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音楽は、人生という航路を帆走してくれる。

14歳くらいから“さだまさし”を聴くようになった。

時は光GENJI 全盛期、さだまさしが好きだなんて大ぴっらには絶対言えなくて、こっそり夜な夜なラジカセでテープが伸びるくらい聴いていた。

そもそも“さだまさし”が好きなのは母だったが、そのうち家にあるさださんのカセットは全部、私の部屋に集まるようになった。
寝る前に、親に気づかれないよう最大限に音量を絞って、耳を寄せるようにして聴くのが、その頃の私のなくてはならない時間だった。

高校を卒業して親元を離れ一人暮らしを始めてからは、中島みゆきにどっぷり浸った。
北国の一人暮らしで、あの頃聞いていた中島みゆきの曲は、今でも特別に胸に響く。

しかし十数年前からドイツで暮らすようになって、パタリと音楽を聞かなくなった。
すぐに子供が生まれて心の余裕もなかったし、単純に音楽は子供の昼寝の邪魔になった。
夫が持っていたオーディオ機器は、扱いが複雑で自分で音を出すのが難しく、そこまで苦労して聞くガッツもなかった。

そのうちに時は流れ、気がつけばCDを買って音楽を聞く時代は終わっていた。

ダウンロードして聞く方法を、恥ずかしながら習得したのはついこの前(汗)のことである。    

そのキッカケもずれていて、YouTubeの動画視聴時に、突然挟まれる広告動画がどうにも気に障って、思い切ってYouTubeプライムに加入することにした。そんな理由で、

「ひと月1500円もかけてしまっていいのか?」

と自問自答した。

ところで、自分はいったい一日何分 YouTubeを見てるのか?
改めて考えてみた。
お恥ずかしながらかなり見ている・・・。

以前なら本を読んでいた時間とか、本当はちゃんと家事をした方が良い時間、勉強する時間、全部うっちゃって、なんだかんだ見てしまっている・・・(現実逃避)。

わずか数秒の広告だけど、それらの時間を寄せ合わせて×30日にしたらざっと計算しても、映画一本観る以上の時間だ(1本で収まるかな・・)。
“塵も積もれば山となる”である。

無理やり見たくもない広告視聴に、そんな長い時間が消費されている....
となれば、なんだか月1500円払っても良い気がした。
何も娯楽目的の視聴だけでなく、YouTubeでドイツ語学習もしている。

今は、質の高い様々な語学学習用の動画を無料で見て独学できる。
すごい時代になったと思う。
だから集中している時に、突然無関係な広告が入ってくるのは非常に困る。

YouTubeプライムに格上げになってから、しばらくは快適な視聴を続けていたがようやく、特典としてYouTubeミュージックが使えるということを理解した(汗)。

そこからは、自分でも驚くくらい音楽を貪り聞いた。
そして初めて、自分がとても音楽に飢えているということに気がついた。

さだまさし→中島みゆきで始まった音楽の好みは、ほとんど流行を無視、むしろ逆行して親の世代の音楽を偏好していたし、私の音楽シーンは2000年代で止まっていた。
だがドイツで再び音楽を聞き始めて、YOASOBIやSEKAI NO OWRIの世界観に圧倒された。
そこから色々、日本で注目された最近の曲を先入観なしで聞き始めた。

前から薄々分かっていたけれど、ある一定以上の大衆に評価されたものというのは、十分に知る価値が有るということ。
それを、今回深く実感し同時に自分の偏狭さを反省した。

良いものは、おおむね誰にとっても良いんだ。
いや、きっと、人の心の琴線に触れる何かがそこに在るからこそ、多くのひとに受け入れられていくのだろう。

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外国暮らしが長くなった今の自分は、音楽の受け止めかたも、日本にいた頃とは違う気がする。
同胞が作った音楽は、もっとスッと入って心に沁みる。

YOASOBIの幾田りらさんが、まだハタチそこそこの年齢と知り、その若さで堂々と力強く表現する力に惚れ惚れした。

言葉にすれば月並みになってしまうが、彼女の作る曲に励まされ嬉しくなって、自分へのエールのように感じてしまう。

ここに書くのは恥ずかしい感情だが、若いころの自分なら、そういう才能を持った若いひとにどこかで嫉妬してまって、素直に音楽を聞けなかったかもしれないなぁ...と思う。

年齢を重ねた今、
才能の重さも、才能ゆえに存在するだろう苦悩も想像できるようになった。
多大な努力と、葛藤と闘い、莫大な個人の時間を経てひとつの曲という形になっていること。

だから、その才能から絞り出されたモノを聴かせて貰っているんだと感じる。

***


ところで、作曲と作詞と、ひとはどちらに魅了されてその曲を聴くのだろうか?

話しが少し逸れるが、
「和語(大和言葉)は語彙が少ない」ということを知った時にいろいろ納得した。

語彙が少ないということは、一つ一つの単語に色々な意味をこめることができる。
俳句や短歌のわずか17字、31字のなかで、ひとつの世界を描けるのは、言葉にいろいろな意味を入れることが可能だからだ。
そして日本語は、わざわざ単数か複数かを明記する必要がないなど、曖昧な表現が文法上可能であり一つの言葉の幅が広く深い。

私は日本語の持つ、その曖昧さに惹かれる。
これは外国暮らしのなかで自覚したが、日本語という言語の持つ表現力、情緒・情感が堪らなく魅力的に感じる。

再び音楽を聴くようになって、歌詞という“詩”と、その言葉を運ぶ旋律を聴く時間は、物事を思索するための大きな力になるということを知った。

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そして、音楽は苦しいこと、悲しいことに向き合う勇気をくれる。
音楽の持つエネルギーが、聴く者の内側に溜まっていくからだろうか...。

自分を励まし、音楽の世界に思いを馳せることは、私を自由にさせてくれた。

結婚した相手がたまたまドイツ人で、その流れでドイツに住んでいた私は、夫と別居して真剣に子供と一緒に帰国することを考えた。
ずっと不本意にここに居る自分があった。

けれど様々なことを考えて、子育ての期間はここに、ドイツに残ろうと決めた。
それでも時々自分が囚われの身であるような感覚に陥ることがある。
そんなときに、プレイリストに集めた音楽たちが私を支えてくれる。

You know,whenever I’m feeling stressed or sad,I like to listen to music.
so I made you a playlist.
ストレスを感じたり悲しい時は音楽を聞くんだ。
だから貴方にプレイリストを作ったよ。

これは、Netflixオリジナルドラマ「ヴァージンリバー」の中のセリフだ。

事故に遭いICUで治療中の妻を案じる、高齢の夫に村の若い女性がプレイリストを作って来てくれる。イヤホンを分け合って一緒に音楽を聴きながら、ふたりとも涙ぐむ。

オールディーズを一生懸命集めて、病院まで届けた彼女の心遣いも、思い出があるだろう曲を聴く夫の心情にも心打たれた。
普遍的な、人間の心模様がその短いシーンに描かれていた。


人生には様々な予期せぬことがある。
やはり月並みにしか書けないが、
私たちの人生に帆走してくれる音楽の偉大さを噛みしめながら、今日も心躍る曲を聴いていたい。


2021年11月10日(水)

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