ACPとミハイル・バフチン


 ある人から勧められた書籍「生きることとしてのダイアローグ バフチン対話思想のエッセンス」(著書:桑野隆)の帯には、「ロシアの思想家ミハイル・バフチンの対話思想の要点をわかりやすく解説」とある。私には、難解である。


 バフチンの対話論は、昨今実践的な広がりをみせ、教育や精神医療、介護、異文化交流など多様な場で生かされるようになってきている。
 
 その難解な文章からでも、納得する発見がいくつかあった。
「生きるということは、対話に参加するということ・・」
「生きた人間を、当事者不在のまま完結させてはならない。人間は生きている限りは、自分がいまだ完結していなこと、いまだ自分の最後の言葉を言い終わっていないことを生の糧としているのである。」
 
 私は在宅医療に携わる傍ら、ACP(アドバンスケアプランニング)「人生会議」を本人、家族、医療・ケアチームと共に行うことがある。
 ACPとは将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスのことである。
 
 バフチンの言葉から、患者との対話で生かされると気づかされた。
対話とは、やりとりをすることであるが、対話が終わっても実際は終わっていない。
生きることが対話に参加していることであり永遠につづいていく。
患者の存在に対し敬意をもって接し、自分の思い通りに都合よく理解しないこと。
「言葉とは、わたしと他者とのあいだに渡された架け橋である。その架け橋の片方の端をわたしがささえているとすれば、他方の端は、話し相手がささえている。言葉とは話し相手の共通の領土なのである。」
語りあうことが不可能になれば、他者はだまりこみ、自己を閉ざしてしまう。

 患者には、自分でも意識していない言葉があり、それには終わりがない。
本人の意思を確認するには、全員で対話の場を支え、、眼、唇、手、身体、精神などの情報を得て、繰り返しただ対話を続けていく。
 本人主体の意思決定のプロセスの意味を深めるためにこの本との出会いが、患者との対話の視点を振り返る機会になった。
 最後に、私がこの対話的関係を正しくとらえているのか疑問を残しつつ「人間は生きている限りは、自分がいまだ完結していない・・」ため、未来の自分の変化を楽しもうと思うこの頃である。

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