2022年9月、国連障害者権利委員会が日本に勧告。そして、またスルー?
2022年9月9日、国連障害者権利委員会が、日本に対する初の勧告(総括所見)を公表しました。「初」なのは、日本が同委員会から受ける初めての審査だったからです。
2014年に国連障害者権利条約を締結した日本は、2019年秋~2020年春にかけて、初めての審査を受ける予定でした。2019年9月、初めての事前審査を予定通りに受けました。ところが2020年3月に予定されていた本審査は、新型コロナの影響による延期の繰り返しの末、2022年8月から9月にかけて、やっと行われました。そして、政府に対する勧告(総括所見)が出たわけです。
勧告を受けた日本政府は、また「スルー」するのかな?
最も考えられる成り行きは、「スルー」が閣議決定されることです。2013年以来、つまり第二次安倍政権が成立して以来、国連の人権関連の勧告は私が知るかぎりすべて「法的拘束力はない」「従う義務はない」と閣議決定されていますから。
「法的拘束力はない」という当たり前すぎる話
他国や国際社会との間で条約を締結する時、最初から「どうせ守る気ありません」と明言する国はありません。ポーズだけでも「守ります」という態度を示し、国内法整備などの前提をそれなりに満たした上で締結するものです。障害者権利条約における日本も、そうでした。
ただし、条約に従う義務は「ない」とも言えます。少なくとも、「条約に違反したら日本が何らかのペナルティを受けるので、怖いから従わなくちゃ」という状況ではありません。日本政府は、そういう状況を選んでいます。度重なる閣議決定は、その当然のことを繰り返しているわけです。
「実行します!」は「言うだけなら無料」?
条約を締結する時、その条約の何にどこまで従うのかは、その国が決めることです。完全に無視したいのなら、締結すること自体を避けるでしょう。条約の内容を実現したいのなら、それなりの締結のあり方が採用されます。国連の人権関連条約でいえば、「選択議定書」を締結すれば、日本は一定の強制力をもって条約の内容を実現させられることになります。そういう状態に自国を置くことを日本政府が志すのであれば、各条約を選択議定書とともに締結しているはずです。
選択議定書は、条約を締結して「守ります」と言うだけではなく、「一定の強制力をもって守れるようにしてください」という姿勢を実質的に示すものです。ところが現在のところ、日本が選択議定書を締結しているのは子どもの権利条約の一部のみです。
もしかすると向こう数年のうちに、女性差別撤廃条約の選択議定書を締結するかもしれません。地方議会レベルでの締結への賛成決議は、既に複数あります(たとえば大阪市も)。全都道府県が賛成すれば、政府は動かざるを得ないでしょう。1985年に締結した女性差別撤廃条約の選択議定書を、たとえば2025年後に締結するとすれば、「日本は、口先だけではなく実行を伴う女性差別撤廃に取り組むのに40年かかる国だった」ということになります。それでも、やらないよりマシなのでしょうけど。
政府が「スルー」しなかったら、それはそれで問題の火種に
今回の障害者権利条約については、政府が勧告の完全無視をしない可能性があると私は見ています。そして、それはそれで新たな問題の火種になりそうです。
障害者権利条約は、従軍慰安婦問題とも徴用工問題とも沖縄基地問題ともアイヌ差別とも部落差別とも無縁です。戦争や差別が生み出す障害やトラウマを考えると、全く無関係ということはないのですが、とりあえず2022年現在、国連障害者権利委員会はそこを問題にしていません。日本政府にとっては、「国連」「人権」と来ても歴史戦にはつながりにくい条約です。
