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『あたっくNo.1』

人生で初めて劇場で公演中に過呼吸になった作品になりました。周りの人うるさくしてごめんねという気持ちでいっぱいです。それ程までに感情を掻き乱された作品だったので、何か残しておきたいなと思いました。思ってしまいました。書きたいことが多すぎて観劇してから2か月以上経ってしまいました。考えすぎて文章がなかなかおかしい部分もあるかもしれないけど、ちゃんと文章化できてよかったです。


前置き

原因は自分にある。の吉澤要人くんが出演するらしい。しかも方南ぐみ。そして行ってみたかった俳優座。これは見に行くしかないと思い立ったものの、しかし劇場で観るのは個人的に避けたい戦争ものらしいという情報を得て、人生で初めてチケットを取る前に真剣に行くかどうか散々悩んだかもしれません。結果的に本当に行ってよかったし定期的に観たいけど、2回目は相当な覚悟を持って行かないといけないなと思いました。
いつもゲンジブ空間に誘うと二つ返事で来てくれる友人に「要人 方南ぐみ 俳優座」(検索ワードか?)とだけ連絡し、チケットを取りました。

感想

実は初体験

今回初めて戦争ものを劇場で見ました。正確には高校演劇の大会(?)で見ているのではじめてではないんですけどね。というのも、戦争ものは誰かが誰かに生きてくれと願う想いがあまりにも強くて、そしてそれが叶わない(ないしは叶わない可能性がとても高い)ことが分かっているのでとても苦手意識があったからです。創作ではあれど似たようなことがあったかもしれない過去の話であって、そういう思いの先に生きている私を感じざるを得ないから、好きか嫌いかでいうと好きだけど、どうしても苦手というか……
勿論、劇場で私が観るのは、大人が真剣に全身全霊で挑む本気の遊び(芝居)であって、演じられる物語は誰かが空想した創作物であって、決して史実や現実と混同してはいけないものなのだと頭では理解はしているのです。でもそこで表現されたものを観て感じて生まれてくる感情は全て本物だから、簡単に線を引いて「ここから先は偽物ですよ」ってできるようなものでもないわけですよ。感情って難しい
本物では無い物語の、舞台上で演じられる創作物だからこそ、現実を伝えるニュースで見るような、ただの数字でしかない「xxx人分の1人」の等身大の尊さを色濃く描き出せるのが本当に、私、舞台が好きでよかったなぁと思う所以でもあるので、その辺は頭の中で理性と感情が殴り合うしかない部分ではあります。
何を隠そう、古にハロプロがちょっとばかし好きだった身であるので、切に「青空がいつまでも続くような未来であれ!」と訴えかけられたなぁと思ったし、そう願った人がいた(いる)ことを忘れてはいけないなぁと思いました。

この先は観劇後のとんでもない熱量で友人と話していた感想合戦の書き起こしのような細かい感想です。今までの別作品の感想同様、いろんな方面に配慮がないし、まとまらないただの書き散らしです。同じこと何回も言ってるし。そういうのが苦手な方そっと閉じてくださいね。ここまで読んでお察しかとは思いますが、この先も長いです。(約1万字あります)

楽しいところの話

そのいち 眉毛一族()

まゆげちゃんのところがとってもよかった。眉毛一族のダンスはまだ耐えてたのに要人くんヨコのピルエット後の「踊っちゃった」で吹き出しました。
上の婿候補のところはみんな頑張って耐えてたのに勝杜さんが吹き出してから古瀬さんが全力でぷるぷるしていたのがとてもよかった。ヨコは必死に耐えてたけど喉の辺がめっちゃ動いていてがんばれ~!!って見てた。あたっくに限らず、ストップモーションのギャグパートは動ける人が生き生きしていてとっても好き。日替わり大変かもしれないけど役者さん同士の関係性も滲み出てくるので本編より注目しちゃうみたいなところありません?
下降りてきて宇津木さん追加だけど上手3人だけがぷるぷるしてたのがか大変かわいかったです。ストップモーションなのに結構普通に動いちゃう小松さんとゆっくり目を閉じゆっくり顔を背ける要人くん。肩辺りから全身バイブレーションの上田さん。大変よかった。笑

