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新しい生活様式。

ようやく温かいコーヒーがおいしい季節になってきた。

四季の中でも特に好きな時期である。
私の誕生月というのもある。

今日のようにひんやりと肌寒い朝はコーヒーを沸かす。
一人暮らしを始めた際、白物家電より先に調達した象印のコーヒーメーカー。
湯が沸騰するとビーカーからジリジリと音が鳴り出す。

今の家に来た引っ越し初日。
まだ何もない部屋にコンセントを1個つなげ、契約したばかりの水道から出るお水を給水口に注ぎ、続いてZoffの紙袋から取り出した口を輪ゴムで縛られたコーヒー細粒を開けてフィルターにセットする。
パチンとスイッチを入れ暫くすると抽出口からポタポタとお湯が垂れ始める。

走り書きの汚い字で「しょっき」と書かれた段ボールから新聞紙にくるまれたマグカップを1個取り出し、私は何を思ったか正座をして待っていた。

なにせこの家で初めての行動がコーヒーを淹れる儀式となると、謎の緊張感が走り始めた。

既に部屋にはコーヒーの香りが充満し、沸騰し終えたコーヒーメーカーは保温状態にスイッチが切り替わっていた。

当時、コロナのステイホーム生活からの脱却で国が命名した「新しい生活様式」になぞらえ、私はマスクを外し、並々に注がれたコーヒーが入ったマグカップに口をつけた。

「新しい生活様式~!」

誰も見ていない1人の空間の中では、人は何を口走るかわからない。
エレベーターの中でしきりに髪型をセットしながら、聞いている歌がちょうどサビにさしかかると小声で歌ってみたりするあの現象も同様である。

コーヒー淹れの儀に余計な気力を使った私は、暫定ミニマリストだといわんばかりに西日を背に部屋の中心でポツリ。
マグカップを床に直に置き、側で大の字になって天井を見ていた。

今となっては大量の本とCDと、ある程度の家具に圧迫されてしまっているが、段ボールから物を広げる前の何もない空間が好きだった。

コーヒーを淹れない日だってある。
寝坊したりタイミングを逃した際はカフェを使うこともある。

この前入った駅前のカフェは平日にも関わらず中々に満席。
席を探しながら見渡すと利用客にはそれぞれ目的があるのに気付く。 

Macで動画編集に明け暮れるキャップ帽の若者から、窓際の端で有線のイヤホンを差し込み外国人とおぼしき相手にZoomで打ち合わせをしているサラリーマン。

手前に陣取ってた女子大生らしき二人組は、アイドルのインスタライブにいいねらしきボタンを押しまくっていた。

一昔前のカフェでは考えられない光景。
これも政府が唱えていた新しい生活様式だろうか。

同じく窓際の中年男性は窓から駅前のロータリーを見続けている。
どことなく哀愁漂う表情を目にするのもまたカフェらしい。

ようやく席を確保した私は、先日蔦屋書店で購入したビジネス書籍を読み始めようと目次を開くと、栞がぱらりと1枚落ちてきた。

「本におかえりなさい」

素敵な言葉である。
読書人は日常を勇敢に立ち向かって安静の時を迎えるとき、本に帰ってくる。

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