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久し振りに推し達に再会した話 ~『PLUTO』先行イッキ見上映会~

全てのオタクには「オタクの原点」があると思っている。
私にとっての原点は、浦沢直樹先生が描いたSFサスペンス漫画『PLUTO』、そしてその原作となった手塚治虫先生の代表作『鉄腕アトム』の一作であり今でも名作と誉れ高い『地上最大のロボットの巻』だ。

平成生まれである私が『地上最大のロボット』に出会ったのは、公式でアトムが誕生した年と設定されている2003年だった。
「アトムイヤー」として、新作アニメをはじめとした様々なイベントが催され、『鉄腕アトム』に関する書籍も手に入りやすくなった頃、私はコンビニの廉価版コミックで『地上最大のロボット』を読み、この作品のリアタイ読者の大多数がそうであったように、すっかり魅せられてしまったのだった。

元々手塚作品が好きだった(生まれて初めて読んだ長編漫画は、公文式で母の迎えを待っている間に読んだ『ジャングル大帝』だった)し、「これが鉄腕アトムで一番有名な話である」といううっすらとした前知識はあった。しかしこれほど面白いとは思ってもみなかった。
優れた能力を持つ個性豊かな七体のロボット達。その七体全員を倒して「ロボットの王」となる事を定めとして作られた二本角のロボット・プルートゥ。彼らを巡る物語は「ロボット同士の戦い」というとんでもなく激アツな構図でありながらも、それだけにとどまらない怒涛の展開が紡がれてゆき、悲劇的なラストへ向かって進んでゆく。まさに作中プルートゥが巻き起こす竜巻のように、多感な十代の私の心をかき乱していった。

燃えるし泣けるし、色々考えさせられる。
あと作中のロボット達がどいつもこいつも魅力的だ。
中には2ページで破壊されてしまった者もいるが、もっと彼らの活躍が見たい、と思った。

早い話が「萌え」てしまった十代の私は、原作の漫画やアニメを見るのみならず、次第に『地上最大のロボット』たちのファンアートを増やすのに夢中になっていった。
当時は今のようにSNSが普及しておらず、個人が運営するファンサイト自体はあったものの、Yahoo!の検索欄で推しの名前を入力する事しかできない幼い私にとっては高嶺の花のような存在だった。
よって私は大学ノートに彼らのイラストや小説を書いていた。絵や文章は稚拙だったし、顔から火が出るような妄想ばかり書いていたと思うが、今にして思えば、誰に見せる訳でもなく粛々とノートのページを推し達で埋めていたその情熱が、我ながら羨ましいとも思う。

そんな生活を送っている中、きっかけはよく覚えていないのだが『地上最大のロボット』を原作とした『PLUTO』という漫画が絶賛連載中であるという事を知った。
『PLUTO』が連載されていたビッグコミックは父が購読していたので、慌てて父に最新話を読ませてもらった。初めて読んだ回は、ギリシャの格闘ロボットであるヘラクレスが、プルートゥとの戦いで海中に没したトルコのロボット・ブランドの亡骸を私財を投じて集めている話だった。アスリートである二人は親友であり、良きライバルでもあったのだ。

まず「ヘラクレスとブランドが友人」という設定に驚いた。これは原作にはなかった設定だ。しかし実は私も、自分がノートに書いていた数々のファンアート(二次創作)で似たような事を色々と書いていたのである。
いわゆる「関係性萌え」に陥って、自分でもあれやこれやと妄想していた私にとって、『PLUTO』とは「公式から与えられた新鮮な供給」だった。しかも浦沢先生は、ロボット達を自身の考えたキャラクターデザインで描いていた。中には完全に人間そのもののデザインの者もいて、「擬人化」も好きだった私にとってはそういう点でもハートを射貫かれてしまったのだ。

特に原作で好きだったオーストラリアのロボット・エプシロンが登場したシーンを読んだ時の衝撃は未だに覚えている。
ブランドの復讐に燃えるヘラクレスを止める為に天空から地上に降り立った浦沢版のエプシロンは、長髪の美青年の姿をしていた。
太陽の光がある限りは無限のパワーを生み出せるエプシロンは、華奢な外見でありながら七体の中でもトップクラスの戦闘力を秘めたロボットだ。しかしその強大な力を戦いで振るう事を嫌い、世論の批判を浴びながらも、戦災孤児たちを引き取り愛情をもって育てる道を選んだ平和主義者として描かれた──。
この日以来、強く美しい浦沢版エプシロンは私の「最推し」となった。
年月を重ねるにつれて好きな作品や推しは随分と増えたが「レジェンド級の推しは誰?」と問われたらエプシロンを選ぶかもしれない。それくらい彼は、私のオタクな部分の中でとてつもなく大きな存在だ。

