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3年越しの返却

 自宅の郵便用のポストは古いせいもあって、入り口が狭い。それとは別に、もっと大きいプラスチック製の箱のようなものを門のところにぶら下げている。以前は、そこに新聞を入れてもらっていたが、義母が亡くなったこともあって、新聞をやめてしまったので、時々、大きめの郵便や、チラシなどが入っている。

 妻が、なつかしい人からきた、と言って、持ってきてくれたのは、自分でも忘れていたような本だった。ご近所の人に、この本をお渡ししたのは、もう4年くらい前のことだったと思う。

新築マンションの理不尽

 この10年間で、道路をはさんだすぐそばにマンションが2棟建った。
 最初は大きいマンション。それから2年くらいで、今度はワンルームマンションが建った。
 どんどん日当たりも悪くなったし、工事の音は本当に苦痛だった。
 その前の土地には3階建てだったり、ただの駐車場だったから、向こうもよく見えたのだけど、それが、その高さをはるかに超えるような、ただの壁のような建物を建てても、土地を購入してしまえば、(建築基準法を守っていれば)法律上も条例上も問題にならない。

 そうやってマンションを建てて、売却する時には、日当たりや、眺望の良さは、確実に価格に反映するのに、マンションを建てて、周囲の日当たりや眺望に対して、半永久的にダメージを与えているのに、そこには、法律は届いていない。日照権は、今も法律とは直接関係ないままだった。
 基本的に理不尽だと思っている。

建設反対の代表を引き受ける条件

 2軒目のマンションの建設のときは、建設反対の代表になってしまった。
 自分では、まったくその気はなかったのだけど、誰かが代表をやることになった時に、若いから、という理由で、やることになってしまった。社会的には中年で、まったく若いとは思っていなかったけれど、ご近所の方々の70代、80代から見たら、反論はできなかった。

 ただ、引き受ける時に、一応、お願いをした。

①こうした運動を始める前と、終わった後で、ご近所の仲が悪くなるのは避けたい。だから、これからの活動は、すべてオープンにしたいし、建設会社などとの個別での交渉は禁止にさせてもらいたい。

② 反対をしても、マンションが建つのを止めるのは、不可能だと思う。それを前提として、だけど、みなさんが、言いたいことは、きちんと言いたいだけ言える機会は作っていきたいと思いますが、どうでしょう。


建設反対運動の進めかた

 そうした条件を守るために、建設会社などからの連絡があったり、ご近所の方々のご意見があったりと、少しでも動きや変化があった時には、A4のコピー用紙でチラシを作り、少ない時は1枚、多い時は資料なども含めたら5枚くらいになるような「〇〇通信」をつくり、それをご近所のポストに配った。一番下には、「ご意見」を伺うための欄を設けて、記入してもらってから、そこを切り取り、うちのポストに入れてもらい、集計をした。

 それ以外にメールを使っている人たちにはメールで連絡をして、それも返信をもらって、ご意見をまとめた。まとまらない時は、もう一度、その経過を説明するチラシやメールをつくった。そして、またご意見をまとめて、結果として少数意見は生かせない時もあったが、そのときも、最後まで調整はしたし、そのことに対して、あやまる文面を載せた。

 そうした「〇〇通信」のやりとりをしていたら、1年くらいの期間の間に、No.100まではいかなかったが、90は超えたはずだった。週に1回以上、2回未満のペースで書き続け、配り続け、回収し、また書くことの繰り返しだった。

 それを繰り返しながら、ご近所の方々に要望を聞きながら、必要ならば話し合いを開いたし、建設会社との交渉も回を重ねた。ご近所の方で、言いたいことがある人には、ぜんぶ言い切れるように工夫もしたし、建設会社の人たちには、同じような言葉になっているかもしれないけれど、これから生きている限り、変わってしまった環境で生きていくのだから、建設する側には、聞く義務があると主張し、聞いてもらえるようにした。

 ご近所の方々が望む、出来る限りの要望は、実現可能性は別としても、建設側には、具体的に出した。ご近所の方々が、建設中止は無理としても、伝えきった、という納得感を得られるように、出来る限り、建設側にも、聞いてもらった気持ちを持てるにはどうしたらいいのかを考え続けた。建設側の人に、建設計画から近所の住民が参加できるシステムを近未来に作ることを、実現可能性は別としても、要望として伝えることもあった。

建設反対運動の疲労感

 この1年は、とてもしんどかった。
 それは、たぶん、30世帯ほどだったけれど、人の意見はどれだけまとまらないのかを、肌で分かったからだろうし、調整するための言葉や文章は、どれだけ書いても、これでは何か足りないように思い続けた。誰が悪いというのではなく、みなさまのご意見を言い切ってもらう、ということを、最初に約束したのは自分だった。

 それから、建設会社との交渉は、やはり疲労感が強かった。
 企業としては利益が最優先で、だから、しかたがないとは思うのだけど、普通に暮らしている人間から見ると、以前言っていたことと違うことを何の抵抗感もなく主張し、こちらが指摘をしなければ、表情も変えずに通そうとするから、結果として、平気でうそをつくようにしか思えない時もあった。そういうときは、修正も含めて、疲れる行為だった。

 そして、本当に男社会な感じがしたし、交渉などの時には、町会会館の部屋は、そんなに広くないのに、7人も8人もおじさんばかりがやってきた。それなのに、何もしゃべらない人が何人かいて、どうして来ているのか理解できず、威圧するために人数を増やしているのだろうか、などと思うことで、また疲れた。

