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菅義偉氏の過去に関する世の中の関心に、ちょっとついていけない件

 2020年9月14日、自民党総裁選は菅義偉氏がトップ当選、そして首相就任ということになりそうです。

菅義偉氏の「叩き上げエピソード」について

 ここ数日、菅義偉氏の「集団就職の叩き上げ、苦学して大学を卒業」というエピソードについて、「それは単なるイメージ戦略」という話が出てきています。横田一氏の記事「「叩き上げの苦労人」という虚像。新総裁に手をかけた菅義偉、利権のために恩師も裏切る素顔」、古谷経衡氏の記事「「菅義偉氏は苦労人」というイメージは本当か?」、など。

 政治家として「首相になりたい」という思いがあれば、使えるものは何でも使うでしょうね。私、それ以上の感慨は持っていません。少なくとも、‎法政大学法学部を卒業したのは事実であるようです。少し前、カイロ大学を卒業したのかどうかが話題になった某都知事と同様の問題はないのでは。

庶民派首相には、庶民に優しい政治を期待できるのか? 

 これは「そういうこともあるかもしれないけど、一般的には違うことが多い」と考えておくのが良いと思います。元大阪府知事・元大阪市長の橋下徹氏を思い起こせば十分でしょう。

「努力でのし上がった」エピソードから差し引くべき時代背景

 菅義偉氏の「貧しかったので高卒後に集団就職」「大学を苦学して卒業」といったエピソードについては、「当時、そういう方たくさんいましたから」の一言で済ませてよいのではないかと思います。

 菅氏は1948年生まれです。1966年に18歳、1973年に25歳だったことになります。いわゆる「団塊世代」には属しており、進学も就職も激しい競争になったわけですが、第二次オイルショックに巻き込まれる前に社会人になり中堅にさしかかっていました。そこまでの人生は戦後日本と高度成長期にまるごと重なっていたわけです。いわゆる「バブル世代」を安定させたイメージです。
 日本の一般論として、「20代で一定の安定を築いておくと、その後の人生は若干の波風に吹かれつつも困窮しない老後まで到達しやすい」という傾向があります(ただし男性に限る)。この傾向がこのままで良いのかどうかはともかく、菅氏はその「勝ちパターン」に20代で乗れたわけです。

「努力できた世代」「努力に報われる可能性があった世代」という幸運

 高校進学率が80%に達したのは1970年でした。中学卒業者の20%は、高校に進学しないわけです。少ないとはいえ、「20%」にはそれなりの存在感があり、世の中には「本人の学業成績や学業への思いと無関係に、高校(ましてや大学)には進学しないことがありうる」という認識がありました。社会の不条理に対する理解者でもある雇用者に巡り合うと、中卒や高卒でも、その後のキャリア形成と一定の安定感ある職業継続の可能性とともに職業生活のスタートを切ることが可能です。残念ながら「誰にでも」「どこにでも」ではなく、その恩恵と無縁だった方々が圧倒的に多いと思われますが。
 それでも、向上心を持った10代の若者が学業と職業を両立させる可能性は、現在に比べれば比較にならないほど数多く存在しました。若者を労働力としてこき使うだけの企業もたくさんありましたが、一定の理解のある雇用者も多数いました。定時制高校も大学夜間部も、都市部なら数多く存在しました。しかし不十分だったから、現在の高齢者の貧困問題があるわけです。

 ともあれ、2020年現在のコロナ禍下の高校生や大学生のほうが、よほど過酷で出口のない状況にいます。菅氏の世代で何とか年金生活に突入できた方々が「努力すれば道は開ける」と言うのは、私から見れば、安倍晋三氏が同じことを言うのと大差ない「上から目線」です。高尾山からでも富士山からでもチョモランマからでも、地べたにいる人間にとって「はるか高みから上から目線で言われている」ということに違いはありません。
 菅氏も、何を言っても「上から目線」にしかなりえないでしょう。

菅氏の世代は、教育によって親の階層を超える可能性が広く開かれていた

 子どもが教育によって親の階層を超えることは、概ね1980年前後の高校卒業者以後は困難化しています。そのことは、2000年に刊行された佐藤俊樹氏の著書「不平等社会日本―さよなら総中流」などに示されており、2020年現在は一般社会通念に近いものとなっています。しかしそのころ、菅氏はすでに、議員秘書として一定の立ち位置を確保していました。

