江戸時代、光通信先進国はニッポンだった〜聖書よりも新聞がたくさん読まれたのは・・・・

日本には江戸の昔から光通信が発達していました。


と聞くと意外な気もしますが事実です。その通信が一体何に利用されたのかといえば世界に先駆けて生まれた米(アメリカじゃなく食べる方)の先物相場をめぐる取引の商品情報でした。今から3世紀も前、江戸時代の大阪を中心としたマーケットが舞台。狼煙を上げてはるか彼方に情報の有無を伝える方法もありましたが、煙のあるなしでは情報量が少なすぎます。そこで大きな旗や幟(のぼり)を数回動かして数字などのデータを伝える方法が定着します。他者に盗み見られる心配から、日付などを加減した暗号化も織り込み済みだったとか。

これを10ないし20キロ間隔でリレー伝達して大阪と滋賀県大津の相場の間に生じる価格差(1日遅れで連動していた)を検討したうえで、有利な方をチョイスして取引する・今だったらリアルタイムの株価を見ながらのオンライン投資の先駆けと言った処でしょうか?

情報を伝達するには飛脚を使ったり廻船業者のネットワークを使う手段も存在しましたが、こうなると情報の移動速度は秒速に換算しても10mを上回ることはできません。視覚に頼る光学通信なら毎秒30万kmの伝達速度で情報を入手できます。1時間もあれば大阪の情報を多段中継して滋賀県の市場近くにも届けることが出来るわけです。遠方の動きを捉えるための望遠鏡の精度向上はニッポンの光学技術発展の礎になったとも。

・・・・・さて話はマルティン・ルターの時代に遡ります。聖書を翻訳したルターの宗教改革と呼ばれる一大事業はグーテンベルクの活版印刷(凸版印刷機)という大量生伝達メディアが生まれてこそのものでした。

古代からの日本人のようにお気に入りの文書を手書きで一冊づつコピペするのではなく、一度に何百、何万という書物が印刷できる文明改革です。今なお世界のベストセラーと言われる聖書もこうして世界に広まる訳ですが普及にはひとつ、言葉の問題がありました。


当時ルターの暮らすドイツでも地方によってさまざまな方言が存在し、これをそのまま文字に直したのでは広範囲な普及は望めません。そこで、ルターはドイツに広く浸透するようにと、翻訳に際しては平易な標準的ドイツ語を心掛けたのでした。これは放送の世界にも通じることで,NHKのように全国ネットワークの放送を狭い地域の方言で放送することは出来ません。出来ないというよりも適切ではない、の方が正確でしょうか?このことは方言の衰退という別の形となって顕在化することにもなるのですが・・・・

やがて火縄銃と前後して日本にも宣教師がもたらした印刷機が上陸します。しかし極東の島国、日本で広く普及したのは聖書ではなく木版画をベースとした瓦版(かわら版)が姿を変えた新聞紙でした。というのも宗教弾圧によって聖書も異教徒も日本から一旦排除されてしまうからです。

その頃の日本では版画の技術がとても高いレベルに到達しており数々の浮世絵の名作を残しています。それも大量に。世界に聖書が流布していた頃の日本では色彩豊かな版画が隆盛を極めた‥‥画像文化が広く浸透していた日本人がインスタやTiktokを好きなのも、実は江戸の文化・流行に根差したりするのかもしれません。

瓦版は彫り師が半紙に記された原稿を版木に貼って凹凸を作り、その上に墨を塗って1枚づつプリントする、あの木版画の応用です。刷り上がった大きな半紙を宣伝文句と共に街中で売り歩く「よみうり」は大手新聞社のブランドとしても今も残っています。たまに大ニュースが起こると江戸の町では今でも号外というかわら版が配られることがありますが、こちらは昔のかわら版と違って無料です。

大きな輪転機で連続印刷されたニュースペーパーを全国規模で各家庭に配る宅配制度も、スタートしたのはこの日本からでした。新聞は毎日家庭で読むものとして電車通勤より以前から定着します。こうした中から新聞連載小説という人気ジャンルが現れ、夏目漱石をはじめとする文壇の人気スターたちが数多く生まれ、新聞を定期購読させるための大きな商品力ともなります。
新聞には地域の情報に根ざした地方紙と、全国に同じ情報を一斉に伝える大規模な全国紙とがあります。隣近所の情報に詳しい地方紙に比べ全国の様々な情報、中央の政局について伝えてくれる全国紙がとりわけ日本では大きく部数を伸ばすことになります。識字率が元々高かったことも新聞の普及にはプラスでした。

さて、毎日大量のニュースを自宅に届けてくれる日刊新聞、ですがお盆休み前後にはどうしても政局を含めてニュースの数自体が減ってしまいます。でもページ数、購買者は減らしたくない。
そこで大阪に本社を置く朝日新聞は考えました。全国の中学生(現在の高校生)を一堂に集めて中学野球の全国大会を開き、それを紙面に掲載しよう!こうして1915年に1回目の全国大会が開催されます。これが大人気、キラー・コンテンツとなってその人気ぶりを見た毎日新聞も春休みを使った選抜大会を主催します。

実は中学野球には伏線があって、前年の1914年、野球部を創設したばかりの明治大学が東京で大学生によるリーグ戦のシリーズを始め、これが6大学野球のルーツとなっていったのです。
やがて日本にもアメリカ大リーグのようなプロ球団が誕生し、年間を通じて長いリーグ戦を組むようになります。東京ジャイアンツを発足したのは学生野球を主催してない読売新聞。ジャイアンツ戦と言えば全国規模の人気と実力を誇るのも新聞やTVメディアを武器にしたことが大きな要素かもしれません。

そんな新聞ですが今から100年ほど前、強力なライバルが出現することになります・・・・・空中を飛び交う電波を受信して音声で情報を受け取れるラジオ放送でした。放送=ブロード・キャスティングの名の通り、広く大勢の聴取者のもとにタイムラグなしに同時に情報を送り届けられる‥‥放送というメディアが、それまでのメディアが予想もしなかった大きな力を見せつけるようになったのは、これまでも紹介してきたとおりです。そして世界は欧米を巻き込んだ2度目の世界大戦の渦中へ・・・・・

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