 記録はとったし、あとは建設会社との話し合いや交渉の時は、必ず録音を了承してもらった。

 建設会社の人も大変だったはずだし、できるかぎり誠実に対応してもらったと思う。ご近所の方々も、ご高齢の方も多かったのに、夜間の話し合いなどにも協力してもらって、疲労感があったようだった。それに結局は、マンションが建ってしまったし、日差しは減ったから無力感はあったはずだった。それでも、最後まで個別交渉は断ることを、ご近所の人の協力のおかげで徹底できたので、疑心暗鬼などはあまり生まれなくて済んだと思う。

 生きてきて、今まで経験したことがない疲労感が蓄積し続ける、不思議な1年と少しになった。

他の建設反対運動

 2010年代は、マンションの建設数は多かったのではないだろうか。
 うちの近所だけでなく、同じ町内でも、何棟もマンションが建ち、それぞれ場合によっては、建設反対運動が行われていた。

 私自身は、建設反対運動が終わって、マンションは予定通りに建ってしまったけれど、ご近所が仲違いすることも、あまりなかったと思うし、おつかれさまとねぎらってくれたので、とてもありがたかった。

 そして、その運動が終わったか、終わらないころに、男性が家にやってきた。
 本当に知らない人だったので、びっくりしたが、どうやら、その人は、うちから、何分かのやや遠いご近所の方だった。そして、用件は、その人の近所にもマンションが建つことになり、その反対をしたい、ということだった。

 どなたかに、私が最近まで反対運動をしていたことを知り、それで訪ねてきてくれたのだと知った。

本を渡す

 私自身も、そんな運動を始めた時に、どうしたらいいか分からなくて、何冊か本を読んで、一番良かった本が、冒頭に出てきた本だった。

 それをお貸しし、さらには、現地を見せたいといったような話もしていたので、歩いて、数分のその場所に行った。これからマンションが建つ場所を聞き、さらに少し話をした。

 その人は、他の人が反対をあきらめても、反対を続けたい、という意志を伝えてくれた。
 垂れ幕もずっと掲げ続けたい、ということだった。

 
 生意気なようだけど、反対運動のときに、似たことがあったので、こんなことも伝えた。

 その意志を貫くことは、なかなかできることではないので、貴重なことだと思います。
 ただ、気になるのは、そうした反対運動を続けるのが、ご近所全体でしたら、まったく問題はないとは思うのですが、たとえば、他の方々は、迷惑料が支払われることで運動終了を納得している場合に、一人だけ垂れ幕を掲げていることで、その迷惑料は払わない、といったことになると、建設側は言ってくる可能性はあります。

 そうした場合に、ご近所の方々との仲に亀裂が入ってしまうことがあるので、そのあたりのことは、考えていただく必要が出てくるかもしれません。

 私よりも、明らかに年上の男性の方なのだけど、反対運動が終わったあとも生活は続くので、生意気かもしれないけれど、そんなことを話した。


 何かあったら、またうちにきてくれる、という話だったし、本は、もう自分には必要なかったので、差し上げるつもりで、そんなことも言った。その方の自宅は、このへんです、といったことだけを聞いたので、それだけわかっていたら、苗字は聞いたし、大丈夫だと思ってしまった。


4年ぶりの返却

 それが、確か4年前のことだった。
 失礼ながら、ずっと忘れていた。
 歯医者に行く時に、そのマンションの近くを通るから、何年後かに、見かけることはあったのだけど、マンションは建っていた。

 それが、完全に忘れた頃に、4年ぶりに、そのときの本が返ってきた。

「本 有難うございました。
 何回か、昨年、一昨年と伺いましたが、
 お留守だったため、家に持ち帰りました」

 そうした文章が添えられていた。
 去年も、一昨年も、来てくださっていたことに、気がつかなかった。
 この本は差し上げたつもりだったので、よけいに申し訳ない気持ちになった。
 その人にとっては、3年越しの返却になって、ずっと気になっていたのだろう、と想像すると、やっぱり恐縮する思いになる。
 それでもあきらめずに、最初に投函するのではなく、3年も通ってもらったのは、申し訳ないけれど、でもすごいと思った。


 同時に、その反対運動のときの辛さを、少し思い出した。


家を探す

 気になったので、2日たってから、コンビニでお茶類などを買って、手土産にして、これだけの手間をかけてもらったことへの御礼を伝えようと思った。

 歩いて、数分。
 でも、近くても通らない道はある。
 そのマンションはまだきれいで、そして、反対運動をしていたような痕跡は、当たり前だけど、何も残っていなかった。

 手紙に書かれた名前の家の表札を探した。約4年前に、このあたり、と指差したところを歩いたが、その名前と思われる表札はなかった。不思議だった。

 さらに、その周辺を歩いたが、その名前らしき表札は見つからず、帰ってきた。それから町内会名簿を見たのだけど、わからなかった。

 申し訳ないのだけど、妻とも相談して、ここであきらめることにした。
 手土産で買ったお茶類は、家で飲むことにした。

伝言

 かなり確率の低い話だとは思うのですが、もしも、この記事の話が、ご本人に目に触れるようなことがありましたら、この場を借りてですが、御礼を申し上げます。

 3年越しに、何度も訪ねてきていただき、お手数をおかけして、すみませんでした。そして、本を返却していただき、ありがとうございました。

 そして、余計なことだとは思うのですが、マンション建設反対の運動は大変だったと思います。本当に、お疲れ様でした。



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もう2度と、こんな「夏!」は、来ないかもしれない。

「コロナ禍」での、「リーダーの条件」を考える。

「コロナに関する、矛盾した難題と、危険な誘導」。2020.8.15

「思い出に関する、いろいろなこと」

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「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月


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