そのに つきたてのお餅

つきたてのお餅のくだりこと接吻の大盤振る舞い💮涙が出るほど笑った。「何が始まったんだ!?」みたいなセリフあったけどこっちのセリフだよ!って言いかけた。あとおそらく私のいた席の周りは要人くんのオタクが多くて、接吻のくだりでざわつく気配がして余計に面白かった。イケメンがイケメンに迫るの、舞台で観るとわりと平然と受け入れているけど確かにびっくりする気持ちもわかる。ギャグパートにありがち展開だから私の感覚が麻痺しているのかもしれない。
無駄に尺が長くて笑いすぎて腹筋が攣りそうでした。あと大滝さんが本当にイケメン。意気地あり。好き。

しんどい方の話

順番はかなりぐちゃぐちゃかもしれない。

日記の話

オープニングパートが終わってすぐの日記の
「潜水艦の中なので天気解らず」「でも晴れていてほしい。青空であってほしい」の流れ。家族の話辺りが既にしんどい。この時点でまだ古瀬さんが国のために死ぬために艦に乗っていることはわかっていないけど、誰かに読んでもらうために、自分が楽しく生きたことを伝えるために日記を書いているって時点で既にだいぶ覚悟が決まってることが察せられるわけじゃないですか。あと『あたっくNo.1』自体が日記があって始まった物語だから、そういうその時の気持ちや生の声が日記に残る意義を感じました。
体感ではまだ始まって10分経ってないのにこんなにしんどいことあります??

潜水艦の戦い方

みんなで壁床柱に耳をつけて外の音を聞くところがとても潜水艦していてよかった。ヨコがベッドのところに立ってるのが可愛いかったし「これが潜水艦の戦い方なんです!」してすぐ収まりに戻るのもめちゃくちゃかわいかった。あと音で海上の様子を予想している宇津木さんがめちゃくちゃかっこよくないですか?
大滝さんのことみんなで沈ませようとするのも団結していてとてもよかったし前後からにじり寄る人たちの緊迫感が半端なかった。でも命かかってますからね。死ぬときは全員一緒だし、こんなところで死ぬわけにはいかないんですよ。

軍医の話

軍医の健康診断。2人が特殊任務に行ける体であることを証明するための健康チェック。をみんなにバレないようにするための健康チェック。
きっと人を救いたくて医者の道を選んだはずなのに、「医者なのに救えない命がある」どころか、この人たちは作戦のため、国のためにちゃんと健全に死ねる体ですと言わなければいけない。こんなに悲しくてやるせないことが、たぶんきっとあったんですよね。想像つかないなりに想像できてしまう感情なので、一番届かなさが歯がゆかった場面かもしれない。

「長男だからです」

階級や生まれた順番で命の価値が決まる。士官から古瀬中尉、一兵卒のヨコ。「古瀬さんは三男」「僕は末っ子だから」それを言えるのが、すごいと思った。そしてそれを聞いてすぐに、「死んでこい」という命令だと理解できることも。
長男は家のために働く、家を継ぐのが当然っていうのが当たり前の時代なんですよね。
その価値観が今と比べて良いとか悪いとか、そういうところではなくて、その台詞を聞いて、そうだよなぁと当たり前に思ってしまった私にも、ちゃんとその価値観が受け継がれていることを実感してしまった。正直、痛いところを急に刺された感じでした

一人、ド正論を振りかざす男

こと二本柳。一番価値観がこっちに寄っていて、そうだけどそうじゃないんだよおおおと叫びたい気持ちでした。
現代を生きる私たちからしたらド正論だけど、当時のそういう場では絶対に言ってはいけない言葉を、熱心に、暴力的なまでに吐き出す姿が最高でした。頭が良くて真っ直ぐだからこそ、軍国主義的な当時の風潮には耐えられなかったのではないかと思います。
きっと世間の柵やあれやこれやで軍人にならざるを得なくて、それならせめて仲が良いと聞く海軍の潜水艦で、を選んだ男。そんな人が最後、いろいろな人のどうにもならない感情と状況、覚悟を知って、「こんなのは間違ってると思う。でも、勝ちましょう!」と言うのが、とてもよかった。

最初から覚悟が決まっている男

こと古瀬さん。古瀬さんも二本柳同様に日本の現状を知っている人なんですよね。「アメリカに勝てないのはわかってる」「でも行くからにはやってくる」というのが最高に切なかった。当時の時流に流されないで俯瞰で物事を見られる人なのに、特殊任務を受け入れている。なんだそれ。どんな気持ちで出港したんですか。でもたぶん、だからこそ「その命令に価値がある」と思いたかったのだと思いました。あと、"ヨコと一緒に"死んでこいと言われた古瀬さんはどんな気持ちだったんだろう。めちゃくちゃ可愛がってるじゃん……

