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【小説】 6日目の蝉と缶ビール

蝉は気温が35度を超えると熱中症のような症状に陥り、寿命を全う出来ずに死んでしまうらしい。
本来の寿命が7日間だとして、与えられた本来の命を全う出来ず、6日目に死んでしまった蝉は不幸なのだろうか。

私の祖父は78歳で亡くなった。癌だった。
入退院を繰り返し、元気になって農作業をしたり、気持ちが負けて「もう死にたい」と洩らす日もあった。不安的な日々を過ごしていくうちに、いつの間に亡くなった。
人生100年と言われる昨今。女性の寿命が100歳だとしたら男性は90歳前後ではないだろうかと、体感として思う。
90歳が寿命だと仮定すると、私の祖父は6日目で死んだ蝉だ。
たかが残り1日。衰えゆく体で何ができたであろうか。

そんなことを考えながら私はビールを飲んだ。突き抜ける爽快感が私の苦々しい感情を消してくれているようだった。
長かった梅雨と、コロナウイルスの影響を受けて今年は夏らしさをほとんど感じない。
例年であれば、今頃は夏フェスに行っていた頃だろう。
青い空の下に特設されたステージを眺め、アーティストの歌声とオーディエンスの歓声をツマミにしながら、プラスチックの容器に入れられたアルコールを飲んでいたことがひどく懐かしい。
BBQも旅行もない、ただの暑い日。
私はもう一度ビールを口に含み、スライスしたトマトに少しだけ塩をかけて食べた。

物音一つさせず、寝室から夫が現れた。足音のないゆっくりとした動きは幽霊みたいで、ドキッとした。
私は声のボリュームも最小限に落として「寝た?」と聞くと夫は無言で頷いた。

寝室で寝ているのは、子どものひなただ。
先週で生後5ヶ月になった。
普段は私が面倒を見ているが、夜はこうして夫が変わってくれている。
子育ては予想以上に大変だった。
フライパンに火を掛けたら泣き出したり、私が休憩しようと思ったら遊んでほしいとせがんできたり、これっぽっちも思い通りにならない。
その分、予想外の行動が可愛いのも確かなのだけど。

解放感のない夏に加えて、子育てに追われる日々から、小さな解放をしてくれるのが一杯のアルコールだ。
週に一度、一杯だけというルールを自分の中に設けて夫にひなたの面倒を変わってもらっている。
チビチビと飲んでいるため、時間の経過と共に温くなって炭酸も抜けていくビールはどこか人間くさくて親近感が沸く。
軽くなった缶を振るとピチャピチャと音がなった。

ーーーーーー

私は空になった500ml缶を、ローテーブルから畳の端に避けた。
その間に、お爺ちゃんは私のグラスにビールを注いだ。
「あ、まだ残ってたのにな」
21歳になった夏、私は両親と共に久しぶりにお爺ちゃんの家に行った。

「あみ、ほら乾杯しよう」
だらしなく口元を緩くしているお爺ちゃんが私に催促する。
「さっきもしたじゃん」
私は文句を垂れながらも、手に持っていたグラスをお爺ちゃんのグラスに近づけた。
「いいからいいから」
「乾杯」
蝉の音に混じって、グラスをぶつけるキンという高い音が小さく鳴った。

幼稚園か小学生の頃、木造平屋でいかにも夏を感じる田舎のお爺ちゃんの家が好きだった。環境やおじいちゃんもおばあちゃんも全部。


おじいちゃんはいつもガラスのコップに入れられていたアワアワの飲み物を飲んでいた。
「ひとくちちょうだい!」と何度言ってもお爺ちゃんは絶対にくれなかった。
そのかわり、おばあちゃんがおじいちゃんの飲み物にそっくりなアワアワのジュースを、私のコップに注いでくれた。

家のなかで遊んだ後、私とおじいちゃんは
外で遊んだ。
オタマジャクシやカブトムシなど、住んでる所では見かけない生き物をおじいちゃんと捕まえることが楽しかったけれど、中学生になって虫にちょっと苦手だと思うようになってからは、おじいちゃんに行くこともパッタリと少なくなった。

