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米津玄師「STRAY SHEEP」に感じたもの

以前、米津玄師の「BOOTLEG」のCDレビューを書いたことがある。

このCDを聴いて真っ先に思ったのは、無人島に持っていきたくない1枚だなということだった。
人との繋がり合いを強く歌ったアルバム故に、無人島において、この盤はあまりに寂しく響いてしまうからだ。今作の特徴はまさに"1人ではないこと"だろう。タイアップ曲や、DAOKOへの楽曲提供、原点にかえりハチ名義で作った楽曲、池田エライザ、菅田将暉とコラボした楽曲など誰かと繋がった曲が多く収録されている。米津玄師というパズルに、それらが最後のピースとしてハマる。孤独をアイデンティティにしてきた米津玄師が一度それを捨て、他者と関わり合うことで、米津玄師の描く世界は更に広がりをみせた。
彼の才能は奇抜だ。アウトサイダーと呼ばれることも少なくない。バンドという枠にも音楽のジャンルにも囚われないからこそ、海賊版と名付けられた名盤が生まれたのだ。
いつの時代も革命を起こしてきたのはアウトサイダーだった。

8月5日に米津玄師のサブスクが解禁。
全く予想外だった。ジャケットや特典まで込みでひとつのアートワークとしてCDをリリースしていたからだ。そんな彼が新作のリリースとともにサブスクを配信するのは、今の時代背景もあるだろう。

嵐がサブスクを解禁した時、時代の変わり目を感じたが米津玄師のサブスク解禁もまた確実に時代を動かすことになるだろう。
先日、サカナクションの山口一郎がサブスクはほとんどアーティストの懐には入ってこないと言っていた。サカナクションレベルでもそうなのかと驚愕した。それでも音楽のサブスク化は更に広まっていくだろうと肌感覚で思う。

インタビュー等を読んでいても誠実に的確に言葉を紡ぐように話している印象を受ける。コロナの影響でCDを買いに行くことができない人もいるだろう。特にCDシャップが近くにない地方に住んでいる人なら尚更。徳島県出身の米津玄師であれば、そういう地方の方への理解も深いだろう。誰もが平等に作品を楽しめるようにサブスクを始めたのではないかと推測した。BIGアーティストでありながらサブスク解禁を匂わせる事前告知なかったのも意外。もっと単純な話で所属レーベルの意向かもしれない。

「STRAY SHEEP」は「BOOTLEG」とはまた違った印象を受けた。一人じゃなかったところから、今度は一人に立ち返っている。
一人だけど孤独ではない感覚に陥る。
母が幼子をそっと包み込んでいるようなやわらかい優しさを感じる。その温もりが聴き手自身の心情風景と静かに確かに重なっていく。

歌詞の描写や音の使い方、そして歌い方が繊細で曲への没入感が尋常じゃない。「パプリカ」でサンプリングされている夏祭りのような音でさえも、どこかデリケートな印象を受けた。おそらく、マスタリングされたボリュームによるものだろう。今いる世界からふっと曲の世界へ誘ってしまう。絶妙なバランスで音が組まれており、類稀なる没入感を味わえる。
また楽器の理解力への高さも伺える。それが顕著に表れていたのは「馬と鹿」のストリングスではないだろうか。硬質なAメロBメロの後にやってくるサビにはふわりと花が咲くような美しさを感じた。
 話が逸れるが、「感電」の"ワンワンワン"のある犬の鳴き声、"ニャンニャンニャン"の後の猫の鳴き声が冗談めいていて、MIUの伊吹らしさを感じてニヤけてしまった。よき理解者だ。

「Décolleté」では全く未知の世界へと誘われる。陽炎のなかに立っていたのに瞬きの間に夜のパリにいるような錯覚に陥る。
「パプリカ」に郷愁を感じるように、「Décolleté」に懐かしさを感じる人も世界のどこかにはいるのだろう。決して身近とは言えない土地に親しみを持ってしまう不思議な繋がりを感じた。

懐かしさも変化をしないと感じられない。様々な経験を経て、時には変化することを強いられながらも、誠実に紡がれた「STRAY SHEEP」はノスタルジックでむせび泣きたくなるような、あたたかい作品だ。

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