私の歴史観とあたっくNo.1

何を隠そうディズニーで育ったオタクなので、たとえつらい時も信じていれば夢は叶うものだと思って生きています。それはそれとして、夢を見たいときに鳴り響くサイレンで現実に引き戻されることはあるし、信じていても努力しなければ夢は夢で終わることもあるし、夢を叶えたその先の人生にも、原動力として新たな夢が必要なんですよね。好きなキャラクターですか?絨毯くんです()
なんで急に私がディズニーで育った話を始めたかってそりゃディズニーの『白雪姫』は1937年公開だったっていう話がしたかっただけなんですけど。新聞とラジオで情報収集をしていた国と世界初のカラー長編アニメーションが数年前に公開されていた国で戦争を始めたんですよね。差がえぐいって。古瀬さんや二本柳はその辺の差を現実として目撃しているんだろうなあと思うと、まじで正気じゃないと思っただろうなと思います。だからこそ古瀬さんの覚悟決まりっぷりが本当にすごいと思う。
しかも調査書に「日本人は平衡感覚がないから飛行機の操縦はできない」と書かれるレベル。なのになんか零戦が普通に強かったの意味がわからないです。機動力の代償として防御力が紙らしいことは知ってる。戦うのに防御力を犠牲にするって何??
ちなみに、一緒に見に行った友人に白雪姫の公開年の話したら「えっ!?」って言った後一瞬時が止まってました。そのあとの「勝てるわけないじゃん!!」の絶叫が忘れられません。正気じゃねえよな

「潜水艦は腹で乗るんだ」

渡久保さんの「いい飯作ってやる」が本当に本当に好きです。食べることは生きることで、食べ物は命を繋ぐもので、できるだけ美味しいものを食べてほしいと準備することが愛じゃないわけないじゃないですか。
何日も何日も海の中、艦の中に閉じ込められていて、楽しいことなんてあんまり無いかもしれない。故郷と、大切な人と繋がる空も見えない。そんな中必ず美味しいご飯が食べられるのなら救われるものがあるのかもなあ、なんて思いました。そしてそういうちょっとした小さな幸せを大切にしたいから“定食屋の親父”でいたいのかもしれないなと思いました。
ヨコの夢もそうだけど、そういう日常の小さい幸せひとつひとつを叶えたいと願った人達がいて、でもその先に待っているのは日本が負ける未来があるんだよなぁ、なんて……

「夢、叶いました!」

自転車を引いてる勝杜さんの顔がやばい。やばいとしか言いようがない。大好きな後輩の夢を叶えてあげている。できれば故郷の青空の下で乗ってほしかっただろうなあ。いろんな感情がぐっちゃぐちゃになってそうな表情の勝杜さんで既に泣きそうなのに、めちゃくちゃ嬉しそうなヨコで私の涙腺は決壊しました。大好きなお兄さん達が自分の夢を叶えるために一生懸命動いてくれたわけだから、本当に嬉しいしかないんだろうな。周りは「この“嬉しい”が彼の最後かもしれない」と思っている状況。やるせない
思い返せば「自転車買ってやるから変われよ」「譲れません」の時点で(正確にはもっと前から)ヨコは覚悟決めてるんですよね。
ヨコの、ほかの人にとっては当たり前にできるような、ちっぽけな夢。自分の中の、そういうちっぽけなものが明日を生きるためには必要なのかもしれないと思いました。

「空が見えないから潜水艦は嫌だ」

最後二人の出撃前に皆で夕日、星を見て、「鳥取と一緒だ!」ってやるのがめちゃくちゃよかったです。「当たり前だろ」って笑っているけど、その当たり前はヨコにとってすごく価値のあるものなんですよね。家族にさようならも言えずに来て、たぶんきっと遺書もない。そんな中で、故郷と同じ空を見る。話の構成としてすごすぎませんか?
「空は全部繋がっている。あいつも同じ空を見ていると思うと頑張れるんだ」って言ってる大滝さんがいて、そこの回収として、同じ空の下で自分は生きているんだ、この先に自分の大好きな家族がいるんだなって思えるのがとてもよかった。ヨコが海軍に来ているのは家族のためだから、その辺が一気に繋がるのがすごい構成じゃん……ってなりました。
「青空の下じゃないけどな」「真っ暗じゃなくてよかったです」も大変良かったです。潜水艦だから空が見える価値がすごく高くて、みんなで空を見るということに対する希少さというか、その当たり前がすごく価値があるものになるんですよね。陸には無い、彼らだけの特別な空の価値。いいじゃん……

