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これまでの経験から自分にできることは

編集者時代に一番仕事の喜びを感じたことは、担当した広告や記事が毎月雑誌となって、世の中へ流通しているということだった。

雑誌編集の仕事は、クライアントとの打ち合わせ、イベントや街頭での取材、そして、デスクワークで編集作業を日々おこない、締め切り前は徹夜となることもあった。

自分が撮影した写真や、考え出して練ったキャッチコピー、稚拙ながらも一生懸命書き上げた文章。

これらが毎月書店やコンビニに山積みとなっているのを見て、自分が社会から認められたような満足感を得ることができた。

それと同時に、存在感や達成感も満たされていた。

主に特集記事などの読み物記事は、緊張感やプレッシャーを感じながらも向上心を持って仕事に打ち込んだ。

そして、読者やクライアントから記事の内容に喜んでもらえた感想をいただいた時は、もっと良い文章が書けるようになりたいと熱が入った。


社会不適合者ではないだろうか


僕は正直、仕事が嫌いで、社会不適合者ではと悩んだ時期があった。

どうして仕事が嫌いなのだろうかと考え、結論を出した。

それは、失敗から評価が下がる事を恐れており、高慢で人を見下して反発心が強いので、組織に従属する事を拒んでいるという原因であった。

しかし、これらは本当の理由であるのだろうか。

いや、そうではなかった。

本当は会社の末端にいる事が耐えがたいのだ。

僕は仕事を通して人との信頼関係を築き上げ、自己啓発の場としてスキルアップ出来る事に喜びを感じていた。

だが、いつしか理想と現実の狭間に苦悩し、現状打破できない状況を、環境や他人のせいにして疎んでいた。

そして、自らの理想を追い求めながら、努力をすることの継続から逃げているだけという事実を再認識させられた。

これが、僕が今まで会社勤めをしてきたことに対する結論である。


僕は自分の弱さを知っている

僕は自分の中にある弱さを知っている。そして、弱いから弱者の気持ちが分かる。

弱者の味方でありたい。弱者が輝けるようなステージを作りたい。もしくは、弱者が希望を持ってくれるような存在になりたい。

まあ、それすら奢りであるし、高慢なんだけど。キレイゴトだと罵りたければ、そうしたらいい。

やみくもに射幸心を煽るような言葉や、攻撃的な言葉で注目を浴びようとは思わない。

注目を集めたもの勝ちなのであれば、それでもいいかもしれない。でも、それは一過性なものであり。必ずメッキが剥がれると思っている。

そう、これは挑戦なんだ。


それでは、今日はここまで。

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