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服選び。

服を選ぶのにいちいち戸惑う。

 先日ネットで春物のジャケットを探していると、つい気が大きくなってしまい、いつしか近くのショッピングモールをブラブラしていた。
服を買うのは年に1、2度。たぶん、他の男性より少ない。

ネットで気になる服を見つけても、
「今はまだ季節的に早い」
「次のセールで安くなるまで待とう」
「いやいや、そもそも他に買うべきものがあるだろ」
と思考が巡り巡って買うのを止めてしまい、欲しいものリストに入れたのも忘れ、その季節が過ぎる。

 ショッピングモールのコンコースを歩き始めるとなんだかワクワクする。これも気が大きくなっているせいだ。普段は絶対身に付けないブランドのお店も、20〜50%OFFの表記が目に止まると立ち入ってしまう。

 あるお店のディスプレイのマネキンが羽織っている黒ジャケットが目に留まり入ってみる。
 ニットのセーターや厚手のコートがクリアランスセールで売り出されているのを見ると、ついこの前衣替えをしたばかりなのにもう季節の変わり目か、と何となく襟元に付いた値札タグをひっくり返す。

 暫しお店の中を時計回りにパトロール。
本来色んなものに目移りしてしまう性分、気が付くとインナーや靴下を手に取っていた。

「いかんいかん。今日はジャケットを探しに来たのだ。」
気になった薄いストライプの入ったものを2〜3着。
値段も想定の範囲内だしどれも着こなせそうだが、中々決めきれない。

「内ポケットがない、袖のデザインがしっくりこない、丈がXLサイズしかない…」
 そうこう理由をつけて躊躇っているうちに、一旦お店を出てしまった。

30分もいて何をしているのだろうか。
こういうとき、このために費やした時間の消費をいちいち気にしてしまう。

先日読んだ岡部伊都子氏の随筆に印象に残っている項があった。
おそらく学生からだろうが、「個性的な生き方をするにはどうすればいいか」との質問を受けて驚いたとのこと。

 きけば、自分の服一つでも、いつだれかの判断がないと決められないのだそうだ。それではどんなに立派な身なりをしていたって、それは、着ているとはいえまい。着せられているのである。

 自分で自分に責任を持つこと。自分の責任によって行動し、未来をひらいていくこと。自分で新しい自分を発見し、創造すること。

 すべてを、自分から出発させ、自分にもどすところから、個性的というに足る思考や行動が生まれるのではないだろうか。それはけっして、人目にたつことや、人に自分を押しつけることではない。自分のなかにうごめくさまざまの要素の、どの要素を選んで進んでゆくか。

 一枚の服を選ぶのにも、自分は露われる。

岡部伊都子「美を求める心」講談社文芸文庫 P236

服選びはむつかしい。

少し大それたことを言うが、人生は決断の連続だ。
大きなことから小さなことまで、数ある選択肢から自分の頭で考えて決めていく。そこに、自分の個性がおのずと付いてくる。

責任を持つことはとても怖いものだ。
失敗するかもしれない。変な目で見られるかもしれない。

でも、そこでむしろ開き直って「これもありじゃん?」と考えられるようになれれば多少は心に余裕を持って決められるようになる。

もちろんあっちのほうが良かった、と後悔をしてしまうこともあったが、過ぎてしまったことは仕方ない。しゃーない精神。

  結局私は店に戻り、悩んでいたジャケット1点とインナー、そして靴下を買った。

おや、全部やないかい。

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