そのため、お爺ちゃんに会ったのは久しぶりだった。
ニヤニヤしてて饒舌なお爺ちゃんを見てると、嬉しいような、どこか恥ずかいような気持ちでいっぱいになった。
気持ちがいっぱいいっぱいになると、窓から見える大きな入道雲に目線を逸らして誤魔化した。

「あみは将来、何になりたいんだ?」
お爺ちゃんはスティック状に切られたきゅうりを味噌につけながら何気なく尋ねた。

少し考えた後、私は顔色も声色にも感情を乗せずに答えた。
「何にもなりたくない」
母は「あみ」と私を窘める。
脳裏には同じようなスーツを着て、同じような髪型に切り揃えた友人たちの姿が浮かんでいた。おそらく偉いであろう人の話を真剣なフリをして聞いて、ネットで拾った"良い質問"をぶつけて笑顔を決める。
普段見ている姿と、就活中の姿に違和感を感じていた。
「嘘をついてまで何かになるくらいなら、嘘つかないで何にもならない方がマシじゃない?」
必要以上に言葉が重たくならないように明るいトーンを意識して言った。言い切った後、ビールを煽った。

「それに、今後何十年も続ける仕事が、そんなにも早く見つかる訳ないし」

「いつまで綺麗事言ってられんぞ。大学に行かせてる以上、働いてもらわないと困る。親父からも何か言ってくれよ」
そういうと父は煙草に火をつけた。

お爺ちゃんは半分ほど残っていたビールを一気に飲み干して口を開いた。

「そうか、そうか……それも良いのかも知れんな」
拍子抜けだった。私も父も母も。
お婆ちゃんだけがフフフ、と笑っていた。

「お爺ちゃんは長く生きているけれど、ちゃんとした就職というものをしたことがない。だから色々やったよ。農家になって、鍛冶屋になって、猟師になったこともあった」
お爺ちゃんは風で揺れている風鈴を見ながら言った。儚げで、何かを噛み締めるような印象的な横顔だった。

「それは昔の話だろ?」
父は呆れた顔をして言った。突っぱねるような言動とは裏腹に、父はお爺ちゃんのグラスにビールを継ぎ足した。

お爺ちゃんは父の言葉を一切無視して、再びニコニコとしながら喋り出す。
「婆さんと結婚して夫になって、ノボルが生まれて父親になって、今度はノボルが父親になって、俺はお爺ちゃんになった。何者にもならなくても自然と転がっていくもんさ。」

お爺ちゃんは冷やしたトマトに塩を振ってから口に放り投げた。
お爺ちゃんがつくったトマトはスーパーで見るトマトよりも、真っ赤でツヤがあって宝物のようだった。

ーーーーーー

窓の外を流れる景色はいつのまにか、高層ビルから田畑に変わっていた。
ひなたは初めての新幹線で、最初は面白がって外を見ていたけれど少しぐずった後にすっかり眠ってしまった。

あの後、私は抱いていた違和感を飲み込んで、周りと同じような格好で就活をし、適当な仕事についた。そして同じ職場で働いていた夫と結婚。それを機に私は退職し、子どもに恵まれた。
いつのまにか、大人になっていた。
つけなかった嘘も今では上手に使いこなせるようになった。
あの夏の日、祖父が放った言葉はちょっと無責任ではあったけれど、不思議と心が軽くなったのを覚えている。

チャイムが鳴り響き、もうすぐ浜松に到着することを知らせた。
夫は静かに降りる準備して、私はひなたをそっとベビーカーに乗せた。
改札を抜けた瞬間に、容赦なく太陽の日差しが降り注いでくる。車内で流れて天気予報では最高気温が40度になると書いてあったが、あながち間違いでもなさそうだ。
私たちはタクシーを拾い、祖母の住んでいる住所を告げた。

