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私は学びたかった

 私の長年の希望は、「学びたい」であった。今でも、かなりそうかもしれない。学びたいのに学べなかったから「学びたい」という、しごく当たり前の話である。

 私は1980年代に理系の4年制大学へ進学し、大学院修士課程に進んで修了した。その後、会社に勤務するかたわら通信制短大でデザインを学んだり、フリーライターとして独立して仕事しつつ放送大学で学んだり、大学院博士課程に編入してドロップアウトしたりした。現在は2つ目の大学院博士課程に籍をおき、いろいろありすぎたけれど、残すところ博論だけになっている。

 この他に、国連関連団体で政治への働きかけに関するトレーニングを受けたり、他国の大学が開催する国際障害法に関するセミナーに参加したり、報道従事者のための学びとスキルアップの機会に参加したり、米国の大学のオンライン講座を受講したり、大小さまざまな学びの機会を得ている。もちろん、スキルや知識を身につけ、人間関係も育んでいる。私はおそらく、人類の中では、あり得ないほど学びの機会に恵まれている。

 でも私には、「学べた」という実感がない。

 学ぶことは、それで終了するものではない。何かを身につけ、身につけた何かを使って何かを達成するはずである。本人は、学ぶことで満足して完結しているかもしれない。でも学んだ本人のその後は、その時点での満足や完結では終わらないはずである。「学ぶことが、そういうことだから」としか言いようがない。

 私は、学んだことに対する罰を恐れずに学びたい。学んだことを生かして何かを達成することの罰を恐れずに、未来に向かって学びたい。今、学んでいることが、近未来の「何もしない方がマシだった」という後悔と屈辱につながらないという確信のもとに学びたい。

 世の中には、そういう学びが溢れているようだ。そういう学びを実現した人が、たくさんいるようだ。そのことは、聞いたり読んだり見たりして知ることができる。

 でも私は、自分にもそれが起こるという実感を持てない。一度も持ったことがない。瞬間的に持ったことはあるけれど、必ず「そう感じたことを後悔する」という結末に終わった。一言で言えば、生育環境の中で翼を折られ続けてきた。

 私は幼少期から現在まで一貫して、「学校に在学して学んだだけで、その後、何も活用できなかった」という成り行きを期待されてきた。期待する主体は、当初は自分の両親だった。成長して年齢を重ねていくにつれ、両親と共感して同じように反応する人々が増えていった。学べば学ぶほど、それを無意味にしようとする力が周囲に増える。学んだ意義を形にしようとすればするほど、そうさせまいとする力が周囲に増える。

 いつか、このパワーバランスが崩れ、「学んだことは無駄にならなかった」「学んだことは有意義だった」と言える日が来るのだろうか? そういう日が、私にも訪れてほしい。願い続けながら、気がつくともう57歳になっている。このままでは、私に加えられてきた圧力が期待する通り、「学んだだけ無駄」というだけの人間で終わってしまいそうだ。

 ともあれ、私はまだ生きている。

 私の知への翼は、繰り返し折られて無残な形に変形してしまっているけれど、まだ私に生えていると信じたい。

 私は学びたかった。
 今も学びたい。
 いつか私にも、「学べた」と思える日が来ることを願っている。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。