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#24 夜道論

 子供の頃、夜は未知数で無限大だった。流れる風と、遠くを走る車の音しか聞こえない中に、昼間と全く違う表情をした建物が立ち並び、どこまでも黒く染まった空を見上げては、もしかすると、永遠にこの暗闇の中に閉じ込められるのではないかと錯覚していた。なにも無いようで、なにかがありそうな夜に想いを馳せていた
 息をしていた期間を表す数と体重ばかりが増え、相応に煙草と酒を覚えてからは、夜の中に身を投じることが多くなり、あの頃よりかはわかるようになった気がする。
 そこで気づいたことといえば、私は夜に好かれていないということである。

 東京の夜は、全てが入り乱れている。高架下の居酒屋では老若男女が杯を交わし、駅前の広場では毎日誰かが歌っており、コンビニ店員は表情を崩さず客をさばいている。
 かくいう私は、バイト帰りコンビニによって今日飲むだけの酒と肴を買い、イヤホンから流れるお気に入りのアルバムを聴きながら、今夜のオカズは何かしらと考えながら夜道を早歩きする。こんな奴が夜に好かれるわけがない。

 それでも、好かれたい一心で、夜道に映えるよう努力はしている。あえてあいみょんを聴いて胸をキュウゥゥとして、泣きそうになったり。閑散とする駅のホームで、遠い目をしながら電車を一本見送ったり。帰り道突然立ち止まって、故郷に残るずっと好きだった幼馴染(いない)に想いを馳せたり。
 これだけのことをやっても、私は夜を使い果たせない。何をしたって、モテないダサ男が変なことをしているようにしか見えない。

 以前、夜中12時過ぎに信号待ちをしていたとき、5、6人のギャル集団が「見たことないじゃ~~んwwこのやり方www」と大合唱していた横で「ふぅ、今日も疲れたぜ」と渋い顔をするしかないという経験をした。

 ああいう人たちは夜を愛し、夜に愛されながら、満喫しているのだろう。

 私はまだ25歳になっていないので、缶コーヒーを握っても様にならないし、アスファルトこびりつくガムの方が街のことを知っていると思う。それでも、夜道に映える男になりたい私は、明日も明後日も肩で風きり歩くだろう。
 
 いつか、ガキんちょや女が憧れる、夜道に映える大人な背中を見せる男になる日が来るまで。今はまだ、千鳥足で帰路につく背中を、登校中の小学生に見せることしか出来ないから......。

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