【書評】『考えるとはどういうことか  0歳から100歳までの哲学入門』を読んで学校教育について考える。【基礎教養部】

今回私が読んだ本は『考えるとはどういうことか  0歳から100歳までの哲学入門』だ。

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この本では、「考えること」は、他の人との対話、「共に問い、考え、語り、聞くこと」だと書かれています。そして、ルールが必要だと書かれています。筆者におけるそのルールとは①何を言ってもいい。②人の言うことに対して否定的な態度を取らない。③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。④お互いに問いかけるようにする。⑤知識ではなく、自分の経験に即して話す⑥話がまとまらなくてもいい。⑦意見が変わってもいい。⑧わからなくなってもいい。というものです。それから具体的にどのように行うのかということが書かれています。

以上の内容をもとに哲学対話と道徳の違いを見ていきながら、学校教育で行う是非について書いていこうと思います。

哲学対話は、個人の意見や考えを交換し合うプロセスのことを言っています。異なる考え方や価値観を持つ人々が集まって対話をするため、自己反省であったり、他者の視点を理解でき、相互理解を深めることができます。これによって役に立つという面で見ると、思考力や論理性を向上させるに加え、コミュニケーション能力や共感力の向上も考えられます。

では、道徳について見ていきましょう。道徳は個人であったり社会の行動や判断に関する善悪であったり正当性について扱います。個人の行動や、社会の規範に影響を与える価値観や原則を考えることを通じて道徳は形成されていくため、他者に対する思いやりであったり、公平さ、責任感などを養う方法として重要なものです。

次に、学校教育における哲学対話と道徳の違いを見ていこうと思います。哲学対話は先ほども書いたように思考力や論理性を向上させることを重視しています。それに対して、道徳は倫理的な価値観や行動原則を教えることを重視しています。言い換えれば、哲学対話は抽象的な思考を育て、自己意識であったり他者との関係性を深める一方で、道徳は倫理的な判断力であったり他者への思いやりを育てるということです。

ここまでそろってから、学校教育において哲学対話を導入することの是非について考えていきましょう。哲学対話は上記の力に加えて、批判的思考や創造性を育むことができます。それに対して、道徳教育は上記の力に加えて、品性の形成や社会的なルールの遵守に貢献します。そのため、この両方を導入することは、生徒の総合的な発展にとって有益ということが分かります。では、良いのかというとそれはまだ判断ができません。有益だからと言ってそれをしっかりと行うための準備がそもそもできるのかという問題があります。

まず、学校教育の考えにそもそも哲学対話はマッチしているのかどうかを見ていきましょう。学校教育とは問いのあるものに対して答えられる力を育てることを目的としています。考えるようにしようとはしていますが、それは考えるではなく、考えさせるようにしているに過ぎません。なぜなら、この本で言えば、考えるとは問うことからスタートするからです。問うことから、つまり問う力を育てていない学校教育の現状では考えさせることしかできていません。その中で、そもそもなんでも問うていい場を作ることは非常に危険なこととなります。そこで必要なのは、社会の覚悟と教師の指導力です。

次に、社会の覚悟について見ていきましょう。学校教育がなぜ上記のようなシステムになっているかは、社会がそういう教育で育つ人材を欲しているからです。といっても、今の社会は考える力も求めています。なぜこのように不一致が起きているのでしょうか。一つは社会の流れが速くなっているというものが挙げられると思います。学校教育をどうするかのもとになるものは10年単位で修正されます。かつてはそれで済んでいましたが、情報化などによって急激に変化する社会になった今、その修正速度では間に合わなくなってしまいました。そこで時代に合った教育というものをちょこちょこと導入するという応急処置のようなことを行っています。これから見るに大きく変えるという覚悟はないのでしょう。

次に、教師の指導力について見ていきましょう。今ある学校教育そのものが危険にさらされるような行為を行うには、そもそも学校教育が何なのかなどといったことをしっかりと考え、答えられるほどの知能が必要だと考えられる。実際、フランスなどではそのような人が小学校の教師をしています。日本の学校教育の特徴でありすごいところは一斉教育にあります。それを実現するには、そこまですごい知能がある教師をそろえることは現状では困難です。

以上のことから、善いという判断を下すには、まず、社会が普遍的に必要な力を教えていくということに注力する覚悟が必要だと考えます。つまり、時代の流れから固有の能力が必要だからといって急に導入していくのではなく、その根本にもあるような普遍的な力の育成だけに注力するということです。次に、給料を上げることが必要だと考えます。資本主義社会において優秀な人間を雇うにはお金が正解です。



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