夏がよく似合う、見慣れた家の玄関を開ける。鍵はかかっていなかった。
「ただいまー」と私が言うと、夫も「こんにちはー」と続いた。ひなたはまだ眠そうに目をこすっている。
しばらくしてエプロン姿の祖母が迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい。暑いのに遠くまでありがとうね。さ、あがって。ご飯もう少しでできるから」
私たちが「お邪魔します」と言った後、ひなたも喃語で何かを喋り、祖母が笑った。
縁側に沿った部屋からガヤガヤと声が聞こえてくる。引き戸を開けると既に何人かの親戚が集まっていた。


ひなたは一躍注目を集め、アイドルのようだった。褒められたのが嬉しかったのか、飽きることなく寝返りを繰り返し、大人たちに見せつけているようだった。そのうちに泣いてしまっても周りを笑顔にさせる。
祖母は「赤ちゃんは希望だね」と残した。

昼ごはんのあと、私はビニール袋を引っ下げて一人で外に出た。
家を出て間もないのに背中には汗が伝っている。ビニールサンダルがコンクリートに触れるザッという音と、近くの国道から車が走り去る音がするだけで、ほかに音はしない。35度を超えると蝉の声がしなくなるという話は本当なんだなと、炎天下を歩きながら実感した。

歩くこと5分、祖父の眠る墓地に到着した。
まず近くにある手押し式の井戸からバケツに水を溜める。ゴキュッゴキュッという心地のいいリズムで勢いよく出てくる冷水は、生命力に溢れていてキラキラしていた。
祖父の墓石に柄杓で水を掛ける。水は瞬時に消えていき、凄まじい温度であることが伝わってくる。
祖父が亡くなって半年が過ぎた。ひなたが生まれたのは祖父が亡くなって1ヶ月後のことだった。
たった1ヶ月の誤差。特別な場合を除いて、生まれることも死ぬことも、人間にはコントロールできない。あと少し、何かが違ってたら会えたのになと思うとやりきれなくなって、生死の無情さに何度も何度も泣いた。

私はビニール袋から缶ビールを2本取り出した。
一本は祖父の墓に置き、もう一本は自分の手に。両方ともプルタブを開けて、「乾杯」と呟いて缶同士をぶつけた。
飲み慣れている味なのに、生き返るような清々しい風味を感じた。

「ただいま、お爺ちゃん」
それから私はここ最近あったことをお爺ちゃんに話した。私自身のこと、夫のこと、ひなたが生まれたことや寝返りをしたこと。

茹だるような暑さだけれど、不思議と居心地が良かった。少なくなったビールを継ぎ足すようなタイミングで心地よい風が吹き抜けた。
お爺ちゃんともまだまだ思い出が増やせるんだなと私は嬉しくなった。

ふと、蝉の声がした。
どこか懐かしいミーンミーンミンという鳴き声。

お爺ちゃんは6日目で死んだ蝉だ。
少しずつ体調を崩していって、寿命をわずかに残し、ひ孫とはすれ違いで旅立ったお爺ちゃんは、寿命を全うせずに散っていく6日目の蝉。
本来ならばあったであろう命を使い切らずにこの世から居なくなってしまったのお爺ちゃんは、不幸なのだろうか。
そんなはずないと否定しつつも、頭のどこかでは「もうちょっと生きていたら」と考えてしまう。正直、今はまだ全てを飲み込むことはできない。

けれど、お爺ちゃんが亡くなった日に思ったこともある。
きっと、旅立つ日を選んだのだ。
生前からお爺ちゃんはお婆ちゃんとの結婚記念日を大切にしていた。そういう優しさも私は大好きだった。
人生で一番最後にして、最も贅沢な選択を添い遂げてくれた人のために使ったのだ。いかにもお爺ちゃんらしいなと思う。

あの日、お爺ちゃんがそうしてくれたように、私はもう一度乾杯をした。
また来よう、そして何度でも乾杯をしよう。
そう思って立ち上がった時、「また遊びにおいで」と聞こえた気がした。

蝉が元気よく鳴いている。


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