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猫と暮らす:番外編 【もうひとつの猫の姿 〜野生を伝える】

うちにいる3匹の猫たちは外を自由に闊歩できるので、時に思いがけないことを引き起こし我々をドキドキさせてくれる。
日常にスリルが満ち満ちているのは、彼らの存在ゆえだ。

前回、「プレゼント問題」について記し忘れたので書いていきたい。
㊟グロテスクな内容を含みます。

猫のプレゼントの種類について

夏に玄関ドアの横に“猫ドア”を設置してから、彼らがプレゼント持参で帰宅する率は格段に下がった。
ベランダの戸をほぼ開けっ放しにしていた頃は、持ち帰り放題だったので、ドキドキ率は下降線を辿っている。

それでもよくあるプレゼントは、だんとつで “野ネズミ” 。
体調10㎝に満たない、茶色の野ネズミだ。
おそらく名作絵本「ぐりとぐら」のモデルになった動物。
あの絵本を、私はもう無邪気に音読できない。

我が家に来る野ネズミの様態は、
“生きている” と “死んでいる” の二種類。
生きている場合は、普通に元気でケガもないので室内を、必死に逃げまわる。

ある時自室でくつろぎ中、
(布団に寝ころんでいた)突然「カサッカサッ!」という音が聞こえてきた。

「えッ!?」と青くなる間もなく、部屋を走り抜ける茶色い影・・・
これは絶叫ものだった。
くつろぎの自分の部屋に、まさかそんな小さな生き物が不法侵入しているとは思いもかけず・・・。

ちなみに私の部屋は「猫立ち入り禁止」にしており、いつも扉は閉めている。たぶんドアの隙間をくぐり抜けて、潜んでいたのだと思われる。
突然入ってきて、くつろぎだした私の気配に驚いたのは、むしろ向こうで慌ててまた逃げ出したのだろう。

野ネズミは、もちろんすばしっこい。
とうてい私が追いかけて捕まえられるものではない。
右往左往する私を横目に、あっと言う間に捕まえるのを見て、改めて猫の敏捷さに舌を巻いてしまう。
如何に人間の私が、トロイ生き物かということも再認識できる。

活きがいい場合は “ 猫の手を借りて ” 捕まえて、庭の安全な場所に放してやる。
猫の手を実際に借りれるのは、こういう機会のことなんだなぁと実感。

発見時すでに息絶えている場合は、庭の端の茂みに置いて(放置して)お仕舞だが、困るのはそのどちらともつかない場合だ。

ネズミを救助できる時できない時


猫という捕獲者は、殺すときはたぶん一瞬で仕留めるのだと思う。
傷を負って死にかけている状態で発見することはほとんどない。
そして野ネズミのような小動物が、何十倍も大きい猛獣に捕まえられると、
「ショック状態」になる場合がある、ということを知った。

ある雨の降る暗い午後に、リビングの絨毯の上に野ネズミが転がっていたことがあった。
一目見て死んでいると思ったが、持ち上げると呼吸している感覚が伝わってきた。

㊟素手では掴みません。必ずキッチンペーパーを重ねて持っています。

文字通り「濡れ鼠」状態で、ほとんど死にかけているように見えた。
しかし体を注意深く観察しても、どこからも出血はしていないし噛み傷も見当たらない。
でも目を瞑りグッタリしていて、助かるような雰囲気にはとても見えなかった。

いちおう私は看護師である。
「見捨ててはいけない」と職業意識がムクムク湧いてきたので、限られた医学知識を総動員して考えてみた。
グッショリ雨に濡れていたので、低体温と襲われた恐怖によるショック状態くらいしか思いつかない。。。

それに外は雨が降り続いている。
こんな身動きとれない小さな生き物を、庭の例の一角に放置したら、ますます体温が下がるだろうし、うちの恐ろしいハンターが臭いを嗅ぎつけて来てしまうかもしれない・・・。
道義的にみてもハンターの飼い主として、助ける義務があると思った。
できたら救命もしたいと、看護師の血が騒いだ。