以上が私と『地上最大のロボット』、そして『PLUTO』の馴れ初めだ。

言わずもがな『PLUTO』は連載開始前から話題となっていた注目の作品だ。
著名な原作、著名な作者によって展開されたストーリーは、原作の伝えたかった要素を核にしつつも当時の世相を踏まえた重厚なテイストとなってゆき、全8巻で完結した。
おそらく映像化の話は、初期の段階からあったのではないだろうか。

引き続きオタクとして過ごしていく中で、私は何度か『PLUTO』の映画化・アニメ化の話題を目にした。その度に期待しながらも「あれを映像化できるのか……!?」という疑問も胸に湧いていた(事実「ハリウッドで映画化予定」というニュースがあったが、一度見たきりで今現在まで音沙汰がない)。

そうこうしている間にすっかり年月が経った2023年2月。
長年の友人からLINEが届いた。
添付されていた動画は『PLUTO』の特報映像だった。

とんでもなく美麗な絵で動くゲジヒト(主人公)にド肝を抜かれた。
ちゃんと浦沢先生の絵柄なのに、アニメならではのはっきりとした線によるリファインもされているのがすごい。
ゲジヒトの戦闘シーンを何度も見ながら「遂にアニメ化するんだ」と胸をときめかせつつ、少し夢見心地だった。というか「夢じゃないか」とすら思っていた。

とりあえず「アニメが見られるその日まで、頑張って生きよう」と思いながら、私はネトフリに加入した。
オタクは大袈裟な生き物なのですぐに「○○を見るまで死ねない」とか言ってしまうのである。

アニメの情報は次第に公開されていった。
ホームページができ、アニメ『PLUTO』公式SNSが開設され、主要キャラクターの担当声優が次々と明かされていく。

ヘラクレスに小山力也さん、エプシロンに宮野真守さんが起用されたというツイートを見た時はあまりにもピッタリで大喜びした。特にヘラクレスは、私自身「小山力也さんが良い」と思っていたので予想が当たった形だった。
作曲家とのエピソードがあるノース二号に、ディズニー声優として名高い山寺宏一さんがキャスティングされたのはピッタリだと思ったし、一人称が「僕」で可愛らしいイメージがあったモンブランに、甘くて色っぽい低音ボイスが素敵な安元洋貴さんが付いたのには良い意味で驚いた。

しかし特に嬉しかったのは、作中のキーパーソン……もといキーロボットとなる謎多きキャラクター・ブラウ1598の声優を、田中秀幸さんが務められると知った時だ。恐らく『アストロボーイ鉄腕アトム』で田中さんが演じられたキャラクターを意識したキャスティングだと思われる。私と同様に、ニヤリとした方も多いのではないだろうか。

そうして情報を追っていた私であったが、(表向きは)コロナ禍を越えたとされた今年は『PLUTO』以外の推し作品にも沢山の動きがあったので、供給の多さに幸せを感じながらも何かと忙しい日々を送っていた。別のジャンルを追ったり、社会人として生活をこなしていたため、取りこぼしたニュースがあった。それが「上映会」である。
「あの『PLUTO』が待望のアニメ化」という事もあり、記念として配信に先駆けて作品を視聴できるイベントが二度行われることになった。その参加者を抽選で決めます!……という情報を、私は見逃していたのである。
そんな催しが行われると気が付いた時は、あろうことか申し込みの〆切の翌日だった。

申し込みをして落選したなら諦めは付くが、勝負のスタートラインにすら立っていない状況だったので、悔しいのを通り越して情けない気持ちになった。
しかもイベントのうちのひとつは「全話イッキ見」である。
アニメ『PLUTO』は一話一時間以上ある為、「集合時間は昼、解散時刻は23時半ごろ(※軽食支給)」という二度見してしまうようなスケジュールが事前に明かされていた。

「こんなヤバい……いや、面白そうなイベントを見逃していたなんて……!」と落ち込む私の脳裏に、ふと、いつか東京ドームの周辺を歩いている時に見かけた「チケット譲ってください」の看板を持つお姉さん達の姿が過ぎった。
開催概要にはペア当選とあったので、イベント当日に看板を持って会場の近くに立っていれば、ソロで参加する方が声を掛けてくださるかもしれない──と思ったが、「配信前の作品の視聴会なので、飛び込みの同伴者はNGかもしれない」「第一怖すぎる。そんな度胸は無い」と即座に考えを改めた。
しかし、発想自体は悪い考えではないかもしれない。

