スイーっと時空に乗って
夢で未来を見てしまうことが普通なことだったらいいのに…
…そう思ってた、子供の頃。
何度も何度も見る夢が実際に目の前で起きて現実となった経験はおありだろうか?それが現実となった時、私はビックリ!などしなかった。
それはもの凄い恐怖となって襲ってくる。
「予知夢」なんていう言葉も知らない子どもだった。
20代半ばの頃、ひとりでスペインの南部、アンダルシア地方を旅していた頃のこと。私は幼い日々にたまに見ていたこの「予知夢」のことをすっかり忘れていた頃のことだった。
フラメンコの超一級の踊り手と言われたカルメンアマジャが住んでいたと言われるヒターノ(ジプシー)たちの居住地(サクロモンテの丘)を三人のおともと共に歩いた。その中の一番年少のヒターノの子ども、少年ハコボから青い小さな花を一輪もらった。道端でママへのプレゼントに摘んだ花束から一輪抜いて私にくれたのだった。
私はホテルに戻るとその一輪の花を洗面所にあった透明なガラスのコップに活けて写真を撮ることにした。少年との思い出にしたかったのだ。
ところがファインダー越しにその花を見た瞬間、全身に衝撃が走った。
私は以前にもこの花をコップに入れて一輪だけの写真を撮ったことがある…だけど、なぜだ…そんなはずはない。なぜならそんな花を日本でみたことがないからだ。
私は恐ろしくなって撮るのをやめた。
…そんなはずはない。
きっとなにかの記憶違いだろうとその時はやりすごした。
ところがその後、このアンダルシア地方の旅では合計6カ所ほどで夢の通りのできごとが起きた。もう、最後の三ヶ所では次に何が起きるかわかっていて、トラブルを避けることができたりした。
最後の正夢となった場所は地中海側に位置するモハカールという町でのことだった。私の所持金は底をついていて日本円にして1万円ポッキリしかなかった。その町から首都マドリッドに戻る交通費は別に残してあるものの、その町に3泊しなければならない理由があった。
山側も海側も白く塗られた家々に覆われて、小さいけれどどこかリゾート地特有のゆったりとした優雅な時間が感じられて3日をそこで過ごすことに決めて宿を探した。
…が、流石にスペインといえど、この町に一晩二千円以下で止めてくれるような宿はなかった。マドリッドを出てから数ヶ月の旅の疲れが出て宿を探し回るのもそろそろ限界だった。小さいとはいえ、山側の宿をまわり、見つからず海側に降りたものの海側は山側よりもさらに宿代が高くてどうにもならない。
もう一度だけ山側に探しに行こうと思い疲れた脚で山側の坂を登っていった。
そしたら、さっき来た時は気づかなかったかわいい玄関の宿屋があるのに気づいて、取りあえず空室の有無と代金を聞いてみようとドアを開けてみた。
…まるで夢の中のような景色だった。
入った白い壁のホールにはピンクとグリーンのステンドグラスでできた窓からの光が色を空間中に満たし、ベランダへと開け放たれたドアからは真っ盛りに咲くブーゲンビリアが屋根から白い柱を伝って垂れている。その白いベランダと真っ赤に燃えるブーゲンビリアの向こうに広がる青い空と地中海のグリーン!
しばし時を忘れて思わずベランダに走り出た。
アンダルシアの旅の最後に相応しい宿!
後ろから声がして振り返ると女の人が立っていた。年の頃はだいたい40代かという少し小太りでせが低く、私と目線が同じくらい。…だけど笑顔の暖かい素敵な人っぽい印象をうけた。
宿が空いているか聞くと、空いている…と教えてくれた。
まったく運がいいという。この時期空きがあることはほとんどないそう。しかも私の希望している三泊とも一部屋空いているらしい。ただ部屋はツインでシングルベッドが2つ付いていて一泊が4000円だという。私は部屋を見せてもらった。
その部屋を見てまたまたビックリして思わず笑い出しそうになった…だってまた夢で見ていた部屋だったんだもん。ゴッホの糸杉の絵(ポスター)が金色の額に入れてあってベッドの枕元に飾ってある…ここだ!…そう確信した。
しかしながら一晩に使える予算は2000円が限度。それを超えたら飲まず食わずになってしまう。「あの〜〜、お金がないのです。ベッドは1つしか使いませんし、できるだけ汚さないよう使わせていただくので半額にまけてもらえませんか?マドリッドに戻る交通費以外にもう1万円しかないのです…と訴えた。
相当な必死さだったと思う。最後の砦だったし、ここを見た後で他を探す気にはなれないだろう…と思えたから。
でもそう甘くはなかった。
「半額なんて無理よ。他のシーズンならいざ知らず、今はハイシーズン。たまたま空いてただけなんだから…無理よ。残念ね…」
私はがっくしと肩を落とした。
頭には次の作戦など浮かんでこなかった…だからだろうか、もっと上に登って探すことも頭になかったのかなぜか来た道を下っていた。どこへ行けばいいのだろう…
トボトボと坂道を下っていくとさっきの宿の方が後ろから追いかけてきた。
「あんた、本当にお金持ってないの?」
私は黙って首からぶら下げた財布を引っ張り出した。
ティーシャツの中に貴重品…パスポートと現金はしまっていたのだ。
その袋からおもむろに一枚しかない紙幣を見せた。「私はまだ事情があってマドリッドに戻れない。あと3日他所で過ごさないといけない。都会の宿は高すぎるし、私はこの町が気にいってるし、休みたい」とこの通り言ったかもう定かには覚えていないが、私の途方にくれた様子に哀れを感じたのか「しかたない。今回だけだからね。三泊6000円でいいよ。」そう言ってくれた。
天使が居た…もう嬉しくて嬉しくて…。
そしてやっぱりこの部屋に私は泊まったのだ…という、確信に間違いはなかったことを喜んだ。
誰にでもあるのだろうか…
「予知夢」と呼ばれる正夢を見ることが…
本が一冊書けるくらい「予知夢」の経験をもつ私も最近ではすっかり見なくなった。ただの「夢」さえみないくらいだ。
若き日に何度も繰り返し見ていたあの夢たちは何だったのだろう。
そしてその経験ゆえに幼い頃から「時間」というものが私たちが知っていると思っている「過去→現在→未来」というものではないということを薄々気づいていた。
人はある時ある場所を無意識に移動している。
その無意識の「無」の最深部から送られてくる「創造」のエネルギーの波間を漂いながらいつのまにかスイーっと誰かとどこかにいるのだろう。
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