でもどうやって?
私ができることは限られている。

「The 保温」

ちょうど家にあった小箱に、湯たんぽを入れる。
その上に、ドライヤーで温めたタオルに濡れ野ネズミを包んで、そぉっと入れてみる。
箱に蓋をして、猫の手が届かない静かな場所に置いて様子を見ることにした。

数時間経って、恐る恐る覗いてみた。
濡れていた毛はすっかいり乾いて、フカフカで丸っこい普通の野ネズミの姿に戻って、元気に動き回っていた。
おまけに、箱の隅に娘が入れたナッツも少し齧られて転がっている。
あんなにグッタリして死にそうに見えたのに、と大変感動した。
保温ってやっぱり大切なんだなぁ・・・とあらためて勉強になった。

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この経験から、何度かショック状態の野ネズミを助けることができた。
Amazonで注文して手ごろな大きさの箱が来たら、捨てずに置いてある。

ネズミ救命箱、いやMICU(ネズミ集中治療室)かもしれない。

一度だけ、やはり「これはもう無理かも・・・」という子を箱に入れたが、この子は次に見た時は死んでしまっていた。
あと一回は、ハンターから取り上げた時にそのまま私の手の中で息絶えたことがあった。

努力呼吸という顎でする末期の呼吸をしながら、最期に目を開いて私を見て、そして数回痙攣し失禁してすぐにこと切れた。
目が合ってしまったこの瞬間のことは、忘れられない。
小動物も、同じ命だと思った。
生物的な反応が、人間の臨終と同じだったことに厳粛な気持ちになった。

その他のプレゼント

捕獲してくるのは、ほとんどが野ネズミだが、一度だけかなり大きなものを咥えて帰ってきた時は、心底驚いた。
尻尾の先まで長さにして20㎝はあった。
リスのような尻尾とネズミのような顔をしている。
調べるとドイツ語で「Siebenschläfer 」という生き物で、保護動物に指定されている。

※日本の ヤマネ の仲間
英語では、ドーマウス(dormouse)
ルイス・キャロル著『不思議の国のアリス』に登場する「眠りネズミ」のことでもある。

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一度、我が家の屋根の下に住み着いて難儀したことがあった。やはりこの辺りが生活圏なのかもしれない。
もしかしたら猫たちは、アリスが落ちた穴を行き来しているのではないだろうか。。。

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小鳥の時もある。
週末に私が寝坊をして、朝ごはんをあげる時間が遅くなってしまうことがあった。
起き出して見ると、リビングの床に羽毛が散乱している。。。
嫌な予感がして見渡してみると、、、、、、、、、転がっていた。
それも首から下だけが・・・。

寝坊なんてせずに、二度寝してでも起きていつもの時間にご飯をあげるべきだった・・・と、反省した。
自分の過失で小鳥の命が失われたようで申し訳なかった。
これ以上にない、効果抜群の無言の抗議だと思う。

野ネズミも頭が無い状態で残りが、キッチンの私がよく立っている場所に置かれていたことがあった。
疲れきって帰宅して、その状態を発見してしまい、脱力から立ち治るのが難しかった。
なんの罰ゲームかと思うが、
たぶん「残り食べなよ」との、お裾分けの意なんだと思う。
わざわざピンポイントで置いてあるあたり、かなりメッセージ性が高いなぁと思ったが、欲しくないお裾分けナンバー1である。

あまり考えたくないが、どうも一番の好物は「脳」らしい。
脳は美味というではないか。
中国の高級珍味に「サルの脳みそ」というものがあるが、中国四千年の歴史が生み出した珍味。
猫も相当グルメだと思う。

「猫は味音痴」なんて言われてるが、どうもそうとも思えない....。
それとも脳はハイカロリーで、エネルギー補給に良いのだろうか....?

