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映画感想『私は最悪。』まだ何にでもなれるはず?

久しぶりの映画感想です。
お医者さんから休職診断をされてから逆に元気になってきました。
現金なものですね笑
というわけでしばらく見る余裕のなかった映画を久しぶりに見ることができたので、感想です。

#ネタバレ
#この記事はネタバレを含みます


あらすじ

成績優秀だったから医学部に行き、これじゃないと心理学の道に進み、またこれじゃないと写真家の道に進んだユリヤ。才色兼備で何にでもなれるけど「人生の脇役にいるのは嫌」と道を変えてはまだ脇役。
歳の離れた恋人アクセルからは「子供が欲しい」と言われるもまだ実感も自信もなく喧嘩してしまう。そしてユリヤは30歳の節目の歳を迎える。
そんななか勝手に忍び込んだパーティーで出会ったアイヴィンに出会い、猛烈に惹かれ合う。
今度こそ主役となろうとするが。



↓ここからネタバレを含みます ご注意ください!!!↓

感想

先日30歳になったばかりの私にはブッ刺さりまくった作品でした。
主人公のユリヤが「これじゃない」とすぐに新しい道に進んでは「将来の自分に期待」している姿は、まるで自分のことを言われているような気すらしました。

もう30歳。年齢的には「自分探し」は終わりにしなきゃいけません。
でもまだ「何か」になれると信じているんだ…
同世代の友達はもう家庭を持ったり子供を授かったり、決めた道で昇進したりしているのにね。鬱。

ユリヤ

ユリヤはまだ「主役」になっていない。まだ「何か」になれると思っている。
つまり子供っぽいんです。

まだ何にでもなれるはずという気持ちはとても共感してしまいました。
正社員になっても、偶然入った会社だしそこで一生を終えるのは嫌だ、私には私にしかできない何かがまだあるはずだと信じている自分がいます。
でも辞めるほどの自信はない。
その点ではユリヤはすぐ飛び込むので羨ましいとすら感じます。
その衝動的な行動は、やはり子供そのものなのかもしれません。

子供には全能感があると言います。

「全能感」とは、「自分ならなんでもできる」と思い込んでしまう感覚を指す心理学用語です。
幼児期の頃は誰もが持っており、子供の発達段階においては成長に必要な感覚といわれています。
そして、子供が成長するにつれて様々な困難にぶつかることで、徐々に薄れていくのが一般的です。

https://smartlog.jp/230956 2024.07.13閲覧

全能感を持つ大人の特徴
失敗をしても焦らない
他人のことを見下した発言をしがち
戦隊ヒーローの「レッド」になりたい
協調性がなくて団体行動が苦手
思ったことをすぐに口に出す
3度やってもうまく行かないことは投げ出す
人から指摘されると機嫌を悪くする
自分の都合よく解釈する
友達など、周りの人の自慢話には興味がない
誰が見ても「人に厳しく自分に甘い」

https://smartlog.jp/230956 2024.07.13閲覧

「失敗しても焦らない」「レッドになりたい」「思ったことはすぐに口に出す」
なんてユリヤそのものですね。

だから歳の離れた恋人アクセルが身を固めて子供を欲しがるのを頑なに拒みます。
その気持ちは痛いほどわかります。
まだ何にもなれていない自分が子供を育てるなんて、そんな自信ない。
母になるイメージもつかなければ「育てる」なんてそんな責任も取れない。
それに「人生の主役」は確実に子供になってしまう。
でもアクセルは「君はいい母親になる」と言い続けます。

そんななか勝手に入り込んだパーティーで若いアイヴィンに出逢います。
彼は子供はいらないという価値観で、また恋人に疲れていたので今の状況から抜け出したいユリヤと似ていました。
やがてアクセルと別れたユリヤはアイヴィンと猛烈に愛し合います。

しかし避妊に失敗したユリヤは妊娠したことに気づきます。
絶望するユリヤ。
この時の不安は形容し難いものだと思います。

アクセル

そんななか、ユリヤはアクセルの兄から「アクセルは癌になった」と偶然聞かされます。
アイヴィンにそのことを告げられないまま、ユリヤはアクセルの病室へ向かいます。

アクセルとユリヤは色々話し合います。
死の恐怖に苛まれ過去を振り返る彼はそんな境遇にいながらもなお優しく、過去のユリヤを責めることはありませんでした。

妊娠を告げた彼女にアクセルはそっとそう言います。

僕が後悔していることがあるとすれば、
君に自信を持たせてやれなかったことだ。

『私は最悪。』より

僕は失敗を恐れてばかりで時間を無駄にした。
でも不安なことって案外うまくいくよ。

『私は最悪。』より

なんて優しいんだアクセル。
死を前にしてこんなに優しくあれることがあるのでしょうか。

ユリヤは漫画家として成功し、自分のアイデアをアートにすることができたアクセルの才能をずっと羨ましいと思っていました。
でもアクセルはアートや才能には今は執着していません。

後悔といえば、ユリヤとのことだったのです。
どこまでも優しい人でした。

面白いなと思ったのは、アクセルとユリヤのジェネレーションギャップでした。
アクセルはユリヤと10歳ほど離れているので、「モノ」が溢れた世代で生きてきました。本やレンタルビデオ、CDなどです。何かを消費するにはまず「モノ」でした。
ユリヤと私は同い年なのでわかりますが、私たちの世代はほどんどダウンロード世代と言っていい世代で、アクセルたちの世代に比べれば「コト」主義です。
「モノ」世代のアクセルはそんな昔を振り返ることが増えたと言います。
でも昔を求めるのはアートではなく死の恐怖なのだと。

死を前にするアクセルは自分の才能にはもう執着がないことが、才能や「自分にしかできない何か」を求めるユリヤとの対比が皮肉で印象的でした。

最後に

ユリヤは結局流産してしまいます。
安心したような、そのことに絶望しているような彼女の表情は、まさに「私は最悪。」と言っているような気がしました。

この作品は要所要所で「私は最悪。」というシーンがある映画でした。

好みは分かれるかなといった印象です。
なんだこのその時にある幸せを享受できないわがままな女は。
と思う人もいるでしょうし、
女性の新しい生き方だ、新しいことにたくさん挑戦できるなんて素晴らしい。と思う人もいるかもしれません。

見る方の人生観にかなり左右される映画だなと思いました。
女性はぜひ見てほしい映画です。


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