何しろこのイベントは「集合時間は昼、解散時刻は23時半ごろ(※軽食支給)」なのだ。当選した方が「誰か一緒に行こうよ!」と声を掛けても、そもそも同伴者が見つからずソロ参加を余儀なくされる可能性がある。

かくして私は「『誰か一緒に行きませんか』と投稿している方をツイッターで見つけて、リプライを送ってみよう」という作戦を立ち上げるに至ったのであった。
もちろん断られるのは覚悟の上だった。
誠に勝手な話で申し訳ないが、推し達に会う万に一つのチャンスに対して、何か行動したという事実が欲しかったのだ。

早速検索を重ね、それらしき方を発見した。
リプライボタンを開き、文字を打ち込んでいる間は久し振りに心臓がドキドキした。相手はフォロー外の方だ。「フォロー外から失礼します。かくかくしかじかなんですが、このイベントに同伴させて頂けますか」という図々しい要件を送るにあたり、どうすれば失礼さを極力半減できる文面を書けるだろうか……と試行錯誤をしていたら、時間がかかって夜中になってしまった。
(申し訳ない……)と思いながら投稿した数十分後、通知が鳴った。

「はい、興味ありますか?」

なんと、ツイ主さん(以後Nさんと記載します)は私の同伴を快く承諾して下さったのである。
私はNさんの同伴者枠として「『PLUTO』先行イッキ見上映会」というイベントへ参加させて頂ける事となったのだ。

NさんとDMで予定を立てながら、私は嬉しさと緊張で胸がいっぱいだった。
ポケモンスリープで整っていた睡眠時間はすっかり乱れ、ライチュウたちは毎日眠そうでかわいそうだったが「体調を万全にせねば」と最低限の生活リズムは守った。
そうして当日を待っている間に、私の中に『地上最大のロボット』のファンアートで大学ノートを埋め、父に渡されたビッグコミックで夢中になって『PLUTO』の連載を追っていたあの少女時代の私が、次第に戻ってきた。
「え、本当に『PLUTO』のアニメが見られるの!?」と驚く昔の私に「そうらしいよ! でも、私もまだちょっと信じられないんだよね……!」と声を掛けた。
どうなるんだろうね。そうそう、エプシロンは宮野真守がやるんだって。ウルトラマンゼロとか、島村ジョーの声の人だよ。ほんとどうなるんだろう。
PVも予告も何度も見ていたけれど、まだ夢見心地だったのだ。

そして10月21日土曜日。新宿。

スケジュールが大学の講義か研修みたいで面白すぎる。

イベント当日。
Nさんと合流し、会場である109シネマズプレミアム新宿に入ると、浦沢先生がアニメ化に際して描きおろした7大ロボットの絵や、プルートゥと睨み合うアトムのポスターが目に入った。
会場は高級ホテルのようだった。お手洗いにはアメニティが充実しているし、ロビーにはバーカウンターがあるのだ。しかもソフトドリンクとポップコーンが食べ飲み放題なのである。
109シネマズプレミアム新宿が凄い映画館であるということは耳にしたことはあったが、こんなに素敵な場所だとは……!

すっかりおのぼりさんになって劇場に入ると、設定画のパネルが出迎えてくれた。

私に限らずオタクは設定画が大好きな生き物!

突然のエプシロンに口元を抑える私。
笑うNさん(その節は申し訳ございませんでした)。
他の参加者の方もニコニコしながら、譲り合ってアトムやエプシロン、ノースのパネルを眺めている。

突然の出エプで動揺して写真をすっかり忘れてたが、劇場内も凄かった。
リクライニング付きのソファのような座席(座り心地最高。荷物置き場、手すり、スリッパ付き)、「NETFLIX」の文字が刻まれたクッション(なんとお土産としてお持ち帰りOK)……そんな素敵な場内の、ド真ん中が我々に与えられた席だった。
「すごい、良席……!」と震える私。
またしても笑うNさん(優しい)。

これからでっかいスクリーンで皆に会えるのか……!!
そんなこんなで夢のような時間はあっという間に過ぎていったのである。

不穏過ぎる公式ハッシュタグ(当日のイベント用)
支給された軽食。サンドイッチの具がみっちりしていて美味しかったです。

以下はざっくりとしたアニメ本編の感想だ。
まだ配信前なのと、アニメで初めて『PLUTO』に触れる方もいるかもしれないので決定的なやネタバレなどは極力控えようと思うが、そうなると途端に「すごかった」「ヤバい」「PLUTOのアニメは本当にあったんだ!」というアホの文章しか書けなくなってしまう。
もう少し頑張ってみるが、いずれにしても稚拙な文章になるかもしれないのでご容赦頂きたい。
あと完全にネタバレがNGな方はストップを推奨する。


