喜びの片割れ


この世はまじで生きづらい。

生活をするのってとても難しい。


毎日必死こいて働いて、ご飯詰め込んで、泥のように眠るのでやっとだ。

そんなことを思わずに生きれたらどれだけ楽だろうかとよく思う。

時折り、後悔もするし、自分を惨めに思うこともある。

ほんと大変ね。





でも、俺はその後悔や惨めさを「ポイント」だと思ってる。

幸せになるための交換券だと思ってる。








俺の知り合いでパパ活してる女の子がいた。

その子はすげー高い高級店のご飯を食べさせてもらって、最後にはお金をもらっている。


その子が言っていた。



「なんかもう高いご飯も毎日食べてるから美味しいって思わないんだよね。それにご飯食べることでお金もらってるから、相席屋とか行ってもタダでご飯食べれるけど、お金もらえないから行かない」って言っていた。



地獄だと思った。

新しい不憫な人だと思った。



きっとその人は、幸せの片割れを持っていないから幸せを感じれないんだ。



毎日必死な思いして、やっとありつけるご飯こそが美味い。

苦労を語りながら友人とすするカップ麺が美味い。

ご飯の質ではなく、片割れの質。

これに気づくまでは結構時間がかかる。






俺は正直、学生時代より今の方が幸せに敏感になった。幸せのハードルがかなり低くなった。

それは多分、不幸をたくさん経験してるからだ思う。



・家族や友人に祝われて入った大企業を辞めた時。
・東京に行って就職したのに半年で辞めて実家に帰った時。
・苦しさを誤魔化すようにバイトをめっちゃ掛け持ちして友達や一人の時間がおろそかになった時。
・どこに行っても居場所がないと感じた時。
・バイト中何回も死のうと思った時。
・何が幸せで何が不幸かそれすらわからなくなった時。



数えれば、キリがないほどの挫折や苦悩、葛藤。
死のうと思ったのは消えたいとかじゃなくて、他の誰かの人生になりたかった。

目を瞑って次開けたら新しい人生になってる夢みたいなことを本気で願ってた時期もあった。

それでもやっぱり俺は俺だったから絶望した。



それでも毎日自問自答して、どうやったら生きやすいか、どうやったら幸せかを常に常に考えた。
何年も。

そして最近少しずつ分かってきた。

それでもまだちょっとだけど。


自分を形成するものはなんだろう。
自分にとって幸せってなんだろう。

いろんな人の話を聞き、いろんな本を読み、いろんなテレビを見て。

そっから自分に合うもの合わないものを挑戦して、合わないものは2秒で捨てた。

それに月日が経てば経つほど俺は変わっていくし時代が変わってくから、常にアップデートし続けた。




それでやっと分かった。




そっから大切だと思う、一緒にいて幸せだと思う友人を大切にした。

幸せだと思う一人の時間を大切にした。

それを言うようにした。

言うようにしたことで友人も理解してくれた。
言うことによってある意味自分に洗脳をした。
それがだんだん「自分」という人間を形成していった。


そしたら、友人も一人の時間も俺を大切にしてくれた。
不思議なもんで、大切にしている人や物は俺を大切にしてくれる。面白がってくれる。怖いくらいの巡り合いがきたりする。


ただ、めっちゃ時間かかった。
幸せとは何か悩んでたから10年くらい経ってた。

それも突然変わるんじゃなくて徐々に変わっていくから最初は気づかなかった。

結局、自分で自分を知ろうとしないとダメだったんだ。




いろんな人の相談に乗ることがある。
痛いほど気持ちがわかる。からこそ的確なアドバイスが難しい。

人から言われて変わることなんてない。これは言い切れる。俺もそう。

ただ、人から言われたことを自分なりに噛み砕いて、やってみて、失敗したり成功したりして徐々に変わってくことはある。

それが出来るか出来ないかだと思う。


俺は元々出来なかった。
このまま不幸のまま生きてくのは楽だけど、
幸せになる努力しないとなって思った。
だから数年かけて変わっていった。

ほんと思うのは、不幸って実際めっちゃ楽。
だって何も考えなくていいし、行動しなくていいんだもん。
不幸にいればそっから落ちる心配もないし、言い訳も沢山出来るから。
仕事だってバイトだって辛くて嫌で不幸だと思っても、辞めなければ惰性で出来るし、お金ももらえる。

