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”ありがちなこと”を8つのポイントから読み解いてみた ~「べてるの家」と「東京シューレ」の件から

 まず、最初に述べておきたいことは、私自身は「べてるの家」にも「東京シューレ」にも悪い感情は持っていないということです。

 両団体は、元利用者に対する2000年代~2010年代の性加害によって、何らかの告発を受けています。「東京シューレ」は2019年に和解に至りましたが、「べてるの家」は、いまだ現在進行中と見るべきでしょう(こちらのnote記事など)。

 私自身は、両団体に当事者としてお世話になったことはありませんが、文字通りの「別の選択肢(alternative)」としてお世話になりました。既存の社会やシステムに押しつぶされそうになっている人々にとっては、別のあり方が存在するという事実とその情報だけでも救いになることがあります。私にとってもそうでした。

 そればかりではありません。「べてるの家」には、2011年の東日本大震災直後、もともとの天災への備えを取材させていただいて記事化したことがあります(前編後編)。2019年には「べてるの家」の皆さんと障害者支援技術のセミナーで共に登壇させていただいたり、緩く薄いご縁があります。「べてるの家」を通じて知り合った方々との緩く薄いつながりにも、何かと助けられたり支えられたりしています。だからこそ、黙っているわけにはいかないと思いました。

1. 「人が集まっていれば必ず起こる」と考えるべき

 性加害の事実があったかどうかについては、第三者である私には判断できません。しかし、「あったとしても不思議ではない」ということだけは確実に言えると思っています。「べてるの家」や「東京シューレ」だったからではありません。精神障害者が集まるからでも、不登校児者が集まるからでもありません。居場所だからでもありません。人が集まれば必ず、この種の問題は起こる可能性があるからです。

2. 切実なニーズから生まれた私的な空間としてのスタート

 社会に行き場がなく精神科病院を退院できない長期入院者がいたから、「べてるの家」が生まれました。既存の学校に馴染めない「登校拒否児」がいたから、「東京シューレ」が生まれました。いずれの団体も、初期のメンバーであった当事者にとって、かけがえなく貴重な場所でした。
 1980年代当時、似たような選択肢は他になかったわけです。「べてるの家」があったから、精神科病棟の中で一生を送ってカンオケ退院するのではない人生を送れた人々がいます。「東京シューレ」があったから、学校は諦めたけど教育を諦めずに済んだ子どもたちがいます。
 支援者や運営者の一部にとっても、事情は似たりよったりです。このような場には、自らが癒やされることを求めて関わる大人が入り込みやすいのです。「性被害は受けなかったものの、支援者や場の責任者に傷つけられて去った」という経験なら、障害や不登校の当事者から数回聞いています。そりゃ、あるでしょうね。大人の障害者である私も、そういう目にはしょっちゅう遭ってますもん。「ありうる」ということは織り込んだ上、ヤバいなりゆきを避けることで自衛せざるを得ません。

3. 拡大、展開、そして規模の変化がもたらす必然

 「べてるの家」「東京シューレ」の小さかった前例は、全国各地での似たような試みへとつながっていきました。「北海道の浦河町だけ」「東京だけ」では、他の地域の当事者は救われないままですから、広がっていくのは当然です。
 同時に「元祖」も、試行錯誤を続けて時間のテストに揉まながら、強く成長していきました。文字通り、類例のない存在となると、国や行政の政策施策にも影響を与える存在となりました。是非はともあれ、必然です。

 しかし、30年以上の歩みの中で、人数的にも内容的にも変化が起こります。大規模化し、形態はともあれガッチリとした組織になっていきます。これも必然です。そうしなくては壊れてしまい、何もできなくなります。すると、当初の「気心の知れた数人で、支え合って分かち合って」というスタイルを維持することはできなくなります。

4. 私的空間だから許される「解決」

 気心の知れた数人、せいぜい小学校の1クラス以下の人数なら、時に互いに対する過ちが起こっても、「それでもいい、共に生きよう」という成り行きの繰り返しで乗り越えられたかもしれません。ジブリ『もののけ姫』のように。それは「アリなんじゃないか」と思います。
 そこは私的な空間です。公共のルールが支配する領域ではありません。ルールを守ること自体が目的となる場合もある組織でもありません。「そこのあり方や仲間が好きな人の集まり」という状況が維持されている限り、決定的かつ取り返しのつかない傷を与えたり与えられたりすることを互いに避けている限り、イヤなら出ていく自由が実質的に担保されていて「出ていった罰」のようなものが存在しない限り、「それもアリ」でしょう。

5. もはや過渡期を過ぎて「公共」化しつつある

 しかし、両団体が小ぢんまりと私的な領域にとどまっていた時代は、はるか昔です。もはや公共の一部であったり、「もう一つの公共」というべき位置づけにあったりします。そうなると、私的で出入り自由の仲間の集まりだった時期には許されていたことが、許されなくなります。