……と、言ったそばからやっぱり「とにかくすごかった!」としか言いようがない。

子どもの頃から大好きだった推し達は、滅茶苦茶美しい絵と最高の声で、動いて喋っていた。
そんな彼らと彼らを巡る人々が紡ぐ物語に、私の涙腺は幾度となく緩んだ。何度も泣いたのでアイメイクが溶けてしまった。こうなる事を予想してメイクキープミストを厳重に振りかけていたけど、無意味に終わってしまったようだ。

やはりノース二号やブランドの辺りは「あ、皆も泣いてるな」と感じた。どちらも序盤の見どころで、辛く悲しいが今後の展開を見届ける上で欠かせないシーンだ。
彼らをはじめとして、作中ではロボット達の日常が丁寧に描かれている。七体のロボット達はかつて従軍を経験する中で悲惨な戦地を目の当たりにし、各々が辛い経験をしている。高度な電子頭脳と鮮明な記憶力を有する彼らは、戦地での記憶や経験を容易に忘れる事ができない。それ故に今の平穏な生活は、彼らにとって何よりもかけがえのない「愛すべきもの」であることが伝わり、見ているこちらの心も温かくなる。

だからこそ、彼らの日常が突如として奪われてゆく場面=プルートゥの来襲はとてつもなく辛い。
しかしロボット達も、ただ黙ってやられるわけではない。
「死にたくない」「生きたい」と懸命にプルートゥに抗おうとし、散ってゆく。
人の手で造られた物体であるロボットが「生きる」ために迫りくる脅威と必死に闘う姿は切ないが、どれも胸を打つものがある。

そしてプルートゥ自身も、ただの無慈悲な死神なのではなく、壮絶な苦しみや悲しみを抱えた存在であることが、徐々に明かされてゆく。その背景には、七体のロボット達と同様に「戦争」が深く影を落としている。
毎日のように戦争のニュースを目にする今、他人ごとではない思いがした。そもそも『PLUTO』作中で描かれた戦争は、連載当時起こっていた実在の戦争をモデルにしたものである。連載から十年以上たった今もなお、新たな戦争が起こっている事が悲しい。

「最推し」「レジェンド推し」と紹介したエプシロンの事にも、少しだけ触れさせてほしい。
大画面で見るエプシロンの登場シーンは、あらゆる意味でとても眩しかった。
銀の長髪、ピンと伸びた背筋、長いまつ毛に縁どられた青緑色の目、作中のどのキャラよりもツヤツヤな唇……という彼のビジュアルは本当に美しい。
ヘラクレスやゲジヒトに忠告を与える時の凛とした声と、子ども達と接する時の温かく優しい声のギャップも堪らなかった。宮野真守さんが彼を演じてくれて本当によかったと心から思う。
アニメが配信された暁には、彼のファンが更に増える事だろう。

余談だが、エプシロンの初登場シーンの直前まで、私はポップコーンを食べていた。推しに集中するため、食べるのを一旦やめて、手を拭こうとおしぼりを開封した瞬間、ラベンダーの芳香があたりに漂って「何事!?」と慌ててしまうなどした。
ちょうどエプシロンが登場するシーンだったので4DX的な「イケメンの香り」の演出かと一瞬思ったが、どうやら元々ラベンダーのアロマが仕込まれたおしぼりだったらしい。
世の中にはこんな便利な物があるんだな……!

連載当時、何度も繰り返し読んだストーリーを、高いクオリティのアニメーションとして再び(しかもイッキ見で)見る事の充実感は、言葉に尽くせないほどだった。
アニメ版『PLUTO』は、改めて私の心をかき乱してくれた。十代の頃、初めて『地上最大のロボット』を読んだ時のように、私は萌えて燃えて泣いて、あの頃より少しは成長したかもしれない頭で色んなことを考えた。
何を考えたのか全部書こうとすると、ただでさえ無駄に文量がある本記事が更に長くなってしまいそうだし、何より伝えきれるか自信がないので、ここでは割愛する。
機会があればどこかで語りたい。

