見出し画像

「公衆電話が、また消えた」。

 最初にnoteに書いたのが、スマホも携帯も持たない自分が、どんなことを感じているか、という記事だった。2020年3月のことだった。

 それから半年がたって、微妙に状況が変わったように思えたので、また電話について、書いた。

持たない理由

 さらに時間がたち、2022年の現在でも、まだスマホも携帯も持っていない。

 介護に専念し、仕事もしていないから徹底的に節約した15年ほどがあって、その間にスマートフォンが発売され、世の中に普及していったことは知っていたが、今も、コロナ禍で仕事がとても少なく収入も低いため、毎月、定期的にお金が出ていくことが怖くて、持てていない。

 ただ、この「理由」も、年ごとに通用しなくなっているのは、肌で感じている。

 かなり肩身が狭く、この「不携帯」のために謝ることは増え、そして、貧乏だから持ててないと言っても信じてくれなくて、特殊な思想の持ち主のように思われる度合いが高くなっている。つまりは、理解ができない相手として見られる確率も増えている。

 さらには、配信やライブのチケットも、スマホを持っていないと申し込めない場合もある。

 少しずつ、自分が悪いのかもしれないが、実質的には、社会的な排除が進んでいる感じはする。

 こういうことを書いていると、なんとなく嫌われるのではないか、といった思いにもなる。

公衆電話が、また消えた

 テレホンカードは、一時期は金券ショップで、半額以下で買えることもあったのだけど、そのうちに金券ショップで取り扱わなくなった。

 今は、コンビニによっては販売していないが、1枚1000円の事務的なデザインのテレホンカードを購入し、利用している。

 現在も、家族や自分が持病を持っていて、コロナ感染予防のために外出はなるべく控えているが、電車に乗って出かけた時には、電話を自宅にかけるポイントがある。

 随分前に、そのうちの一ヶ所は、5個くらいの電話ボックスが全部なくなったことがある。
 
 その時は、ちょっとショックだったけれど、まだ乗り換えの場所の「1台」はなくなっていなかったので、大丈夫だった。

 その「1台」の公衆電話は、出かけて、帰り際に、最近は毎回のように使っていた。その駅から電車に乗ると、10分ほどで自宅の最寄り駅に着くから、そろそろ帰ることと、買い物などがあれば、そこでメモをして帰りに寄ることもできた。

 いつものように、その公衆電話を使って、家に電話をしたのが、2022年5月21日の土曜日だった。そして、その次の週、5月26日の木曜日に、電車を乗り換える前に、いつものように家に電話をしようと思ったら、そこには電話がなくなっていた。

 なんの前触れもなかった。もしかしたら、何か書いてあったのかもしれないが、見落としていた。

 もう1ヶ所、もっと改札の近くにもう一台だけあったはずだけど、そこへ、微妙にあわてて、動揺もして見にいったら、そこにもなかった。

 また、公衆電話が消えてしまった。

 自宅の最寄り駅のそばの郵便局は、一時閉鎖になっているが、そのそばにあった電話ボックスもなくなっている。

 なんだか、大げさだけど、翼をもがれた気持ちだった。

 もう、これ以上減らすと、災害時などに支障も出てきそうなのに、と思ったけれど、それはとても伝わりにくい思いかもしれない。


 ただ、改札のそばの公衆電話はなくなったとしても、この駅の近辺では、どこかに公衆電話があるはずと思って、階段を降りて、駅前の広場のようなところに出る。

 その広場の隅っこに車イス利用者でも使える大きめの電話ボックスがあった。さらに、タクシー乗り場のそばには、二つの電話ボックスがあった。ここにあったのを知らなったが、比較的、新しいもののように思えた。

 それから、電車に乗って、自宅の最寄り駅について、家に戻るときの道には、以前、一度はなくなった場所に、公衆電話が、どうやら新設されたらしいのが確認できた。今、どんな基準で公衆電話があるのか、よく分からないまま、さらに減っていく未来はイメージができた。


 そういえば、大衆と公衆は、それほど大きい違いがないような気もするが、今は、大衆は「酒場」と「週刊大衆」で、公衆は「トイレ」と「電話」が頭に浮かぶ。もしかしたら、「公衆」の方が、より実用に近いものにつく言葉になっているのかもしれない。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



#習慣にしていること   #公衆電話   #撤去   #時代

#変化    #テレホンカード   #大衆   #公衆

#毎日投稿   

この記事が参加している募集

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。