むろん、過去が問題にされていないわけではありません。今回の審査では、優生手術と精神医療での強制が象徴的に問題にされました。それらには「強制」「本人の理解能力が不十分であることを利用した騙し」「深刻な人権侵害」といった問題が含まれています。もちろん「優生手術や精神科強制入院だからダメなのであって、他の対象なら強制も騙しも人権侵害もOK」ということにはなりません。が、国連で人権関連の審査というと話題にされる「従軍慰安婦」「徴用工」などの課題は出てきていません(それらの課題は、重要ではありますが、あくまでも各条約の多様な課題の中の「ワンオブゼム」という扱いです。なのに、そこばかりしか報道されないので、毎度「えー?」です)。
今回の障害者権利委員会について、部分的にせよ日本政府が勧告を「スルー」しない姿勢を示すと、そのこと自体が
「日本政府が嫌がる話題を避けたら、勧告が実現される可能性が生まれるぞ」
というメッセージとして機能してしまいます。
他の方の活動のお手伝いから数えると、国連の人権関連の委員会での活動歴がそろそろ10年になる私は、もちろん「勧告に反映してほしい」と思いながら活動を行っていますし、勧告が公表されたら「実現されてほしい」と思います。今回の勧告も、もちろん「実現されてほしい」と思っています。審査から勧告に至るまでの政府および各団体の動きを見る限り、「部分的にしてもスルーされず実現される可能性はなくはない」と見ています。
しかしながら、部分的にしても実現されると、日本の人権状況を改善したいと思っている日本の方々の中に分断が生まれる懸念、「政府の言うことを聞く”良い子ちゃん”の人権運動をすれば良いことがある」という前例が出来てしまう可能性があります。
どうすればいいんでしょうね?
それでも、今回の勧告はきっと誰もの役に立つ
まことに悩ましいところですが、今回の勧告は、たぶん日本の誰もの役に立つでしょう。
内容の3本柱は、優生手術・精神医療における強制・教育でした。
優生手術と精神医療における強制については、人権侵害を強制していいという屁理屈はないという内容が強調されました。勧告の内容と考え方は、たとえば、特別支援学校ではない学校の理不尽な校則を撤廃させるためにも役立つでしょう。
精神医療における強制については、「人権侵害を合法化している日本の法律そのものが問題」という見方が示されました。
国連に出てきてもらわなくても、各自治体が独自に日本の法律に反する条例を制定すると内容は無効になります。公序良俗に反する契約は無効です。より大きな枠組みの中で無効化されているものは、その枠組みの中の別の枠組みの中でも無効でなくてはならないのが法の原則です。でも、人権侵害が法のもとで合法化されてしまっているのでは、「秩序? 安寧? なにそれ美味しいの?」ということになってしまいます。
学校の理不尽な校則でいえば、それ自体が非合法というわけではないので、立場の弱い生徒の立場では変えにくいという課題があります。だけど、「人権侵害がなんとなく合法化されてしまっている」という状況に注目すると、「理不尽な校則を定めたり実行したりする権限が、各学校にあるからいけない」ということになります。
今回の勧告では、教育について「分離教育をやめて統合教育を」という内容が示されました。現在の日本で本格的な統合教育に踏み切ることが難しいのは、すでに学校教職員の負担が過大だからです。勧告には、国費支出のあり方や人員確保を含めての改善も示されています。
そもそも、「障害者の権利」は障害者のためにあるわけではありません。「障害者と他の者との平等」のためにあります。障害者ではない人に損害や負担をもたらすためではなく、それぞれが幸せになれる近未来の社会のためにあります。
誰もの役に立つのは、当然といえば当然です。
まずは日本語訳を待とう(揉めそうだけど)
勧告(英語原文)は、どなたにも「英語で読んで」というわけにはいかないですよね。信頼できる日本語訳が出てくるのを待ちたいものですが、政府訳が確定するまでに一波乱ありそうです。そもそも、障害者権利条約の政府訳に出てくる「合理的配慮」がほぼ誤訳という問題があったりするし。日本語の用語の問題は、今回の勧告の冒頭で指摘されていたりもします。
いつ、どんな形で政府訳が出てくるのか。私にもわかりません。
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