懺悔したいこと

こんな惨憺たる話を読み進めてもらうのがだんだん心苦しくなってきた....。
心苦しいのだが、苦しいついでに告白させていただきたい。

やはり野ネズミが、リビングのソファの下に逃げ込んだことがあった。
猫二匹も、ウロウロとソファ周辺を嗅ぎまわっている。ほおっておくと猫が捕まえて、いたぶり殺してしまうことがあるので、どうしても捕まえて逃がしてやりたかった。

ソファから追い出しを試みるが、全く出てこない。大きいソファの下のどこかにいるのは間違いないのだが、箒の柄を突っこんで追い出しにかかるが無反応。
最後の手段として、ソファを押して移動させることにした。これで出てくるはず。

かなり大きいソファなので「せぃーのー!」と掛け声をかけて、子供とグッーと押して移動させる。

いない・・・おかしいなぁ・・・?

と思って違う方角にまた押し動かす。すると、なんと下から仰向けにひっくり返った状態で出てきた。

腹部にクッキリと車輪のような痕が付いている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うぁぁぁーーー・・・・・! 
轢き殺してしまったぁぁ・・・・!!

こうして書きながらも胸が疼く。
もっとゆっくり動かすべきだったのだ...。
本当に申し訳なかったと思う。。。

猫との共生

猫のハンターとしての一面を書き散らしたが、海外では猫が生態系に与える影響が研究されている。

これは主に、野良猫や野生化した猫についてであるが、外を出歩ける家猫も関与しているはずである。


「猫が生態系を破壊している」という都市伝説が生まれる大きなきっかけとなったのは、2013年1月に公開された「アメリカにおける放浪猫が野生動物に及ぼす影響」と題された論文だと考えられます。

この外を自由に出歩くことのできる猫が、野生動物を殺して生態系に悪影響を及ぼしているという議論は、未だ決着を見ていません。

「反猫派」の人々は、「猫は毎年大量の野生動物を仕留めて生態系を壊している!」と主張しますが、「猫=悪者」という結論に向かって出来レースをしている可能性を否定できません。

一方「親猫派」の人々は、「猫は環境に無害である!」と主張しますが、それは猫に恋するあまりの盲目現象なのかもしれません。
真実はおそらく、両者の中間のどこかにあるのでしょう。

出典:子猫のへや

猫の習性として、たとえお腹が減っていなくても「動くものに反応する」という狩猟本能がある。

これをある程度抑えるのに有効なのが、
「家庭で狩りの真似を取り入れた遊びをする」というものがある。
オモチャを使って、飼い主と遊ぶことで狩猟本能を満足させ、外で狩りをする率が下がるそうである。

猫が人間と暮らすようになっておよそ1万年くらいだそうだが、原種のリビアヤマネコから現代のイエネコまで、ほとんど猫は進化せずに人間と共存している。
進化を続けた犬との大きな違いである。

猫の魅力は、この野生を留めているプリミティブさにあり、そんなところに惹かれるひとは多いと思う。

西アフリカでの体験

人類は長年「Working Cat」としての猫と、持ちつ持たれつの関係で暮らしてきた。
家畜農家では、現代でもネズミ駆除のために猫が飼われていたりする。

ネズミは伝染病を介在し、貯蔵した穀物などを食い荒らすので忌み嫌われてきた。
現代においても、このネズミがもたらす病気に非常に気を付けて暮らさなければいけない地域がある。

私がMSFで派遣された西アフリカの風土病、
「ラッサ熱」だ。

ラッサ熱は、西アフリカ一帯にみられる急性ウイルス感染症であり、いわゆるウイルス性出血熱4疾患の一つである。
“ラッサ”とは1969年に最初の患者が発生した村の名に由来する。
ラッサウイルス(Lassa virus)はアレナウイルス科に属し、自然宿主は西アフリカ一帯に生息する野ネズミの一種であるマストミス(Mastomys natalensis) である。

