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愛と恋とどちらが勝つのか?1970年の国産車が凄い

注)

ここで言う新型コロナは70年発売の・4代目「新型コロナ」RT80系を指しており、すでに販売は終了しています。絶滅が近いと思われ、感染の恐れはありません。

大阪万博にほぼ国民の半数に相当する観客が押し寄せた1970年。日本が独自開発した人工衛星の打ち上げに成功して始まり、愛(のスカイライン)から恋(はセリカで)へと、コピーライトも大きく変容したのがこの時代。マイカーが普及するにつれ、クルマが増えることへの反発も目立ちます。銀座で始まった歩行者天国や牛込柳町で顕著になった鉛公害問題に光化学スモッグ。聴き慣れない言葉は大阪万博の会場の外でもたくさん聞かれました。

1970年、トヨタ、日産の中核車種が相次ぎモデルチェンジして大型化する。顕著なのはカローラに先んじた新型サニーの比較広告「隣の車が大きく見えまーす」だった。
ライバルの名前こそ名指ししていないものの、このフレーズが比較広告だと噛みついたのは誰だったのだろう?カローラも程なくしてサニーと同じ1200ccエンジンを搭載した新型にフルモデルチェンジする。
既にカローラ・サニーの熾烈な販売競争は始っていたが、カローラが反撃手段に選んだのは名前の違う兄弟車の投入だった。

カローラの販売店網は新しく組織されたカローラ店、他の系列では基本的に買えない。2年遅れで登場したスプリンターはパブリカ等を扱うトヨタオート店の専売車種とされていた。カローラには存在しないクーペ・ボディがセールスポイントだった。
このスプリンターとそっくり同じ車種が、カローラ店でも買えるようになったのが2代目20系カローラのトピックのひとつ。翌年にはスプリンターにも4ドアセダンが登場し、カローラの双子車であることが明確に。TE27、レビン・トレノという双子車もこんな経緯で生まれたのだった。

カローラと並んで販売の主軸、コロナも夏にフルチェンジ。あれ、2年前に出たコロナ・マークⅡは新型コロナではなかったのか?‥‥・マークⅡは実はコロナではなかったことが判明する。クラウンを扱わないトヨペット店では、コロナのほかにクラウンとの間隙を埋める上級車が求められていた(らしい)
あくまでトヨタの王道はトヨタ店のクラウン、だからマークⅡは一歩遠慮して最初1900ccという格下のエンジンで2000ccのクラウンに敬意を示した(のだろうか)やがてはコロナもマークⅡも遠慮なく2000ccエンジンを積むのだが・・・・

サニーが1200クラスに上級移行した陰には1000クラスの画期的な大衆車デビューという背景があった。ティーザーキャンペーンという発売前の気を持たせるキャンペーンが繰り返され、覆面姿の新型車が全面広告に登場した。日産チェリーという革新的な前輪駆動車だった。
それまでもスバル1000やホンダ1300などの前輪駆動セダンはあった、が日産が販売する量販車種となると失敗は許されない。まだまだこの当時の前輪駆動には技術的な課題が沢山あった。チェリーの解決法はイギリスの名車ミニに倣ったエンジン2階建て手法。前後長さをコンパクトに収める効果があった。

国内3位の座を競うマツダもカペラでブルーバード.コロナの1500~クラスに新参入、頂点は自慢のロータリーエンジンだった。4気筒に比べて軽量コンパクト、高性能なロータリー・エンジンでマツダは大きく躍進することを目論んでいた。カペラはファミリア、ルーチェの間を埋め、トヨタが揃えるカローラ、コロナ、マークⅡの各対抗馬が揃ったことになる。しかも最強のロータリーエンジンと言う切り札を揃えて。三菱で言えばコルト11F・ギャラン、そしてデボネアのフルラインだ。

