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ものマネ大国に本田宗一郎は誕生するのか?

ホンダが二輪モータースポーツの分野で世界制覇を成し遂げた60年代(昭和じゃなく1900ですよ)会社を率いた本田宗一郎社長の口からは「欧米人に出来て日本人に出来ぬはずはない」の言葉が漏れた。

全く同じセリフをサントリーの創業者、鳥井信治郎も口にしている。
ジャパンasNo. 1と称せられた日本の経済成長とそれを支えた技術。
果たして、これから中国やインドから第二のホンダやトヨタが生まれてくるのだろうか?

そんな疑問がもたげたのは一冊のムック本「Racers」の#70=ホンダ・レーシングモーターサイクル特集だった。

高度成長期に差し掛かる頃の、まだスーパーカブが発売まもない時代には日本に無数と言えるほどの二輪メーカーが乱立していてブリヂストンやトーハツ・ブランドのバイクも存在していた。
浅間山麓では国内のチャンピオン争いが人気を博していたが、ホンダだけはいち早く世界の檜舞台を目指していた。


現地に赴き世界との歴然とした差を見せつけられた本田社長は、独自の手法で世界の強豪に負けないレーシングバイクづくりを決意。そのスペックがものすごい。

50ccといった大さじ一杯半ほどの排気量しかないエンジンから高出力を捻り出すのは2ストロークが常道。しかしホンダは2回転に1回しか爆発行程のない4ストロークで果敢にもライバルに挑戦状を叩きつける。4バルブ化、ギアトレインによる(ツインカム)バルブ駆動は言うに及ばず、なんと25ccの並列2気筒にしてしまい、超高回転で出力を稼ぎ出すというワイルドな方法でライバルたちを圧倒した。ピンポン球ほどの大きさのピストンが毎分物凄い回転数で回転し、たった50ccのエンジンから10馬力以上のパワーを搾り出すのだから、流石に欧米の技術者も目を見張ったことだろう。

この精密模型のようなシリンダーを5個並べると125CC、これで125クラスも制覇してゆくのだ。流石にここまで追随してくるメーカーは世界のどこにもない。真似が嫌いなホンダイズムを象徴するような超弩級メカニズム。

のちに1,5リッター時代のF1エンジンに12気筒とという驚愕のスペックを持ち込んだのもホンダにしてみれば既定路線の延長上にあるもの。単気筒の容積を小さくすれば慣性重量が減り、高回転化・高出力化できる・・・・どれだけ重量とフリクションを抑えられるかが腕の見せ所。初制覇の知らせが届くまでにはさほど時間を要しなかった。

一時的にF1から撤退した頃、60年代の終わりにホンダが放った市販車「ナナハン」=CB750は、やはり欧州の古典ビッグ・ツイン勢に対抗すべく、4気筒並列エンジンを大排気量化して高出力を得るというホンダらしいやり方を見せた。
欧州勢という仮想敵があったからこその開発ともいうべきナナハンがある一方で、8インチ、10インチといった極小サイズのタイヤを使ったミニバイクという新しいマーケットもまたホンダイズムから生まれたユニークな製品。しかも21世紀の今に至るまでほとんど形を変えることなく継承されているところが凄い。
(流石に50ccモデルはなくなったが、そのデザインはしっかり継承されている)
遊園地の業務用バイクをルーツとして生まれたホンダ・モンキー、自動車で運べる折りたたみ式ハンドルを持ったダックス・ホンダ・・・・・半世紀近くも生産が続き、いまだに中古市場では人気の両モデル。


今、飛ぶ鳥を落とす勢いを見せている中国製の乗用車。デザイナーには欧米のベテランたちを引き抜き労賃の安さを武器に価格競争力をメリットとしている。しかし、彼の国から本田宗一郎のような反逆精神を持ったクリエーターが生まれてくるだろうか?日本車がドイツ車を抜いて顧客満足度でNo. 1の座を勝ち取ったのも、技術者たちのあくなきトライアンドエラーが積み重なった末のことだった。
モノマネでよしとするならば日本車は60年代のままでいただろう。インドではヒンドスタンの旧型英国製セダン=アンバサダーが延々生産され続ける。ロイヤルエンフィールドのバイクだって長年その姿を変えていない。

電気の時代に移行しようとしている今、エンジンルームを必要としない自由なスタイリングが可能な、デザイナーが思いっきり腕を振える新しい時代を迎えようとしている。
これからの時代はデザインコンシャスな車の時代と言えるだろう。
新しいホンダのクラシックが誕生する日を心待ちにしたいものだ。

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