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読書途中感想 #9

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の3巻。
3巻は、日露戦争開戦前から開戦直後の旅順という地点をめぐる攻防の前半戦の時期(黄海海戦前)までのお話。

いよいよ日露戦争が開戦してしまう。日本が望んで戦いを仕掛けたわけではなく、ロシアからの東アジアへの侵略圧力が次第に強まったことへの対抗措置として始まった戦争であるとのこと。

ロシア側の準備が完全に整ってしまえばどうやっても勝ち目がなくなってしまう。とはいえ、日本にはロシアに対応できるだけの戦力は全くない。

そのような状況で少しずつ海軍や陸軍を整備してきたが、これ以上待てない、待てば完全に負けるという状況での開戦だった。

日本の陸海軍の大臣や参謀と呼ばれる人達は『よくて五分五分』と思っていたらしい。勝つのは無理でも負けずに踏ん張って、調停者が現れてくれて引き分けに持っていきたいという考えだったと。

中には、勝てるわけがないと思っていた人もいたんだろうと思う。それでもここで引いては、負けと同じで、日本という国がなくなってしまうと。

私は、そんな覚悟をもって生きてきたことはない。日本という国がなくなるかもしれないなんて考えたこともない。平和な時代に産まれたことに感謝するし、そういう想いを持った先人の方々のおかげで今があるのだと思い感謝しかない。

3巻は、弟の秋山真之が中心に進んでいく感じ。日本は島国であるし、他国との戦争をするには、制海権を握らないと優位に展開できない。従って、開戦当初は海軍の出番という感じ。

真之が海軍大学校で教鞭をとっていた時に「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史をを読めば、諸原理、諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざと言うときに応用がきかない」と言ったという。

この言葉は、現代にも通じる真理だと思う。特に『借りものでは応用がきかない』という点に激しく共感した。

また、別の記述として「すぐれた戦略戦術というものはいわば算術程度のもので、素人が十分に理解できるような簡明さを持っている。逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋な戦略戦術はまれにしか存在しないし、まれに存在しえても、それは敗北側のそれでしかない。」とある。

これもまさにその通りという感じ。簡単なことを難しい言葉を使って説明する人はたくさんいるけど、難しいことを簡単な言葉で説明できる人は少ない。私も昔の上司にいつも「小学校5年生の私の息子でもわかるように説明してください」と言われて鍛えられた。

戦争における戦略戦術は末端の兵士まで理解できなければ、アリの一穴ではないが、綻びが生じてうまくいかないのだと思う。だからこそ誰にでも理解できる簡明さが必要だと。

司馬遼太郎さんの書き方が良いのだと思うけど、私は結構この時代の方々の思考法や表現の仕方が好きかもしれない。というか、軍人のコミュニケーションが落ち着くのかも(笑)

『功労者は、勲章をやればいいのです。実務につけると、百害を生じます。』と進言し
『恨まれますぞ』と言われても
『むろんかれらは恨むでしょう。しかし国家がつぶれてしまえば、なにもかもおしまいです。』と。

こういう『あるべき』をきちんと言えて、それを受け止められる関係が羨ましい。会社組織もこうあるべきだと思ってる。くだらないしがらみなんて、会社が潰れてしまえば、それこそなにもかもおしまいだから。

もう一人の主人公である正岡子規は、病に苦しみ、とうとう亡くなってしまう。明治35年9月19日、34歳。人生の大半を病気と共に過ごしている。

34歳は早い。それでも、正岡子規は日本の近代文学に多大な影響を及ぼすような創作を行いった明治を代表する文学者の一人となっている。すごい。

最近の世界情勢を考えると、なんとなくものすごくタイムリーにこの小説を読み始めたなと思う。それにしても、ロシアって昔からそうなのかな。もうちょっと世界を勉強してからこれについては語らないとダメか。

まずは明治の世界を勉強しよう。第4巻も楽しみ!

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