「ハワイはアイスクリームが美味しいらしいです」

ヨコはアイス食べたことあるのかな?丸くて白いアレをケーキ判定下すくらいだからもしかしたら知らないかも。知識としては知ってたってやつでしょうか。ちなみにアイスクリームですけど、火垂るの墓のせつこはおそらく食べたことがあるけどこの世界の片隅にのすずさんは知らないんですよね
終始どこか様子がおかしい北さんの「アイス買って帰ってこいよ!」がめちゃくちゃしんどい。最初の方(どころか3分の2くらい)ずっとめちゃくちゃ嫌なやつ(笑)の北さんがそうやって言うような状況なんだなあ……

「成功を祈る」

愛しい人に幸せにいてほしいと願った人がいた。
勝てもしないこともわかっていても、「勝ちましょう」と言うしかない人がいた。
仲間がこれからゆく道が、せめて明るくあってくれと願って送り出した人たちが、そこにいました。
そうして敬礼して、送り出そうとしたのに、君のいた日々を手放したくなかった勝杜さんの叫びがあまりにもしんどかったです。

勝杜とヨコ、中尉と中尉

勝杜さんが荷物詰めながらヨコとずっとにこにこしながら、明るく送り出そうと喋ってるところが大好きでした。本当に弟みたいに可愛がっていたんだなあってたまらなく愛おしかった。
みんなが敬礼している中、崩れていく勝杜さんと寺内さんに二人との関係値を見出してたまらなくいいなあって思いました。感情はそれどころじゃなかったけど。
寺内さんは古瀬さんと同期だし。喧嘩ップルみたいにずっと(一方的に)いがみ合いながら仲良くしてて、そんな寺内さんのことが古瀬さんも大好きだし、だからこそ戻ってきてとか言わないし言えないんだろうなと思いました。大好きだから生きてほしいけど、古瀬さん行かなかったら誰かが代わりに行くことになるのだってわかっているし、古瀬さんの覚悟だってわかっているんだよなあ。
中盤のヨコの、「病気の兄が病院に行けました」「姉に白米を食べさせてあげられました」「自分は初めてワイシャツを着て、靴も靴下も真っ白い軍服まで着せてもらえました」でめちゃくちゃに泣いたんですよ。冗談じゃなく家族の命を救われた。そしたら自分の命くらい掛けないと釣り合わないって思っただろうなって。本当に断る理由はなかったと思いました。
「そんな死に方があるかよ」に「どんな死に方だって喜ばないでしょう」って即答できるくらい愛されて育ったわけですよ。「どんな死に方だって喜ばない」のなら、この先家族が健やかに過ごせる死に方がいいのではないか、というのを当たり前に選ばなくてはいけなかったことがなんとなくわかってしまいました。だからこそ強く強く、行かないで、ってなりました。

「さよなら」「行ってまいります」

勝杜さんの叫びは、あの時代、あの状況で絶対に言ってはいけないようなことを言っているなあと感じました。途中で何度も何度も耐えているんですよね。二本柳の「無駄死にですよ」にも「言うな」と怒ってるわけだし。ずっと止めたい、行かないでと言いたい素振りを見せて、耐えているのに、最後の最後で「戻ってこい」って叫んじゃうのが切なかった。たぶん、あそこにいる誰も経験したことがないようなとんでもないことが起きていることしかわからないんだろうなって思いました。
日記に積み重ねた愛しい日々と別れなければならないし、その先の日記に2人は出てこないことが彼にもわかっているんですよね。「逃げろ」「逃げてくれ」なのもしんどいポイントが高かったです。送り出さなければいけないことはもう既にわかっているのに、それでも生きてほしいと願い叫ぶ熱量が半端なくて、真正面から浴びました。気持ちとしては一緒に叫んでいたけどもう過呼吸だったよ。本当に、戻れないことも、逃げられないことも、きっと全部わかった上で、それでも行かないでほしいという切実な叫びでした。
「生きてくれ」には返事をしない2人も大変良かった。笑って頷くだけ。2人からの言葉は「さよなら。行ってきます」。明日も自分が生きているという希望は彼らの中にはもうないんですよね。しょうがないって言いたくないけど、やっぱりどうしようもなく手が届かないんですよ。どこかであったかもしれない過去の話だから。物語だから。ここではないどこかだから。