でも幸せになろうとすると、いつ突き落とされるかわかんないし、弱音吐いたらすぐ終わる。
仕事だって辞めたらお金なくなるし、生活水準がグッと下がる。
幸せなる、行動するってとても困難だ。
でも俺は後者を選んだ。


カッコよく言ってるだけだけど俺は飽き性だから、不幸でいることに飽きたのかも。
あと、そっちの方が面白そうだったから。

そこから運が少しずつ味方し始めた。
たまに追い風が吹いてきた。
ありがたい。




人生って、仕事と似てるなって思った。
成功と失敗を繰り返して、失敗したら何がいけないか改善してまたやる。
インプットとアウトプットを繰り返して、自分の身に纏うようにする。

仕事では理解できたけど、人生ではそれを疎かにしてた。
どう考えても人生でやることのほうが大切なのに。



神聖かまってちゃんが歌ってたよ。
「生き方も勉強だ」ってね。



俺はちなみに仕事は嫌々やってたので、上記のことはできてる自信はなかった。
けど、生き方で置き換えたら出来た。それは面白かったから。


それを友人に話すと、俺もそうやってた!
って言ってた。

そいつとは10年くらいの友人だけど、同じペースで同じこと考えてた。から、今だに仲良いんだと思う。

友達ってどっちかが成長したり、どっちかが落ちたりするとすぐ会わなくなったり、合わなくなったりする。

から学生の頃からずっと仲良いのって同じペース似たような成長してるからだと思う。


友人はみんな好きだけど、頻繁に遊ぶ友人はそこが似てたりリスペクトがあるからだ。
で、そいつらと苦悩や葛藤、挑戦や成長の話をして、より自分を形成できる。
いい循環。

その人たちには相談する。
その人たちに相談するときは、解決したいからではなく、いろんな考えを聞いて試したいからだ。
あと話したいから。

話すのってめちゃくちゃ大事。
インプットだけじゃ身につかない。
アウトプットあってこそ身につく。



あーこれが俺仕事出てきたらめちゃくちゃいい会社員になれてただろうな笑

まあ合う合わないがあるからしゃーなし!




仕事で悩んでる人を俺は救えない。
アドバイスもおくれない。
ただ気持ちは分かる。

「無理しないでね」も「嫌なら辞めていいんだよ」って言葉も言われた時どこか寂しかった。
それを言ってくれた人は社会人として何年も会社に勤めてて、他人事に思えたから。


「説得力」が欠如してた。


本望じゃないけど俺が言うとちょっと説得力がつくと思う。
無理しすぎて心と体壊したし、嫌だから辞めたし。
でも生きてるし!
生活できてるし!

でも怖いよね。今の生活手放すのって。

分かる〜!分かるぞ〜!みんな〜!


でも、あたらしい世界はそこにはないぜ。
いい思いしてる人を批判する人になっちゃうぜ。

俺は批判する側より批判される側でいたい。
安全圏から暴言を吐く人じゃなくて、危険地帯で踊りたい。


笑われたっていいんだぜ。
笑ってもらえるって、すげーんだぜ。
人を笑顔にしてるから。
だから自分も笑顔になれるよ。

結局、成功談より失敗談。
芸人さんもエピソードトークする時って基本失敗談やん。それで笑顔にさせてんだぜ。かっけー仕事だ。


それが仕事じゃなくたって、身近な友達に失敗談話して笑ってもらえたらいいじゃんか!
って思うのです。


だから俺は、
失敗したい。挫折したい。

までは流石に思わないけど、失敗とか挫折しちゃっと時は大いに笑ってもらいたい。


ね。



最後にRADの億万笑者の歌詞をどうぞ。

僕はね 知ってるんだ これらすべて
喜びの対価だと 万歳のおたまじゃくしだと

僕の肩に乗った 彼らすべて
対義の語とセットなの 片割れのもとへ無事届けるまで

俺の挫折や苦悩や葛藤を、片割れの元へ届けたい!
それまでが俺の役目!

今は喜びの対価を集めてるぜ!


😁😁😁😁






























😁



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