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こたつをいただいて、運んだ日。

 こたつを使う期間は、うちでは、たぶんかなり長い。
 少し気温が下がってくると、こたつのスイッチを入れて、暑すぎると、また切って、だけど、しばらくたつと、またつけてを、9月になって、しばらくたつと、その作業を始める。

 2階に1台。
 1階に1台。

 義母を介護しながら一緒に住んでいた19年間が終わり、それから、1年半がたって、ようやく妻との二人暮らしにも慣れてきた。家に2台のこたつもあって、妻と二人暮らしなので、それぞれ使うこともあって、それは、ある意味でぜいたくなことでもあると思いながらも、2台使えるのは、ちょっとうれしかった。

こたつが壊れた

 だけど、こたつが1台壊れた、というよりも、こたつは、煙を出すわけでもなく、異音が聞こえてくるわけでもなく、ただ、コンセントをさしこんでも、スイッチを「入」と「切」をカチャカチャ動かしても、ふわーんという音とともに赤外線の温かさが出なくなって、静かに動かなくなっていた。

 そして、一晩あけたら、使えるのではないか、とか、ちょっと叩いてみたら、治るかも、と一通りのことをしたのだけど、やっぱりダメで、その時、あきらめた。最近、いろいろと壊れるもの(リンクあり)が多くなったような気がする。


 久しぶりに、こたつを買おうとして、インターネットで探して、大きさも見積もって、どれを買おうとか思って、妻とも相談をして、あとはどこで購入するか、になった頃、妻の友人の方から、それだったら、こたつが今2つになっていて、1つは不要になったので、よかったら、ということで、いただけることになった。

 とてもありがたかった。


 その話が出たのは夏だった。もう少し涼しくなったら、と言ってもらえた。確かに、暑い時は、運ぶのも厳しそうだった。それに、気温が高いと、こたつのことが頭に浮かびにくかった。

 9月に入り、まだ暑かったのが、下旬になってから急速に気温が下がりつつあった。
 それで、家にある1台の、こたつを使うようになって、妻に、そろそろ連絡をお願いして、やっと、こたつをいただくことになった。

こたつをいただく

 妻が電話をして、日時を決めて、そして、私と二人で出かける。
 歩いて、8分くらいだから、近所でありがたかった。マンションの玄関の入り口近辺に用意してもらっていた。

 妻が持つ荷物が、こたつの足と、コードなどの周辺のものを袋に入れてくれて、まとまっていた。私は、こたつの天板と、その下の支えるヒーターがついている台を持っていこうとした。妻の友人の方は、その2つをひもなどで結んで固定してくれようとしたが、そのこたつの天板と、その下の支える台を、両手ではさんで持っていけば、家までいけると判断した。

 心遣いは、ありがたかったが、そのままで大丈夫と、お礼を述べて、そこから昔の駅弁を売る人のように、天板と台を両手ではさみ、そして、お腹で支え、天板を地面と平行より、やや上向きにして、そこから、エレベーターに乗って、降りて、歩く。

 ここから8分くらいだから、大丈夫と思ったのは、疲れたら途中で休めばいいから、と考えていたからだった。歩いて、行きと違う道を通ると、ここのところはほとんど歩いていない、いつもの商店街からは、道路一本奥に入った、やや古い商店街になった。

肉屋で買い物する時間

 そこには、いつもの近くの商店街からは、なくなってしまった「肉屋」があった。
 その店前の色鮮やかなポップは、手書きで、いろいろな工夫があったし、その中には、ブラックカレーコロッケという文字もあって、珍しいものがあって、気になった。一緒に歩いている妻も、同じように興味を持ったようなので、こたつの天板と、その下の格子状の板を重ねて持ちながら、「買っていく?」と声をかける。

 「一人待っているけど、大丈夫?」 と言われる。

 今買い物をしている人がいる。そのあとにもう一人いて、その次だから、そんなにかからないと思ったので、大丈夫、と答えて、それでも、そろそろけっこう重くは感じてきて、手も微妙に痛いような気もしていたが、それでも、待つことにした。

 道路に置こうかな、と思ったけど、食事もするかもしれないし、外の道路に置くのは、どうだろうと、ちゅうちょをし、20メートルくらい向こうには公園があったから、ベンチとかもあるだろうし、と思った。

 だけど、こたつの天板と板を持っているよく分からない人間が、入っていって、そこに穏やかな親子連れがいたら、いろいろと大変かも、などと、自意識過剰なことも思ったが、そうした面倒臭さを考えると、今、持っている重さを耐えたほうがいいような気がした。

 ちょっと誤算だったのは、最初のお客さんが、意外と時間がかかって、私たちが、この肉屋さんにくる前に、もう何か指をさして注文していたのに、購入までに時間がかかり、まだ、実際に肉を包んだりまで、進まないことだった。

 あれ、そうなると、この人がもう少しかかって、次の人がいて、さらに自分たちは、次だし、と思うと、時間が遠くに感じるので、あまり考えないようにした。

 両手で、こたつの天板と格子のようになっていて、ヒーターもついているこたつの心臓部のある板を、重ねて持ち続けて、時々、ももで支え直して、体勢を整えていた。

 一人目が終わる。
 二人目も、それなりに時間がかかる。

 重くない。
 両手はちょっと厳しくなるが、こんな時こそ、気をそらそうと思って、妻と、何かを話してみる。

 2人目が終わる。
 妻の番になる。
 にこやかに、おだやかに、いつもの妻のペースで、話をして、質問もして、ブラックカレーと、チーズが入っているコロッケセットと、あとは、何かを買って、そして、それから、家に向かう。

 この肉屋から、家まで、まだ意外と距離があったのを忘れていた。

こたつを持ち続けて、家にたどりつく

 いつもなら、妻と二人で、特に妻は小さい変化や、かわいいものに気がつくから、それを見ながら、ゆっくりと歩いていた。私は、古くなった家や、道に落ちているものの、落ち方がどうこうと、細かいことを妻に説明して、通じたり、通じなかったりもするような歩き方をすればいいのだけど、今日は、やや気持ちが焦っていた。

 こたつの天板と、格子状のヒーター付きの心臓部がある板を重ねて両手ではさみ、ずっと持ち続けて、お腹にあてて、駅弁を売る人のように、こたつの天板を、やや上向きだけど、ほぼ水平に持ち続けて、もう20分以上はたっていた。

 持ち始めた時は、疲れたら、途中でおろして休めばいいや、と思っていたのに、妙に自分の中で意地になって、ここまで来たら、家まで下ろさないで「完走」すると決めていたけど、そのちょっと辛い感じを、顔には出さないようにして、そのまま淡々と歩いて、妻とも話しながら、家が近づいて、玄関もあけて、廊下に置けた時は、やっぱりホッとした。

 これで、今年の冬は安心だ、と思う。
 いただいたこたつのヒーター部分が、きちんと紙で包まれていて、保護されていることに、改めて気づき、ありがたい気持ちにもなった。



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「場所に記憶が宿ること」について。

コロナ禍の美術館

「ゾウのおなら」に関する、遠い思い出。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月  (有料マガジンです)。

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