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社会福祉士と精神保健福祉士が二本立ての日本。なぜこうなった?

 国家資格の場合、養成カリキュラムや試験や資格の詳細は法律で定められています。社会福祉士資格は「社会福祉士及び介護福祉士法」、精神保健福祉士資格は「精神保健福祉士法」です。なぜ、法律が2つあるのでしょうか?

「医療」「精神医療」の間に線が引かれてきた日本の歴史

 社会福祉士も精神保健福祉士も、ソーシャルワークを行う人のための資格です。法も養成課程も資格試験も「2本立て」になっているのは、日本の精神医療が通常の医療とは別枠で行われてきた歴史があるからです。

 社会福祉サービスや介護サービスは、基本的にまず「本人のため」。精神医療や精神障害者福祉と関係あれば、「社会のため、ついでに本人のため」。精神医療や精神保健福祉の目的が、精神障害者や精神疾患を持つ人から社会を守る「社会防衛」だからです。

座敷牢から閉鎖病棟へ

 日本の精神障害者は、家族や集落の責任において、座敷牢に閉じ込められてきました。危ない人から社会を守るために、「他にどうしようもない」と考えられてきたからです。座敷牢への監禁は、1950年に禁止されました。

 座敷牢が禁止されると、座敷牢に閉じ込められていた人々は精神科病院に閉じ込められるようになりました。日本に多数の精神科入院患者がおり、最大で約34万人に達していたことは、1960年代から国内外の批判を浴びてきましたが、退院促進や地域移行がなかなか進まないまま、患者さんたちは高齢化していきました。しかし、少しずつ減少し、2017年は約25万人でした。この原因の一つは、高齢化した患者さんたちが亡くなり「棺桶退院」することが増えてきたことです。また若年層に対しては、早期発見早期治療の可能性が高まり、入院が長期化しにくくなりました。「とは言うものの、実は……」という部分はあるのですが、一般的傾向としてはそうです。

閉鎖病棟からグループホーム(施設)へ

 精神科病院から退院すると、地域のどこかに住む必要があります。家族が「よく退院した」と喜んで迎えるのなら、まずはそこに帰れば済みます。しかし、家族が「一緒に住みたくない」「関わりたくない」と思っている場合、まずは「住みたいところでアパートを借りて生活保護」「グループホームで生活保護」のどちらかになります。これもら一筋縄ではいきません。

 職歴が空白だらけで、現在すでに生活保護を受けているわけではない精神障害者が、地域で賃貸アパートに入居するのは至難の業です。既に生活保護を受けているのなら、かえって「家賃の取りはぐれがない」と歓迎する大家さんもいます。しかし、定住先がない状態での生活保護申請は拒まれることが多いのです。拒まれなくとも、本人が同意したということにされて貧困ビジネスの寮に入れられ、何年も出られないこともあります。

 現実的に、少ないエネルギーと手持ち金で実現できそうなのは、入れそうなグループホームに入ることです。入院している病院の系列のグループホームなら、病院の支援も得られやすいです(このこと自体が問題ですが、本記事ではさておきます)。グループホームは、小さくてもアットホームでも、国際基準では「施設」です。そのグループホームでさえ、建設反対運動が全国各地で起こるありさまです。2020年1月9日の朝日新聞記事には、「土地が汚れる」とまで言う、凄まじい反対運動の様子が報道されています。

グループホームから地域のアパートへ、そして?

 グループホームでも賃貸アパートでも、「精神障害者が地域にいる」ということには変わりありません。「閉じ込められていない」ということは、「どこに行くか何をするか分からない」ということです。どこに行こうが何をしようが、本人の勝手です。とやかく言ったり止めたりするのは人権侵害です。しかし、地域精神保健福祉だとか見守りだとか、さまざまな口実による実質的な監視が制度化されてしまっています。

「本人のための福祉」と「本人から社会を防衛するための福祉」

 ああ、座敷牢DNAは、日本が滅亡しない限りなくならないのでしょうか。座敷牢による「社会防衛」というコンセプトは、現在の日本で完全に捨てられたわけではありません。しぶとく生き残り、見え隠れしています。だから、精神障害者から社会防衛するための精神保健福祉が必要なのであり、そのコンセプトのもとにソーシャルワークを行うソーシャルワーカー資格が必要なのです。このことが、社会福祉士と精神保健福祉士が2本立ての日本の事情です。

「精神科に入院していると医療は受けられない」という驚愕の事実

 精神科病院に入院している限り、「病院にいるのだから健康だけは守られるだろう」と期待したいところですが、そんなことはありません。「精神科特例」があり、精神科は少ない医師・看護師で運営することが可能です。このことが意味するのは、「精神保健指定医しかいない」という可能性です。

「精神保健指定医」という資格を一言で言えば、「監禁のライセンス」。強制入院や身体拘束などを行うために必要な資格です。強制入院の可能性は24時間365日ありますから、精神科病院には常時、精神保健指定医を勤務させておく必要があります。ただでさえ少ない医師のほとんど、または全員が、精神保健指定医となるのは必然です。基本、精神科以外の治療はできないと考えてよいでしょう(「精神科はどうなのか」という問題もあるのですが、ここではさておきます)。

精神障害者は無医村に住ませられているのも同然?

「精神科病院に入院していると医療が受けられない」などと書くとジョークのようですが、ホントです。「入院中に虫歯が治せず歯がボロボロに」という話は、よく聞きます。複雑な検査をしないと判断できない病気、本格的な内科外科その他の治療を必要とする病気は、精神科病院の中では基本的に治せません。設備がなく、医師もいないからです。「他の総合病院にお願いする」という方法もありますが、相手が拒んだらそれまで。

 在宅で生活を送っていても、精神疾患を理由に治療を受けられず、容易に治せるはずの病気で亡くなる方がいたりします。2009年末には、統合失調症を持つ男性が腸閉塞で苦しんだ末、医療を受けられないまま亡くなりました(薬家連サイトよりWeb魚拓:2010年1月の毎日新聞のスキャンデータ)。

決して楽観できない今後の成り行き

 しかし、「これで精神障害者の人権と地域生活はOK」と安心するのは早計というもの。「地域のご近所さんによる監視があれば精神科病棟はいらない」という方向に流れる可能性が、障害者団体等によって危惧されてきました(1970年代から一貫してこの路線で活動してきた団体の一つは「精神障害者権利主張センター・絆」です)。

 精神科入院が縮小されることによって職場を失う方々が、地域精神保健福祉を新しい職場とするのは、可能性というより必然でしょう。すると、病院の中で行われてきた監視や隔離が、よりわかりにくい形で「地域移行」されるだけかもしれません。少なくとも、「そんなことはない」と言い切れる制度設計はされていません。

「ああ、精神障害者じゃなくてよかった」とホッとする、そこのア・ナ・タ。事故や病気で高次脳機能障害になる可能性もあります。高齢になれば認知症の可能性もあります。その時、見えない鎖で地域につながれて自由を奪われている「地域生活」「自立生活」をしたいですか? 私はイヤです。あああああ、ガクガクブルブル。

精神医療・精神保健福祉には、心ある専門家もいるけれど

 そうはいっても、どの世界もピンキリです。精神医療や精神保健福祉分野でも、そのことは変わりません。心ある方、良心的な方、日本の現状がこのままではダメだと思っている方も、たくさんいます。しかし、土台となる日本の法や制度がダメダメで、ダメぶりが加速しているのです。

 注目すべきところは、一にも二にも、法や制度の動きです。そして、そこは今、まったく安心できません。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。