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疲れ目解消から恨みつらみへの復讐が始まり、そして思わぬ回復へとつながった件

 数日前、私は「疲れ目の解消から、復讐が始まる」という不思議な経験をした。復讐といっても、相手への直接行動は行っていない。

 私は20代のころから、目を酷使する職業に就きつづけてきた。1980年代の、眼に全然優しくなかったディスプレイでのプログラミングとか、電子顕微鏡のオペレーションとか。そして、35歳で老眼宣告を受けた。

 2週間ほど前のこと。朝、ベッドの中で目覚めて眼を開く前に、すでに眼が疲れていることに気がついた。眠っている間に眼精疲労が解消されていないということである。そこで、使い捨て温感アイマスクを買ってきて、眼に当てて寝た。商品名を秘密にする必要はないだろう。花王「めぐりズム」である。ふだん、ベッドに入って5分以内、長くても10分以内に寝落ちする私は、温感アイマスクで眼の周りがじんわり気持ちよくなると、なかなか寝落ちできなかった。しかし、眠れなくて焦る気持ちはなかったので、眠っているのか眠っていないのかわからないような状態でしばらく横になっていた。

 脳裏に、現在在学している大学院で経験した、小さなことだけど耐え難く抵抗もしづらいできごとの数々が、次々に現れた。

 一つだけ実例をあげよう。
 2014年3月末、私がはじめて大学院に登校(2014年4月に編入)した時のこと。その建物の中には、ちょっとしたロビーのような場所がある。
 私は、人が出入りして適宜ザワザワしているようなところで自習するのが好きだったので、喜んで席につき、パソコンや書籍を広げた。
 近くの席には、院生と思われる3人の女性がいておしゃべりをしていた。30代くらいか。社会人経験があったり有職だったりする院生が多いので、年齢層が少し高いのだ。
 3人の女性の1人が、私のほうをチラチラ見ていた。なぜそんなふうに見るのか理解できなかった。私は車椅子に乗っていたけれど、車椅子がそんなに珍しいのか? とりあえず黙って会釈だけして、私は自分のパソコンのスタンバイを続けていた。
 バッテリーの残りが少ないことに気づき、ACアダプターを電源に接続しようとすると、こちらをチラチラ見ていた女性が電光石火の勢いで飛んできて、プラグをコンセントに接続した。
 私は「あ、ありがとうございます」と言った。でも内心、「なぜ?」と怒りを抱えていた。私は、自分に出来るか出来ないかの判断ができる。出来ないことがあったら、誰かにお願いすることができる。私は車椅子に乗ったまま、床面に手を触れることができるほど身体が柔軟だ。でも、その女性は、私の身体能力や判断能力やコミュニケーション能力の存在や不存在を全く考えずに手を出した。そして私は、怒るのではなく感謝してしまった。
 その人が特別な人だったわけではなかった。その後ずっと、そういう情けない思いをさせられることが続いた。頼んでもいない好意を無理やりにおしつけられる。時には、代償を求められることがある。見下す口調を受け入れさせられるとか、ボディタッチされるとか(相手は女性で、性的なものではないが)。周囲の学生たちも教員たちも、私が怒りで張り裂けそうになっていることには気づいていない。それどころか、微笑ましく眺めていることもある。時には、その無用の余計なおせっかいを好ましく評価することもある。そのたびに、私は泣きたかった。

 やがて私は、余計なおせっかいに形式的に「ありがとう」くらいは言うけれど、心からの「ありがとう」を返したりはしないということが、だんだん知られた。すると次に始まったのは、「よい障害者」「悪い障害者」の分断である。よくあるパターンだ。私は厳しい立場に置かれはしたけれど、むしろ安心した面もあった。障害者を分断して、私を「悪い障害者」の側に置くという行為が行われる時、非は100%相手たちの側にある。ただいま在学している大学院でマジョリティや政治的に有力な人々を相手に言挙げが出来るかどうかという問題はあるけれども、とにかく、そういう状況が生じた以上、非は相手側にある。とはいえ、大小さまざまな消耗や差別の蓄積で、私は身も心も削られすぎてしまったようだ。非が誰にあろうが、その状況は私を蝕んでいった。

 温感アイマスクを装着してベッドに横たわっている私の脳裏に、それらの記憶、それらの場面、それらの人々、それらの表情や声が次々に浮かんで消えた。その時と同じように、情けなく、辛く、やるせなかった。

 その次に脳裏に浮かび上がったのは、その人々が、それはそれは残酷な罰を受ける場面の数々だった。思い浮かべている私自身が「女性障害者に無意識に結果として差別的な扱いをしてしまったくらいのことで、そこまでのことをされなくてもいいじゃないか」と思うほど残酷だった。具体的には描写したくない。私自身も、脳裏に勝手に浮かび上がってきたそれらのイメージで吐きそうだった。

 一段落つくと、もう一度、それらのシーンが脳裏で再演された。そして、私が傷ついた出来事が発生する直前でストップした。私は傷つかないように対応することができた。たとえば、前述したロビーでのシーンでは、私は相手の顔を見て「なぜジロジロ見るのですか。不快ですからやめてください」と言うのだった。相手はバツの悪そうな顔になる。書店に用事を思い出して、3人で立ち上がってどこかに消えた。数十分後、私もそのロビーを立ち去った。建物を出る際、入り口近くにある研究科事務室で「さきほどこういうことがあり、私は障害者差別だと感じたので、注意喚起してほしい」と職員に話した。

 そういう対応を最初からできていれば、私は2014年から何年も何年も(今も)苦しまなくてよかったはずだ。でも、苦しみながら長引かせてしまった大学院在学によって、今も苦しんでいる。とにかく早く博士論文を提出して、ここの人間関係から離れて、新しい人間関係をこじれにくい形で再構築したい。それはきっとできる。

 私はアイマスクを外して、深い眠りに落ちた。そして、疲れていない眼で目覚めた。

 心身が疲れているときには、疲れと疲れが複雑に絡み合い、どうしようもなくなっていることが多い。どこか身体の疲れをほぐせるところからほぐすと、連鎖して、思わぬ心の疲れやトラウマがほぐせることもあるのではないだろうか。

 その後何日か、少しずつ、私の身体に蓄積した疲れや凝りは軽減している。50年以上抱えている頚椎の凝りと痛みまで軽減しつつある。身体のどこかの辛さが減るとき、そこに連動している心の辛さも少し解消に向かうような気がしてきたところだ。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。