第39話.天空のティーポット【Original Sin】

 
 和室の床の間に押し込まれて置かれた本棚と、床脇の地袋上の本立てに資料集を戻し終える千景。松田が部屋を出た後、梶と國村の前に積まれて、時折、手に取られる資料以外を綺麗に片付ける。
「平安時代から生きている人間の倫理観とか、道徳とか、善悪正邪ってどうなっているんでしょうね?」
 足を崩して座っている二人の前に腰を下ろす千景。
「生まれ変わっているかもしれないなら父親と母親が必要ですし、少なくとも産まれる時には母親がいますね? 記憶を引き継げるとしても……あ。凄いスピードで成長したり。翌日には美少女通り越して美女になっている可能性も」
「完全に人物像を見失いました」
 云うと國村はくすくすと笑いながら、千景に片付けの礼を云う。
「國村先生は於菟をみつけて、どうするつもりですか? 話は訊いてくれるでしょうけど?」
「何も考えていません」
 梶が國村の顔を見る。
「相手の出方次第。於菟は『私を捜すな』と幾度も書いています。ならば、於菟は存在して、何処かに居る」
「結構、話してるけど大丈夫?」
「松田さんが自宅で話しているでしょう。それに遅かれ早かれ、千景くんは『中央』に所属してもらうつもりでした」
「えっ」「え?」
 千景と梶が驚いて、顔を見合わせる。
「確かに千景みたいな、生まれつき印章の影響をほぼ受けないタイプはかなり珍しいし、有難いけど?」
「でも、オレは印章を持っていませんよ?」
「所属に印章が必要と決めたのは前代表です。次の代表の梶さんが良しとすれば……」
梶は「んー」と云いながら、千景の顔をじっと見て「塾講師は良いの?」と訊ねる。
「……悩んでいて。来年度から大学進学の相談にも乗るなら、正直、不向きなので」
「何で?」
「私情です。オレの親、理系大学しか認めなくて。バイト代で受験費用出して、希望の芸大受けたんですけど、受かっても入学時の保証人も、一時金の立て替えも断られて。奨学金含めた保証人は叔母が引き受けると言ってくれたのですが」
 千景は襖に視線を落とす。
「四年も世話になるのは申し訳なくて。結局、諦めと妥協を選んだので」
「周りの応援や支援があっても、制度も法も関わってくると確かにね」
「千景くんは印章の使い方や本人の癖、受け取る情報量が段違いに多いので……塾を辞められるのは痛手ですが」
「寂しがる生徒が居たら声掛けてください。オレ、生徒には好かれているし……って先生も辞めるんでしたっけ?」
「千景が中央に来るとして、オレからは何処から何処まで話して良い訳?」
 壁に寄りかかりながら、國村を見る梶。
「梶さんと千景くんで決めてください」
 國村は云うと、両掌を後ろに着き、背筋を伸ばす。
「結局、修治は別行動したい訳ね?」と梶は呟いて、再び顔を向けられた千景は「國村先生、基本、気儘なんですね」と話し掛ける。
「結局、夕方以降の授業、他の先生に任せて」
「密談中に入ってきたにしては随分な云い様ですね」
 姿勢を戻して、僅かに微笑む國村。
「百音ちゃんが来た後、部外者が入れない様にガード強化したんだけどね?」
 梶の困った様な口調に、また國村はくすくすと笑って「部外者なんて私達では決められないかもしれません」と返す。
「まあ、千景は、怜莉の研修期間、東睡で世話になる時に助けてもらったし」
「他の先生達に子供に『曝露』された所で大した事がないって理由を説明しただけですよ」
「意外と納得させられないんだけどね」
「あ。さっき、桜海と会って、ジャックオーランタンを貰って」
「……桜海ね」
 梶と千景のやりとりを國村は静かに眺め続ける。


 裸足に雪駄を履いて、東睡の建物の外に出る梶。次いで千景も外に出ると真後ろの扉をピシャリと閉めて、横を並ぶ。
「気が付きたくないだけ。気が付いたら見て見ぬ振りになる。どうせ、出来る事なんて少ない」
「なんですか? それ」
「オレの口癖。千景はどうして今頃になって事が動いていると思う?」
「さっき、自分が云った通りじゃないですか? 気が付かない様にしてきたんでしょ?」
「はあ。千景って、本当、はっきり云うよね?」
「桜海も怜莉も歳上は敬って当たり前と思ってますよね? オレは口だけが丁寧なんで」
 梶は笑いながら腕を組む。真っ直ぐな視線は雨上がりで未だ濡れたままの庭を過ぎ、本殿の二階を見上げる。
「ハローウィーンの定番は南瓜ですけど、折角なので生徒達にはサウィン祭を教えたいと思って」
「千景は世界史担当だっけ。どうして『印章のジンクス』は日本では起きないと思う?」
 セージ色のカジュアルシャツを着た千景は、話し始める梶を見る。
「オレはこう考えている。単純に『気付かない』『知ろうとしない』で済まてきた。於菟は『日本ではジンクスは起こらない』と書き残しただけ。起きても誰しも見て見ぬ振りをしてきただけ」
「あ。國村先生も『中央』に閉じ込めておく為に作られた時計……気付いているのに外してませんね?」
「本当よく視てるね? オレ、もう全部、嫌」
 乱形石の玄関ポーチにしゃがみ込んで、抱えた腕に顔を埋める梶。足元で軽く泥を跳ねながら、庭を渡ってくる桜海。
「助けてほしいって思ってる人間を自分の善悪で突き放さないって、本来の『中央』や『東睡』の教えでしょう?」
「梶さん。千景。何してるの?」
 声を掛けられて、顔を上げる梶。
「桜海。両手上げて?」
「え? え?」
 桜海は千景を見るが、千景も首を傾げる。訳が分からないものの、法衣の袖丈を揺らして、万歳をする桜海。
「オレさ。身長高いじゃん?」
「ケンカ売られた!?」
「桜海、口開けて?」
「えー。なんなの? 虫歯ないよ?」
 立ち上がって、開いた桜海の口の中を覗く梶。二人の奇妙な言動に立ち会う千景。
「云いたい事は幾つかあって、ひとつは……気付けなかった。すまない。もうひとつは」
「え? 何?」
「桜海。一年間、何処にどうやって」


「まりかちゃんを隠した?」


 1105室。寝室で、泣いているりんねを寝かしつけた怜莉はベッドのシーツの上で繋いでいた手をゆっくりと解く。手を伸ばし、りんねの灰色の髪を撫ぜて、それから長く座っていたフローリングの床から立ち上がる。
 居間のローテーブルでノートパソコンを開いて、検索窓に[ 水野花 ]と打つ。ヒットするのはフリーペーパーKARENのライターに関する記事ばかり。テーブルの下では形の崩れたトートバッグから零れる多数の香典袋。水野花名義の通帳。怜莉は、ふいに目に留まる、もう一冊の通帳を、一瞬、躊躇うも引き出してしまう。
 [ 臥待 薫 ]
 表示される検索結果。KARENの母体、NPO法人シダーウッドのメンバー欄に名前を見つける。開いた3つのタブの一番右には[ 図書館 開館日カレンダー ]の文字。
「……最低。どうして調べてしまうのだろ……」と怜莉は呟いて、額をタッチパッドに沈める。隣に置いたままのティーポットが弾みで微かに揺れる。


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