             NID国立感染症研究所


西アフリカにあるリベリアに派遣前と、派遣中に発生時の感染対策のレクチャーを受けた。
現地ミッションのトップは、ラッサ熱発生を常に警戒しており、同国における患者の発生の有無についての情報を収集していた。

致死率20%以上のラッサ熱は、エボラ出血熱と同じく「1類感染症」に分類されている。

そのような背景があるため、ネズミは忌み嫌われており、ミッション地でも猫が飼われていた。

私はクリニックの、薬局兼貯蔵庫の管理も任されていたため、中を荒らすネズミの駆除に頭を悩ませたことがある。

点滴が入った袋を噛みちぎり、液体がもれる。
栄養失調の治療に使われる補助食、これは高カロリーのピーナッツバターで、小さな袋に入っており直接口を付けて中身を吸って食べられる。調理の手間も食器も要らず非常時にとても役に立つ。
これも当然、ネズミの好物になる。

大切な日本食の袋麺を齧られた!と憤慨していた、日本人NGO職員の憎々し気な表情も忘れられない。

ある時、この貯蔵室の物品の隙間で、ネズミが出産しているのを見つけた。
6、7匹の小指半分くらいの大きさの、まだ毛も生えていない、ピンク色をした赤ん坊ネズミの処置に困った。

母ネズミは逃げたので、放っておいても死ぬだろ...。
しかしジワジワ衰弱死させるのは、いかにも酷な気がした。
母ネズミを求めて、小さな声でチューチューと鳴く声が切ない。

私がとった行動は残酷だった。

チームの猫を呼んで赤ん坊ネズミを見せた。
猫は何の躊躇もなく、1匹ずつムシャムシャと食べだした。

酷いと自覚していたが、そこに残って最後の1匹が食べられるまで、見ていないといけない気がした。
一心不乱に食べ続ける猫と1匹ずついなくなる子ネズミたち。
生きながら食べられるって、どんなことなんだろう....と思ったことや、無駄に死ぬより猫の血肉になったほうが良いだろう....と考えたことも覚えている。

満腹した猫はすぐに立ち去り、さっきまで蠢いていた小さな生き物は影も形もなかった。
血の一滴も落ちていなかった。

私がアフリカを思い出すのは、こういう一コマだったりして、鮮やかな光景として蘇ってくる。

“日常という現実の重み” みたいなものかもしれない。
私にとっての日常とは、グロを含み、予期せぬことが起こる悲喜こもごものものだと、猫と暮らす中で気づかされる日々でもある。

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ネズミに悩まされた薬局
無線機の上で眠る子猫
㊟ネズミを食べた猫ではありません

記事後記

6000字超えの長文を、最後までお読みいただき有難うございました。
書きながらペットとしての愛される猫とは違う一面を、普段はあまり意識されることがない姿を書きたいと思いました。
おそらくその様な猫本来の姿は、人間の生活中心の中で忘れられつつあると思います。
しかし猫は、今でも野生の血を色濃く留める、優秀なハンターです。
1万年の昔から人間との暮らしに共生しても、なお最初の姿を、性質を留め続けています。

私が夫との別居に際して、交通の便が良い場所への引っ越しを真剣に検討した時期がありました。
けれども同居する猫の暮らしを考えて、ここ以上の環境は無いだろうなぁと思いました。
近隣も外飼いをしているため、お互い様精神でトラブルもありませんし、安全で十分なスペースがあります。
猫がいなければ、母子4人で別の場所に暮らしていたかもしれません。
私がいまここに居て、日々巡る様々なことは猫のお陰だなぁと感じています。

また思いがけずリベリアでの想い出も辿ることができました。
久しぶりに当時の写真を見て、29歳だったあの頃の気持ちが溢れてきました。

noteに書けてよかったです。

リベリア人の同僚
村の子供達と
雨季は悪路に悩まされた




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