 もちろん、菅氏は努力も勉強も苦労も重ねたのでしょう。正しいと思われる選択を重ね、幸運を逃さず掴み取ったのでしょう。菅氏と同い年で、大学まで似たような経歴を歩みながら首相にならない人は、数千人くらいいそうです。しかし、菅氏の経歴から「あなたも努力すれば階層を突破できる」というメッセージを引き出すのなら、せめて、高度成長期が終わった後の日本経済のもろもろに足をすくわれたその後の世代全員に、同様の上げ潮というか、上げ底というか、ゲタというか、同等の嵩上げをしてからでなくては「アンフェア」っつーもの。

政治家は経歴じゃない。政策は何なのか? 何を実行するのか?

 政治家は、政策の内容や実行ぶりによって評価されるべきです。「令和おじさん」であったことも、パンケーキが好きとかいうエピソードも、過去の叩き上げ苦労人エピソードも、ぶっちゃけ関係ありません。

 もちろん、ウソは好ましくないと思います。イメージ戦略のために経歴から都合のよいところをつまみ食いする程度なら、許容範囲であろうと思いますが。
「過去の経歴がウソ八珍オンパレードであっても、素晴らしい政策施策を実施して日本の全員が大喜びするような政治家だったら、別にいーじゃん?」
という立場から見てみることも必要なのではないでしょうか。

政治家は、資格職ですらない

 弁護士や医師や薬剤師や看護師や保育士が資格を詐称したら、シャレになりません。資格職であるということは、「その業務を遂行するために必要な知識を持ち、必要な訓練を受けています」ということです(ここで学校教員の教免について言及していないのは、「大学等で教員資格を取得する」こと以外の抜け道が結構たくさんあり、実際に使われているからです)。

 政治家は、資格職ではありません。このことを考えると、過去の経歴や保有しているはずの資格の真偽に対する関心については、一定の「その程度にしておく」という割り切りが必要ではないかと思います。言い換えれば「騒ぐのもいいかげんに」ということ。ほとんどは、半年や1年が経過すれば「ああそういうネタあったねえ」程度に忘れられる情報です。それよりも、政策の内容や遂行の可能性や、過去の政権の残した問題課題の後始末、そして今後の政権のなりゆきの方が問題ではないでしょうか。

 むしろ気にすべきことは、政策やその遂行や、今後の政権のなりゆきについて、政治家を縛るものが少なすぎることでしょう。吹けば飛ぶような100円ライターみたいな私だって、知的財産権を土俵として活動している以上、「結果として」でも捏造や剽窃にあたることをしないのは当然。
 ところが現在の日本では、公的記録があまりにも簡単に破棄されてしまい、政治家が実際のところ何をしていたのか分からない場面が多すぎます。そもそも、何によって政策その他を評価すればいいのか。そこから頭痛の種が始まっています。

 事実をもとに問題として取り上げることができ、問題にしやすいのは、過去の経歴とイメージ戦略の齟齬や、ちょっとした演出上のウソくらいしかないのかもしれません。そもそも、その状況がちょっとね……。

オサレなパンケーキなら、いくらでも食べてください。問題は政策だ。

 私は、菅氏の社会保障政策を気にしています。ガクガクブルブルと。
 まずは厚生労働省の社会・援護局に、ヘンな人事をしないでほしいです。これからの「叩き上げ」「苦労人」の芽まで潰しかねませんから。
 もしも、菅さん行きつけのパンケーキ屋さんに1万円お預けして、私のツケで生フルーツやホイップクリームトッピングを好きなだけ楽しんでいただくことに効果があるのなら、そうしてもいいかも。私、「カフェ風のパンケーキ」なる女子的な食べ物に興味がなくて、パンケーキでゼイタクするというイメージが、「生ラズベリーてんこ盛りにホイップクリーム増し増し」程度しか思い浮かばないのですが。
 ……問題はそんなところではなく、「それは贈賄だ」という点にあります。私、やりません。やりませんってば! そもそも、都心のオサレなカフェなんて知らないし!!

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