「二人は生きている」

台詞は大体うろ覚えですけど、「俺の心の中で生きているからいいんだよ」という台詞が大好き。日記の中にはいつだってみんなで過ごした日々があるんですよね。この先の日記に古瀬さんとヨコが出てくることはないわけだけど、もう会えないと決めてしまうのか、またどこかで会えると希望を残すのかは日記の書き手が好きに書いていいことだと思います。そして、創作物(脚本)として、2人がその後実際どうなったかはわからないので、観客が行間を想像するしかない。本当に特攻したのか、はたまた逃げ出したのか、何かがあったのか、なにもなかったのか。なんにせよこの台詞は、みんなが二人にどこかで生きていてくれと願った形。誰かの愛が、行間を埋めて物語を創るんですね。

カテコ

最後勝杜さんが日記を握りしめて客席にお辞儀をするのが凄く好きでした。日記から始まった物語として、日記を大事に抱えて、その日記が繋がり繋がって今に至るというのが最高。

まとめ

『そこには、笑顔の青春があった』

青春劇だよって言うけど、青春かなぁってなりましたね。青春かと言うとちょっと違うような。もっと賭けてるものがある感じというか、スポーツものとかの青春はそこを糧に繋がるものがあるじゃないですか。青春じゃなくなった先、あの時代があったから〜みたいな。でもみんなには、その時代があったからこの先があるわけではないんですよね。
桜は散るときが1番綺麗だよね、みたいな。二度と戻らないことがわかっているからこそ、私たちが知っている青春よりも賭けるものがあるというか、比重が重いというか。終わりが見えているからそこに向かって燃えるだけって感じがしました。花というか、流れ星みたいな感じ。燃え尽きる瞬間がいちばん綺麗……花火……海の中に盛大に花火、打ち上げてくる……

同じ青春を生きていた

楽しいところは一緒に笑って、しんどいところは一緒に泣いているわけで、私たちだってイ18に一緒に乗っている気持ちになるんですよね。暗転して潜水音が聞こえて、客席も海の中にあるんです。それなのに、どうしようもなく手が届かなくて見ていることしかできないし、それに対して声を上げることすらできない。板の上のできごとに干渉することはできないんです。あの感覚は本当に、劇場にいないとできない体験だと思います。
夢のシーンだってゲラゲラ笑って一緒にあの世界を、あの時間を生きている。でもそういう場面は、より板の上だけで話が進んでいくから、こっちからは何もできずにただ見送るだけ。ただただ行ってらっしゃいでしかないんですよね。特に勝杜さんが叫んでるのは全部こっちの気持ちだから余計にわかるというか、感情が引っ張られる感じ。たとえ自分が干渉できるとしてそれでも言っちゃいけないし、勝杜さんも言っちゃいけないことはわかっているはずなのに、それでも出ちゃうものだからこそめちゃくちゃキツかったです。

過去の出来事と、今の私

これはフィクションだけど、そういうことがあった先に自分が生きているっていうのが、とてつもないことだなって思います。不思議な感覚って言ったらちょっと違うかもしれない。絶滅した生き物を見てこんな生き物がいましたって言われるのと、戦争ものを見てこんなことがありましたって言われるのの現実味のなさが一緒な感じ。しかも私たちからしたらこの国では80年前だけど、世界のどこかではまだ同じようなことがあるっていうのがなんか変な感じだなあと思います。
それこそ全然違う国のできごとみたいな感じ。価値観も全然違うし、今の自分たちの感覚からしたらありえないような考え方とか思想とかがスタンダードだったのが、ほんの80年前。それをしていた、同じ国に自分が生きているのが繋がらない感じ。ただ、長男だから、自分は末っ子でって、その感覚はちょっとわかる部分があるかもしれないって思う部分もあって、そういうところで初めて地続きというか、同じ国の話なんだって実感しました。

戦争という事象は、正直、私にとっては知らないことでしかありません。一生知らなくていいことだとも思います。それだけ平和な中に生きているってことだから。だけど、ひとつひとつを丁寧に、フィクションを通して紐通していって、歴史上の数字の“1”が目の前の“1人”の人間になった瞬間、その気持ちわかるとか、その感覚わかるかもとか、確かにその考え方もありな気がするなってなったときに、急に今の自分と繋がるんですよね。そこが「でも作り話だし」ってばっさり切れないところだなあと思います。題材として切り離してはいけないと思うけど、本当に現実味がないものなのに、その感情、その感覚は知っているもので、その楽しさも寂しさも今もあるもの。だからすごく刺さる。故に戦争ものをみるのにすごく勇気がいるなと改めて思いました。

