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『病室で、何度も読んだ「カフェ特集」』………「バワリーキッチン」の変わらなさ。

 家族が入院して、「とにかく迷惑です」と病院スタッフに言われ続け、ベッドの下に寝泊まりしていた。そして、いつ寝るか分からず、いつ動き始めるか分からない家族に対応しながら、時間が経っていった。

 いつ終わるか分からず、昼夜もぼんやりするような、かなりしんどい時間の中で、病室で、何度も読んでいた雑誌があった。

ブルータス

 それは、2000年、「ブルータス」の「カフェ特集」だった。

 もう20年以上前の話になるけれど、「カフェブーム」と言われ始める頃だった。それまで「喫茶店」主体だったのが「カフェ」が増え始める分岐点のような年だったと思うし、この当時は、こういうメジャーな雑誌によって、いわゆる「流行」が作られるところがあった。

 この雑誌の特集によって、「カフェブーム」は、本格化したという印象があるけれど、それは、その時の自分が、この雑誌を何度も読んで、少し気持ちが救われていたせいで、過大評価をしている可能性もある。

 それでも、病室の窓から小さく見える空をながめ、雑誌に載っているカフェは、どこも、なんだかすごい楽園に思えていた。

電車からの光景

 ほんの1年半ほど、ラッシュの電車に乗って通勤していたことがある。

 人よりもラッシュに弱く、とても苦痛だったけれど、仕事の始まる時刻を考えたら、どうしても、その頃に乗らなくてはいけなくて、さらには、東横線だったので、夜も思ったよりも混んでいて、時々、真っ直ぐに立っていられない時もあった。

 帰りは、それなりに仕事で疲れていたせいもあって、微妙な辛さもあったのだけど、あるとき、人にはさまれながら、電車の窓から、外が見えた。

 車内は、かなり混雑していたのだけど、人と人のすき間が、うまく重なったせいか、思ったより、広い視野が確保されていた時に、中目黒駅に着きそうになっていた。

 その時、電車が止まっていたのか、まだ動いていたのか、そのあたりはすでにはっきりとはしないけれど、外の風景がやけに鮮やかに見えたのは、覚えている。

 川が流れていて、その河原のような場所が区切られていて、あまり広くないのだけど、草花があり、雑草かもしれないけれど、様々な色の花が咲いているのが分かった。そこに幼いといっていい女の子が二人くらい、その花をつむように、その場所を柔らかく動くのが見えた。

天国」かと思った。

 「カフェ特集」を読んで、どうやら、その場所のそばにできたのが、「オーガニックカフェ」だと知った。

 あの「天国」のイメージと勝手に重ねて、行きたい気持ちが強くなった。

カフェの移転や閉店

「カフェ巡り」と言えるほど、多くのカフェに行ったわけではなかったけれど、ブルータスの特集を読んでから、以前よりも興味が持てたのは確かだった。

 他の雑誌でもカフェ特集が組まれることが多くなったが、あったはずのカフェが閉店になったり、行ったことがある場所も移転したり、なくなったりもした。

 それは飲食業界では、常識かもしれないが、思った以上に変化が激しいようだった。


 中目黒で、「天国」と勝手に思っていた場所のそばにあった「オーガニックカフェ」に行った時は、おしゃれな雰囲気に緊張したけれど、気持ちいい場所だと思った。

 そこは、2005年には閉店した。


 渋谷の屋上にあった不思議な気配のある「クワランカ・カフェ」は、一度行った後は、西荻窪、吉祥寺と移転をし、なかなか行けないままに、閉店をし、出張カフェを開催していたけれど、行けなかった。

 そのうちに、Twitterで、オーナーの方が亡くなったのを知った。渋谷のカフェで見かけた、その後ろ姿だけを、ぼんやりと覚えている。


 そのときの「ブルータス」には、付録として各地のカフェが紹介されている小冊子がついていて、そこに載っているカフェには、全部に行きたい気持ちもあった。その中で、小さい写真しかなかったが、とてもシャープで行ってみたいと思っていたのが、「現代ハイツ」だった。

 妻は一度行ったことがあったのだけど、私は、行かないまま、そのうちに閉店し、今は名前は変わって、別の場所で再開しているらしい。

バワリーキッチン

 その「ブルータス」の「カフェ特集」の巻頭で紹介されていたが「バワリーキッチン」だった。

 それも、このカフェに入るために、近くのファミレスで1時間くらい待つ、といった、今聞くと、ちょっとしたギャグに感じるような文章が、でも、その時は、それだけの価値がある場所、を表すためのものに思えた

 どんなお客が来ているのか、どんなインテリアなのか、どんなメニューなのか、そんな内容で10ページ以上も続いている。そのお客さんは、どの人もおしゃれでセンスがありそうで、見たときは、やたらとハードルの高さを感じていた。それほど遠い場所ではないのに、自分が行ってはいけないのでは、と気圧されるくらいだった。

 カフェをテーマに社会学者・宮台真司が文章を寄稿している。

 その見出し。

『カフェは大人の「屋上」です。目的がなくてもつい行ってしまう。で、ほんの少しドキドキする』


 トレンドもブームも関係ない、何もかもが普通で特別な店。山本宇一がジャーンと一発鳴らした不協和音が今も駒沢公園をバックに 流れているだけとも言えなくない。ここに何かあるのか、何もないのか わからない。

「バワリーキッチン」のサイトにある文章からは、20年以上前から、何も変わっていないのではないか、という気配が伝わってくる。だから、自分にとっては、そんなに遠くないのに、気持ち的にはとても遠いカフェのままのようだけど、でも、やっぱり、一度は行きたいと改めて思った。

カフェの場所

 まだ、いつになるか分からないし、何かのついでの寄れるような場所でもないけれど、まずは、場所を確認する。

 「バワリーキッチン」と入力すれば、「マップ」でもすぐに教えてくれる。

 駒沢公園の近く。
 地図を見ただけだけど、そこは、自分にとっては、知っている場所といってもよかった。


 学生時代。「こま2」という名前で、駒沢公園付近を走るサッカー部の練習メニューがあった。1周、数キロのコースを2周、ただ走るのだった。

 もしかしたら、まだ「バワリーキッチン」ができる前、そこを走っていたかもしれない、と思える場所だった。


 1990年代後半。駒沢公園の第2球技場で、社会人アメリカンフットボールのリーグ戦が行われて、何度か取材に行った記憶がある。

 もしかしたら、その頃、すでに「バワリーキッチン」は開店していて、取材の帰りに寄れるような距離感だったのだけど、でも、おそらくは、そのオシャレさに気後れして、入れなかった、と思う。

歴史

 この記事は、2019年に書かれたものだから、それから、さらに時間が経っているけれど、「バワリーキッチン」にも、当たり前だけど、地に足がついた歴史があるのを、初めて知った。

 もう25年も続いているから、それはすでに流行りとかではなく、『「カフェの歴史」を具現化したようなカフェ』になっているのだろうから、地元の世田谷区民ではない、という後ろめたさを抱きながらも、一度は行ってみたい気持ちは、やっぱりある。

 今も、私にとっては、ハードルの高さを感じさせるから、その印象の変わらなさは凄いと、改めて思う。







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