見出し画像

孤独を突き進む覚悟

何かを始めるとき、ひとりではできない。

この文章を書き始めるついさっきまで、そう思っていた。しかし、それはどうやら違うようだ。

新たに挑戦を始めるのは不安だし、怖い。だから道連れが欲しいという気持ちになっているだけだということに気づいた。

不安で怖い道のりをわざわざ好んで付いてくる奇特な人、そういるもんじゃない。そんな人はひとりでもうとっくに目標に向かってひとりで突き進んでいるだろう。

そう、何かをやりたい。成し遂げたい。と思っている人はもうすでにひとりで始めているのだ。

振り返ってみると、ここ3年くらい常に仲間を探して、一緒に新しいことに挑戦する同士を探していた。

3年…。考えると恐ろしい。目の前に現われもしない「同士」という幻想を追い求めて1,100日近くも過ごしてしまった。

さっさと自分ひとりで始めておけばよかった。

2016年にフリーライターとして開業した時、紛れもなくひとりだった。取引先もなければもちろん仕事もない。

ただ、自分で切り拓いていくような感覚が楽しかった。

しかし、元来の寂しがりやな性格から「一緒に成し遂げる相手」を常に探し求めていた。

「一緒にやろう」と声をかけるもうまくいかない。

この人のために、この人と働きたい

いま、私に対して「この人のために」と思って働いている仲間は存在しないと思っている。もしいたら申し訳ない。しかし、実感が無いのだから仕方がない。

私のことを「この人と働きたい」と思ってくれる仲間は数人いるかな。と感じている。勘違いだったら、これまた申し訳ない。

つまり、「この人のために」とか、「この人と働きたい」という器量をもつ人材に私自身がなっていないことが原因ではないかと改めてそう思わされた。

なんだか3年くらい前にも同じようなことを言ってた気がする。

人は油断すると繰り返す生き物であり、本当に心の底から懲りて、懲りて、懲りまくらないと「変わりたい」という気持ちにならない。

切り口は違えど、見事に恐ろしいくらいに今と同じようなことを言っている。時の流れの速さが本当に恐ろしい。

こうやって、歳を重ねて終わりに近づいていくのです。

そろそろ本当に気づかないと手遅れになる。もう手遅れがちかもしれないけど、生きている限りチャンスはあるから、また挑戦する。

そして、明日は早起きしてひとつでもいいから、その一歩を踏み出そう。いつもどおりの毎日から脱却するために、今日はもう寝ることにしよう。

月末に新しい挑戦、リベンジをすると9日のnoteで書いた。スタートまであと2週間を切った。

今日、その意思確認として改めて自分と向き合ってみた。

ワクワクする気持ちと、また挫折するかもというモヤモヤ感だったり、ビビってる自分もいたりして、その感情の揺さぶりを観察するのもおもしろい。

明日の自分に期待して今日を終える。明日からの自分がとても楽しみだ。


それでは、今回はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?