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妄想随筆集

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その名の通り時々妄想が入る随筆集
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#エッセイ

馬駆ける。

馬が好きである。 悠然と立つその姿。 さっそうと走るその躍動感。 そしていつも何かを見越したように見えるその眼。 馬を見かけたとき、その時々の感情で見え方も変わってくる。 悲しいことがあったときは表情が寂しそうに映り、幸せなことや楽しいことがあったときには優しく微笑んでくれているように映る。 ほんの少しだけ、乗馬クラブに通っていた頃がある。もう何年も前のことだ。 馬具をレンタルし、ヘルメットは自前のものを用意していた。 駅からバスで15分。 乗馬クラブの入り口横の

薄っぺらい人からの脱却。

今のように読書を始めたのは単なる興味からの側面だけではない。 もともと理解力に乏しいし有名な大学も出ていないので、 「頭がよくなりたい。物わかりのいい人間になりたい。」 という同世代と比べた劣等感からくる自己成長の意味も兼ねている。 きっかけがある。 もう何年も前のこと。 飯田橋の駅で当時遊んでいた友人から帰り際に缶チューハイ片手に立ち話をしていた。 何の話だったか、意見を振られたときに大して興味もなかったのか 「なるほどねーそれでいいんじゃん?」 的な返しをした。

少しの窓開けと、雨音のしっとり加減と、執筆と。

窓ガラスを少し開ける。 静かな部屋なので、暫くすると雨が落ち始める瞬間がわかる。 空模様を気にするのは、早起きできた梅雨時ならではの行動である。 さて、今日は執筆する時の環境について書く。 物書きをするときの場所は決まっている。 たいてい、ベッドの上だ。 仕事で蓄えた慢性の腰痛症を少しでも和らげるために、 クッション2個を背にもたれ掛け、三角に折り曲げた膝の上にノートPCを置き打っている。 大変に姿勢がよくないのはわかっている。 だが仰向けで打つことはできないし、

美術屋の頃の話。

先日、午前中に仕事を済ませるとそのまま午後休を取り喫茶店で一服していた。 平日の五反田の喫茶店は自分と同じようなサラリーマンのサボり処か、奥様方の座談会でだいたい席が埋まる。 家庭内別居の話題で盛り上がる奥様方の席上には、牧草地帯の風景画の複製が飾られている。 ふと、美術の仕事に携わっていた時代の頃を思い出す。 20代の半ばから30の手前まで、いわゆる美術品仲介業の会社で働いていた。 顧客から預かった作品を競売に掛け、落札手数料・保険代で収益を出す。 最初は設営スタ

「!」の効用。

先日行きつけの美容院に行ってカットをお願いしたとき、髪をクリップで留めていた美容師のお姉さんから言われた。 「おでこ、狭いですね!」 生まれてこのかた全く気にしてこなかった。 しかし美容師さんの語尾は強かった。 「言われないですか?だいたい普通の人の3分の2くらいですかね!!」 そこまで言われると気になってくる。語尾を強くした理由。 連れられたシャンプー台に寝そべり、白木綿を顔に被せられている間に考えていた。 … 語源、根拠、ことば選び。 「ことば選びは慎重

呼吸を乱される。

色々な方のnoteを読んでいるうちに、呼吸を乱されることがある。 こんな経験はありませんか。 私の場合、小説ならばパラグラフ、エッセイでは綴られているメッセージを読んでいくうちに段々引きずり込まれていく。 息を飲むともなんだか違う。 息継ぎのタイミングを逃し、吐き出す息が立たないようにさらに吸い続けてしまう。 面白い文のまとまりを読み終え、次の段落に差し掛かった時には息切れ。 ぜーぜー。 面白い文章に出くわした時に出る症状である。 彼女にその話をしたら共感してく

風景描写の手習い。

私事ながら、じきに誕生日を迎える。 まだまだやるべきことが山ほど残っているのに、それをあざ笑うかのように時間の神様は無常にも年月を早送りにしている。 私の顔つきはまだどこか幼く、ときに仕事やらで難題に差し掛かるととたんに眉間にシワが寄る。休日はだらしない格好で雑踏へカモフラージュしてしまえば、まだ大学生でも通せそうだ。 夜。そんな事を考えていると、遠くで塾帰りだろうか、小学生らしき集団の声が聞こえる。 「じゃあ先に行くぜー!」 「えー待ってよー!」 その掛け声にしば

