人はいないだろう。もし僕が社長だとしても、やはりやる気のある人材を得選ぶ。

しかし、やる気が「あったらいいもの」から「当然、持つべきもの」になりつつある昨今の現実は、なんとも穏やかでない。
(P.35)

この著者は、やる気が当たり前の社会を、批判的に捉えているのです。これまで、やる気がない自分の方が悪いと思っていた自分は、気分がすっと楽になりました。

やる気は自分で作り出すもの

しかし、あくまでこれは、「やる気が当たり前の世界に違和感を感じていた」というだけの話です。さすがの僕も、「やる気があるに越したことは無い」ということは分かっています。

メンタル疾患が治れば、僕はまた社会に出て働くつもりです。よって次は、「どうすれば仕事のやる気は生まれるのか」ということについて、考えなければいけません。

この著者は、やる気について、以下のように述べています。

やる気の根底には愛情がある。
(中略)やる気とは自ら作り出すものであり、誰かに強要されて作り出すものでは絶対にない。(P.37)

つまり、やる気を持って仕事をしている人は、仕事に愛情を持ち、自らやる気を作り出しているということです。

確かに、自分の社会人生活を振り返ると、とても仕事に愛情があったとは言えません。

僕は「資格があったほうが安心できるかな」という理由で、大学時代から税理士資格取得のための勉強を始め、新卒で会計事務所に就職しました。よって、仕事の内容に対して、興味や愛情といったものはなく、やる気も低かったです。

案の定、僕は就職後、よく怒られていました。「もっとやる気を出して勉強しろ」と。会計事務所で一人前の顧客担当者になるには、膨大な量の会計、税務の専門知識が必須であり、やる気がなく勉強をしていない僕が怒られるのは当然です。

しかし、上述したように、やる気は自分で作り出すものです。何度怒られようとも、僕はやる気が出せず、努力ができませんでした。

やる気には上限がある

著者は、やる気について、さらに次のようなことを述べています。

自分が何かに熱中しているときは、その気持ちは自分のためなのか、それとも他人のためなのかをよく考えてみる必要がある。
(中略)知る限りでは、やる気はそれほど頻繁に生まれるものでも、持続可能なものでもない。やる気はすり減る。だから、むやみに使うと本当に必要な時に使えなくなる。
(中略)いつかはやる気を注ぎたくなる仕事に出会えるはずだし、そのときのために自分のやる気を大切にしよう。(P.39)

これはつまり、「やる気には上限があるので、それを会社や他人のために使ってしまうのはもったいない」という意味だと、僕は解釈しました。自分が本当にやる気を持って没頭している状態であればいいが、そうでなければ、その仕事や努力は、やめた方が良いということです。

僕は、資格勉強など、本当はやりたくないことに自分のやる気を無駄に費やしてしまったと思います。なので、これからは、自分のやりたいことを見極めていくという姿勢を持たなければなりません。

では、やる気を注ぎたくなる仕事に出会うためには、一体どうすればよいのでしょうか。

やりたい仕事を見つけるには

この著者は、やりたい仕事を見つけるために、なんと3年間も無職で過ごしていたそうです。しかし、結局、やりたい仕事は見つからなかったらしいです。その時思ったのは、

本当にやりたい仕事は、「探す」のではなく「訪れる」ものなのだ。仕事や勉強、趣味、旅行など、日常を過ごす中で「ああ、こんな仕事がしてみたい」と自然に、または運命のように訪れるものではないか。(P.151)

とのことです。そして著者は、自分自身について、下記のように自己分析を行っています。

強烈にやりたい仕事はないけど、やりたくない仕事はあるタイプだ。だから、こう考えた。全く合わないものじゃない限り、自分ができる仕事ならなんでもやってみようと。(P.153)

これはまさしく僕にも当てはまると思いました。僕も、やりたい仕事は無いけど、やりたくない仕事はたくさんあります。例えば営業職はやりたくない仕事の筆頭です。しかも、能力が不足しているので、できないと思います。また、SEなどの仕事も、新たに勉強しなければいけないことがたくさんあるので、やりたくないし、できないと思います。

僕はコミュニケーション能力も低ければ、新たなことをどん欲に吸収するやる気もないのです。

しかし、何もできる仕事は無いかと言われれば、それも違うと思います。大学受験の勉強で得た知識や、会計事務所の勤務で得た多少の会計知識、事務処理能力などは持ち合わせています。なので、自分ができる仕事が全くないということは無いと思います。

僕は、会計事務所での仕事は能力的に追いつかず、ついにはメンタル疾患に陥ってしまいました。また、資格勉強ばかりして、趣味や旅行など、他のことに費やす時間が減り、「こういう仕事をしてみたいなあ」という思いを持つこともないまま、会計事務所に就職してしまいました。

なので、病気療養中は、少しでも趣味を広げたり、今までと違う経験をするように意識していきたいです。そうすれば、少しは自分の中の愛情、やる気に関するアンテナが育っていくのではないのかと思います。

そして、病気が治り再就職をする際は、あまり自分のやりたい仕事を悩むというより、できる仕事なら取り組んでいくという姿勢を持っていきたいです。

そして、自分がやる気をもって取り組める仕事が訪れるのを、気長に待ちたいと思います。

自分の人生を生きる

仕事の選択について、筆者は、下記のように述べています。

自分の心に従えば、誰かのせいにすることはない。成功しても、失敗しても、すべて自分の責任。そう思えば、少し気が楽になる。自分の人生なら、そうすべきじゃないだろうか?(P.183)

やる気を無理強いしてくる社会の方がおかしい、やる気はあって当然のものではないと知った今、僕の気持ちはずいぶん軽くなりました。

自分のやる気を大切にし自分のやる気をコントロールし自分の心に従い、自分で仕事を決める。

これからはそのようにして、自分の人生を生きていきたいです



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