70年代前半の大きな特色のひとつは2ドアクーペの台頭だった。4ドアセダンよりも低く精悍なスタイル、付加価値も高く販売店の利幅も大きくなる。大抵は2ドアセダンよりも人気で各社必ずと言っていいほどクーペ(HT)・ボディを追加したものだ。
年頭のホンダ1300クーペは顔つきからセダンとはがらりと趣を変え,CMには人気TVシリーズ「スパイ大作戦」の「フェルプス」こと、ピーター・グレイブスを起用して度肝を抜いてみせた。丹頂チックがマンダムと改称してチャールズ・ブロンソンを起用したのと同様CM界の話題をさらった。
夏までには松崎しげるが得意のハイトーン・ヴォイスで歌いあげたハードトップの中のトップ、ギャランHTが追加されローレルにもスカイラインにもコロナにも2ドア・ハードトップというスタイル優先のおしゃれなクーペが追加されていった。値段もセダンより数万円高く、付加価値を求めるユーザーとメーカーの利益向上を満たす。

ハードトップの追加に飽き足らず、トヨタが新規にマーケットに参入したのはセリカ・カリーナという全く顔の違う兄弟車たちだ。
カリーナを売るのはクラウンを販売するトヨタ店。カリーナのフロント・ドア部品はコロナと共有部品、エンジンもカローラの一部と共有、コストを割かず合理的に増やされた新型車種だった。唯一の自慢はいち早く採用された、板バネを使わないコイルばねの後輪サスペンション。ブルーバードの様にコスト高の独立サスではないものの、コイルばねを使うことで一段上級の乗り心地が約束された。だからCMでも「足のいい奴」を標榜できた、という訳。これはセリカも同様だった。

もう一つの特色はフロアシフト車に5速オーバトップが選べたこと。高速走行でエンジン回転を下げ、静粛性と経済性を向上させる、高速時代ならではの装備で70年代広く普及する嚆矢だった。先例が無いわけではなくトヨタのGTもZもGT -Rも装備していたが、100万円を切るクルマでは稀な装備だった。

セリカはカリーナと可能な限り部品を共有、ただしボディは全く違うデザインの2ドアクーペ、なのでカリーナのクーペ版などでは決して無かった。販売店はカローラ店とされ、カローラクーペよりもさらに上級の高額なクーペという位置づけだった。当時ハードトップを加えて人気の「愛の」スカイラインに抗し、「恋はセリカで」とレスポンスした。

スペシャルティと呼ばれる嚆矢、セリカにはお手本があり、アメリカで大ヒットしたムスタングと同手法がとられていた。ムスタングに無いのはフルチョイス・システムという受注方法で、売買契約を結ぶ段階で注文住宅の様に外装、内装、エンジン、と言ったグレードを好き勝手に選べ、データをコンピューターで生産工場に伝えるという革新的なものだった。セリカGTだけは別格で専用の装備、エンジンを持つ最強版。価格もスカGにほぼ等しい80万円台後半に設定された。

スカイラインGTに並ぶ人気GT、ベレットにもGT-Rが誕生する。ツインカムエンジンは117クーペ登場で用意されたもの。フォグランプを標準装備してエンジンフードを黒つや消し塗装で引き締めた装備も魅力だった。

軽乗用の年間販売も百万を記録するほどになり第1期軽乗用の黄金時代がやって来た。

軽自動車にもこのスペシャルティが現れる。馬力競争に明け暮れた36馬力クラスのグループに割って入ったのはホンダの究極、ホンダZだった。この年でホンダのスポーツカーS800は生産終了。トヨタ2000GTも夏までに生産を終え、その後に登場したのが酷似したドアハンドルを受け継ぐセリカだった、という訳。
ホンダZの本カタログには細かい活字はほとんど見当たらず、パノラマサイズのカラーグラビアで埋められていた。圧巻は戦闘機F4ファントムに並んだホンダZ-GSの2ショット。現存すればかなりの高価で取引されているはずだ。

保守的なFRでデビューしたダイハツフェローも大胆に変身.最強版には40馬力のエンジンを据え、ホンダの高出力路線を猛追する。

スズキ・フロンテは三年足らずでモデルチェンジを挙行。リアエンジンの構造はそのままにスタイリッシュで鋭角的なデザインを纏うと共にエンジンの水冷化にも着手していた。空冷エンジンでは生き残れないことが明白に。

この頃ビートルズがとうとう解散し4人は独自の道を歩き始める.単純計算すれば4倍の楽曲が生まれてもおかしくは無い。時代は次の10年に向けて確実に舵を切りつつあったのだった

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