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草刈りとバッタ

先日、地域のボランティアに参加してきた。

じぃちゃん家の近くにある桜の名所。地域の方々で行っている庭園整備のボランティアにひょんなことから参加することになった。

担当したのは草刈り。草刈り機をブンブン言わせ、腰ほどもある草むらを突き進んでいく。

土をいじったことある人はご存知だろうが、この時期における雑草の生命力は半端ない。

根は深く、背丈はでかい。草刈り機でもなければやってられない。文明の利器万歳だ。

視界には空の青以外は立っている緑か、倒れている緑かしかいない。
そこをふと横切る新たな緑があった。バッタだ。

バッタが文字通り一生懸命逃げ回っている。

庭園整備のボランティア。人間様からすると褒められる行為だが、バッタからするとたまったもんじゃないだろう。

土色の巨人が身の丈のほどもあるノコギリを振り回し、住居を根こそぎ奪っていくのだ。

バッタに記録の文化があれば、歴史的な災厄として語り継がれていくはずである。

普段の私は部屋で虫を見かけても、ティッシュで優しく包み、外に逃がしてやるほど慈悲深い人間である(ゴキブリと蚊はごめんなさい)。

逃げ回るバッタを見た瞬間、すごく心が痛んだ。

しかし、草刈りはせねばならぬ。スピードをゆるめ、逃げる猶予をしっかり与えながら進んでいく。

ちなみに私の良心が傷んだ後も、相変わらず隣りの爺さんは私の3倍の速度で突き進んでいる。そのジャケットは赤であった。

半日もすれば草ボーボーだった庭園はツーブロックのようにすっきりになった。主に爺さんたちのおかげだ。

可能な限り事故を起こさないようにしたつもりだが、犠牲になったものいるだろう。

本当にすまないバッタ。

「ご苦労さん」と笑顔で爺さんから渡されたあずきバーの硬さも相まって、私は草刈りが一層嫌いになった。





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