 「東京シューレ」に通ってくる不登校児に対しては、子どもに対する大人の責任が常につきまといます。学校的なものの暴力性から逃れてきた子どもたちを別の種類の暴力で苦しめることは、断じてあってはならないはずです。

6. 制度化されて独り歩きを始めた部分をどう見ればよいのか

 「べてるの家」は、もう少し複雑だと思っています。
 「べてるの家」の多様な試みとその効果は、広く注目され、一部は精神保健医療制度に取り入れられました。その一つに、精神障害者相互によるピア・サポート制度があります。制度化が検討されていた時期から、障害者運動の一部からは、ナチスドイツの「カポ」(ユダヤ人を取り締まるユダヤ人リーダー)になぞらえて疑問視する声がありました。政府側に、そういう期待がなかったとは言えません。「べてるの家」の試みの一つが、制度化という形で独り歩きさせられてしまったわけです。
 ところがピア・サポート制度も、発足から数年が経過するうちに、独り歩きしています。地域の事情はさまざまです。人口密度も精神障害者密度も医療密度も、各地それぞれに異なっていますから、同じ制度が同じ姿を見せるとは限りません。制度の成り立ちに含まれていた懸念に関して鋭敏な精神医療従事者もおり、間違っても「カポ」育成にならないように注意していたりします。そういう配慮を行う人がいるかどうかで異なってくるようでは、制度化に成功しているとは言えないわけですが、そもそも、スーパーのプライベート・ブランド商品のように画一化するわけにはいかないものでもあります。さて、現状をどう評価すればよいものでしょうか。私自身、「悩ましい」と思っています。

7. 「オルタナティブ」が自然にたどる成り行きをどう見るか

 2つの団体の出来事は、私的な論理が通じる私的な空間の私的な試行錯誤からスタートした団体が、そろそろ「私的」が許されなくなる段階で、公共的な「誰がどう見ても恥ずかしくない」という倫理と論理を導入できずにいた、あるいは導入しようとして不徹底であらざるを得なかった段階で起こったと考えると、あまり疑問なく理解できます。そろそろ「私的」ではいられなくなっていたから、幅広い人々から「居場所」「自分も受け入れられる」と期待されたわけです。
 しかしながら、少女や女性のそういう期待に応えることができなかったり、その期待に応えることよりも優先される何かがあったりすることは、「よくあること」の一つとして考えられます。皆無にすることは、原理的に無理でしょう。出来る最大限の努力は、起こりにくく判明しやすくすることであり、起こった場合の迅速かつ適切な対応です。それでも、起こってしまった場合、決定的なダメージを与えてしまいます。各団体がその重みを理解し、実践に反映することは、日本全体のジェンダー意識の低さを変えていく「オルタナティブ」として力を発揮することにもつながると期待できますが……出来るんでしょうか? 

8. 「オルタナティブ」が公共になれば済むわけではない

 「オルタナティブ」団体がたどりつつある道のりは、1990年代以後に「家族」がたどった道とも重なります。数多くの人々の精力的な発信により、家族や家庭が親密かつ私的であるゆえに危険をはらんでいることは広く知られてきました。1990年以前の家庭は、子ども虐待やDVが時に起こりうる場所とは考えられていませんでした。でも、家庭とはいえ、私的だからといって何でも許されるわけではありません。公共の論理や倫理を導入しておかなければ、強い者がすべてを支配する地獄になります。そのことは2020年現在、日本で「だいたい常識」になっています。
 日本の家庭への「公共」の導入は、いまだ充分とはいえません。さらに、「充分に導入すればいいのか?」という問題もあります。家庭がまったく公共の一部となったら何が起こるか。最悪の事例は、ナチスドイツの「ヒトラー・ユーゲント」や、文化大革命下の「紅衛兵」の少年少女たちに見られます。親を告発して処罰させ、場合によっては死刑に追い込んだり。それはそれで、あまり想像したくないディストピアです。

それでも、「べてるの家」の乗り越えに期待する理由

 私は、自分自身が「べてるの家」の一員になりたいとは思いません。最初から、なんとなく違和感があるのです。その違和感を言語化することは困難ですが、違和感があることは、広報ではなく報道を行う立場での強みだと思っています。
 違和感はありますが、「べてるの家」の歩みと実績は、8割方は尊敬しています。だからこそ、贔屓の引き倒しはしたくありません。この度の出来事に対し、告発する方々の声、真相を究明しようとする取材陣、その他もろもろの力をお借りになって、現在の「べてるの家」のあり方にふさわしい乗り越え方をされてほしいと思い、関心を向けています。

 両団体の件には、人間が人間であり、人間が集まっている以上は必ず起こってしまう出来事として、頻度がいかに低くとも深刻な課題として、もっと幅広い関心が向けられてほしいと思います。
 いつか、現在の交通事故と同程度に、傾向と対策と「いざという時」の対応が常識となる日が来ますように。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。