しゃもじを知りませんか。

目立たないけど無くてはならないものが消えるって、結構重大だと思う。 昨日からしゃもじが見当たらない。 白いプラスチック製の、何の変哲もないしゃもじ。 おーい、どこにいったんだー。しゃもじ。 しゃもじとの出会いは3年前。 今の家での一人暮らしを始めて最初に買った炊飯器の外側に、申し訳無さそうにひっついていた。 計量カップは釜の中に大事にしまわれていたのに、 あなたは側面にテープでピッと、縁まで緩やかな背をこちらに向けて。 ただただ炊きたての白飯をほぐし、一途に茶碗に

諦め続けた結果。

1月27日金曜日。夜10時。 今は某カルディで注文した赤ワインを飲んでいる。 普段ワインは飲まないが、ふと今日衝動買いをしてしまった。 これは自分への「とりあえずお疲れ様」の意味で買ってあげたようなもの。 今の仕事を諦めた。 今月末で退職する。 4年半在籍した。 途中、部署異動を2度した。 全くやったことのない仕事。 営業志望で入社したが、早々に会社から適性がないと諦められた。 異動の表向きは欠員補填だが、事実そういう理由だ。 その後も藻掻いたが、こちら

服選び。

服を選ぶのにいちいち戸惑う。  先日ネットで春物のジャケットを探していると、つい気が大きくなってしまい、いつしか近くのショッピングモールをブラブラしていた。 服を買うのは年に1、2度。たぶん、他の男性より少ない。 ネットで気になる服を見つけても、 「今はまだ季節的に早い」 「次のセールで安くなるまで待とう」 「いやいや、そもそも他に買うべきものがあるだろ」 と思考が巡り巡って買うのを止めてしまい、欲しいものリストに入れたのも忘れ、その季節が過ぎる。  ショッピングモール

回転扉とロッキー。

先日、あるお店の退出時の出来事。 お会計を済ませてお店を出ようとすると、前にいたおばあさんがお店の回転扉の前で立往生していた。 シックで若干年季の入った感じがするが、しっかりと自動で回る回転扉。 店員がすぐに駆け寄り回転扉の速度を落としておばあさんをエスコートしていたが、おばあさんは扉に入ったもののそこから上手く外に出られずそのまま1周して戻ってきた上、急に立ち止まってしまい後ろに迫りくる扉にぶつかってしまった。 慌てた店員の気遣いをよそに、「年寄りには難しい作りねぇ

泣きの一杯。

赤羽といえば都内随一の飲み屋街である。 通称「センベロ」:1000円ほどの料金でベロベロに酔えるお店のこと。 財布のガマ口がより厳しい時代にありがたい料金設定である。 もう何年も前の話、大学時代の旧友4人で赤羽のスナックに行って人生相談でもしてみようと計画。 20代半ばで皆が藻掻き苦しんでいた頃、なんとかして人生のヒントが聞けないかと画策して、勇気を振り絞りその昭和感たっぷりな重い扉を開けた。 薄暗い店内にはバブルを思い出すシャンデリアに壁一面の名札付きボトルキープ

ぱなしのはなし。

今回は自分のことを少し。 恥ずかしながら、子供の頃からとにかく一度手を着けたらそのままにしっぱなしが多い。 帰ってきたら服は脱ぎっぱなし。 お菓子の空袋はテーブルに残りっぱなし。 食事を終えた食器は容器に浸かりっぱなし。 貯めに貯めた洗濯物は洗濯機に入れっぱなし。 干したら干しっぱなし(この季節は天気が不安定で雨に振られる災難によく会う)。 夏の外出時の出窓は開けっ放し。 はさみなどちょっと使った物は出しっぱなし。 予約番組を観終わったテレビはつけっぱなし。

夜が落ちる。

生活をしていると時として思いがけない出会いがある。 水曜日、寝つきがどうも悪く深夜3時過ぎに起きた。 もう一度寝るのはもう厳しいので仕方なくラジオをつけると、ある曲が流れてきた。 天空橋に / 空気公団 ヘッドホン越しに聞こえたこの曲に上半身が鳥肌に包まれた。 イントロが長く、はじめ深夜クロージングのインストゥルメンタルかと思って聞いていた。 「クロージングにしてはやけに真夜中にマッチしているな…」 とぼんやりと考えていると、やがて歌い出した。 その瞬間、夜ではなく