過去の話を見て、それが過酷で、未来を作るために賭けたものがあったんだと言われると、それを今、"現在"として生きているから、返ってくるものがあるし、それに対して自分が還元できているものがあるのかと考えてしまいます。もうちょっと切り離して考えられた方が楽なんだとは思うけど、これはお話ですよって言われても、あったかもしれない過去の話と思ってしまう。どこかの世界でそういう人たちがいるのだろうなと。私個人としてフィクションに対して感情が重いから、どんなファンタジーであれ世界のどこかで生きていると思っているけれど、それよりももっと、現実に近い、実態がある感じがしてしまうんですよ。

過去の出来事と、私の価値観

二本柳のアメリカの調査報告書の話の中にある、日本人は「武士道精神に則って人命を軽く見る」みたいなやつの話です。
大河ドラマとかで描かれる「散り際の美しさ」みたいなものを美しいと思う価値観が私の中にだってあるわけです。それって(勿論特攻がいいものだとは描かれていないけれど、)同じことを繰り返さないと言い切れない怖さがあるってことだなと思います。倫理とか命の重さとか、良い悪いで考えると絶対に悪いものだけど、その中でどのように生きて、最期を迎えたかを堪らなく美しいと思ってしまう瞬間があるのってすごく危険だし、それを良いと言ってしまえそうな危うさがあると思いました。誰も良いとは言わないけど、美しくて心が惹かれるものだと思っている人も多いんじゃないかなと勝手に思っています。良くは無い。あってもいけない。なかったことにできる歴史ならなかったことにした方がいいはずのものだけど、でもそういう、大切な何かのために死ぬこと、大事なものを失うくらいなら大事なものを抱えたままここで死んだ方がいいっていう価値観だから、大勢のために命を賭けることが正義だと教わったら普通にできてしまう人がいることなのではないかなと思いました。だからこそ、そういうのはやばいなと戒めておかないといけないものだなあと思います。
そして、自分の誇りや大義のためにすべてを投げ出すって、誰かに対しての殺意よりもやばいなあって思いました。ヨコの「恩返しです」とか、目に見えない名誉や誇りとかが命よりも大きな価値を背負っているっていう危うさにグサグサ刺されました。自分1人命賭けたらこれから家族は楽に暮らせるってなったら、自分の命なんて軽いなってなるの、なんかわかっちゃうから。命の価値を比べるものではないし、倫理として考えるとたぶん間違っている。でも作中で言及しているような「命を軽視している」ような価値観が自分の中にあるなあって思ってしまったからいろいろ考えてしまいました。難しいね。

目出度い誕生日

誕生日を祝うこと=貴方が生まれてきてくれてよかったって話ですよね。そこと「日本人は命を軽視している」というのが対比になっているのかな。みんなで一斉に歳をとるわけだから確かに個としての価値は薄いかもしれないなと思いました。ただ、同じ艦に乗っている仲間として、一緒に歳を取るってのも悪くないかもしれないなぁとも思いました。
これから先を捨ててみんなに内緒でひっそりこっそり2人で死んできますっていう人達に対して「あなた個人がここに居てくれて良かった」って言うメッセージとして、誕生日を祝おう!ってなるのが最高でした。ただ単にヨコを可愛がって誕生日を祝っているわけではなく、来年も再来年も、君が生まれてきてくれてよかった、会えて嬉しかったって伝えたい、それくらい君を大切に思っているっていうメッセージがすごくよかったし、戦いに向かう仲間を送り出す姿として最高に明るくてよかったです。

おわりに

「青空がいつまでも続くような未来であれ!」と願った人がいたことも、「それでもせめて愛しいキミよ健やかに」と願った人がいたことも忘れてはいけないなと、強く強く思いました。私はハロプロと某グラサンの人のオタクです。
この作品に限らず、いろいろな作品から受け取るメッセージではあるけれど、隣の誰かを大切にしたい気持ちを忘れちゃいけないと思ったし、明日を生きるための小さな願いに気付ける人でありたいし、あなたが大切だと伝えられる人間でいたいなと思います。

そして、
昨日も今日も明日も、ずっと、あらゆる人が穏やかに、笑顔で過ごせる青空が、いつまでも続いてほしいです。

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