持参したアトムのミニソフビと『地上最大のロボット』のシーンを集めたトートバッグ。

上映イベントでは、浦沢直樹先生が登壇されるトークタイムもあり、貴重なお話を色々と伺う事ができた。

浦沢先生が『地上最大のロボット』を読んだのは五歳の頃だという。
幼いながらも「なんて切ない物語なんだ」と衝撃を受けたとのこと。
『PLUTO』を連載している時は、世間からの評価もさることながら「五歳の自分からの、『ちゃんと描かないと承知しないぞ!』というプレッシャー」を背負っているようで重かったそうだ。

「こんなシーンがあったよな~と原作を読み返したら、それは自分が『こうだったらいいな』と妄想していたシーンだったので当然作中にそんな場面はなく、驚いた事がある」「『PLUTO』は五歳の浦沢少年が当時妄想していた物語でもある」という発言は、特に印象に残った。
冒頭に書いた通り、私自身も子どもの頃に『地上最大のロボット』のファンアートを書いていたのでものすごく共感できたのだ。
もっとも、浦沢先生はその妄想を現実に描いて大作にした方なので、私とは天と地ほどのへだたりがあるのだが……。

音楽に明るい浦沢先生らしく、歌にまつわる裏話も語られた。作中の二つの挿入歌は先生自ら作曲したものだと明かされ、先生自身が作った『ノース二号の巻』に登場する曲のデモテープ(本イベントが初公開)が披露された際には、大いに盛り上がった。

また浦沢先生は、「大丈夫ですか? 疲れていませんか?」「疲れたらちゃんと休憩してくださいね。おうちに帰るまでが『PLUTO』ですよ」と、重いストーリーをイッキ見しようとしている我々の体調とメンタルを終始案じて下さり、最終的に司会者の方に「引率の先生のようですね」と称され場内の笑いを誘っていた。

想像していた通り、やはり映像化(アニメ化)の話自体はかなり前から打診があったらしい。しかし「どのメディアを用いるのが適切か」という点で難航したようだ。
映画では収まりきらない。テレビアニメ化も難しい。
時の流れとともにネトフリなどの動画配信サイトが誕生し、遂に実現に至ったようだ。
重要な課題を抱えながらも、諦めずに浦沢先生にデモテープを依頼するなどして企画を温めてくださっていた事が、『PLUTO』のファンとしてとても嬉しかった。

終了時刻は23:20でした。

Nさんと新宿駅で分かれた後、終電に飛び乗った私は『PLUTO』の余韻に浸っていた。
色々と呟きたいのは山々だったが、配信前の作品についてSNSで詳しく語るのは気が引けるので、脳内に十代の私を呼び出して感想合戦をしていた。
「どこも最高だったけど、一番はやっぱり終盤のアレだよね!」と意見が一致した。

「アレ」がどんなシーンかは、この記事では触れないので、是非『PLUTO』本編を見て確認してもらいたい。
多感な十代の頃に『地上最大のロボット』達に愛着を持ち、彼らを推していた私が、思わずネトフリクッションを抱えて号泣してしまったシーンだったとだけ記しておく。

『PLUTO』の配信は2023年10月26日、明日16時からだ。
トークタイムの浦沢先生の言葉を借りるならば「決して爽快ではない物語」だが、ただ重いだけではない、骨太のエンタメ作品だと私は思う。
是非多くの方に見て頂きたい、と一ファンはネットの片隅で祈っている。

そしてNさんに改めてお礼を申し上げたい。
フォロー外のオタクのリプライに対し、快く了承して下さったNさんのお陰で、推し達のスクリーンデビュー(?)を見届ける事ができた上に、大画面でエプシロンの美顔を堪能する事ができた。
「浦沢先生に質問」という企画の折には「よかったら書きませんか」と貴重な機会まで譲って下さったので、とにかく感謝しかない(ちなみに私の質問は無事採用された)。

『PLUTO』の登場人物で、七大ロボットの一体であるブランドの印象的な台詞に「俺はラッキーマンだ」というものがあるが、あの日の私はまさしくラッキー(ウー)マンだった。

ちなみにサウンドトラックは本日10月25日より発売されている。

劇伴好きな私としてはありがたく、早速この記事を書きながら聞かせて頂いた。出だしの幻想的なコーラスが印象的な「Spirit of Love」は、すっかり気に入ってしまって、既に何度も聞いている。そして、ブランドの家族が登場する際に流れていたBGMのタイトルが「Ordinary but Precious Day」である事を知って、またしても涙腺が刺激された。
「ボラ―の歌」もめちゃめちゃいいです。お楽しみに!

最後に、オタクが言いがちなひとことでこの記事を締めようと思う。

『PLUTO』は、いいぞ!!

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