【短編小説】6と9の苦悩。
この世の見た目は、数字で構成されています。
ある人は2という形で。ある人は、7という形で。
その中でも、ある6は、勉強、運動、人付き合い全般が苦手で、いつも劣等感を抱いている少年でした。どんなに練習しても、努力しても、みんなに追いつけないので、いつもいつも、自分を責めては他人を羨んでいました。
一方で、その幼馴染の9は勉強も運動もでき、周囲からも好かれ、いつも生き生きとしている、世にいう優等生と言われる少年でした。
そのため、ずっと、6は9に憧れていました。
『僕と9は、上下が逆さまで反対なだけなのに、なんで僕はこんな駄目な人間なんだ…』と、常々そう思っては胸の中で9に対して劣等感と憎しみを抱いていました。
どうにかして、今の状況に変化を起こすことはできないだろうか…
一晩中考えていたある日の夜、はっと、あることを思いつきます。
「そうだ!僕がひっくり返って9になれば良いんだ!」と。
試しに、6は、逆さまになって自分自身を9にしてみました。
すると、なんということか。
ひっくり返って9となったその日以来、運動も、勉強も、吸収率が圧倒的な速さで身に付いていくのです。
今までの努力が馬鹿みたいに思えるほど。
『コミュニケーションの方はまだ実験できていないけど、きっと大丈夫だろう。そうと決まれば、9君に、僕と交換して貰えるように交渉に行こう!そして僕は、9君になるんだ!』
今まで、「勉強のできないお前はクズだ」「運動神経悪くて格好悪い」「アンタに取柄なんかあんの?」と罵られ続け、蔑まれてきたやつらのことを後悔させてやる!
そういう気持ちを膨らませながら、6は9君のもとへ一心に走りました。
心優しい9君は、あっさりと、拍子抜けするくらいの軽快さで、6の提案を了承しました。「僕も一度、6君になりたかったんだー」という言葉まで添える余裕さで。
言葉に妙な引っ掛かりを感じたものの、『じゃあ…明日から僕が9君で、君が僕ね!クラスとか間違えないようにね!』
その日から、家以外の時間、6と9君はそれぞれの立場を交換して生活することとなりました。
6は、非常に楽しい気持ちで胸がいっぱいでした。勉強ができて、先生から褒められ信頼される。運動できて、他人と同等に競えて楽しい。何より、友達がいることが嬉しくて溜まりませんでした。
自分に対して自信を持てたことが功したのか、コミュニケーションに関しても特に問題が発生しなかった6は、休み時間に沢山の友達と遊べました。学校が終わっても、遊べる友達がいました。
『楽しい!楽しい!嬉しい!嬉しい!きっと、これが幸せっていうものなんだ!』
そう思っていた矢先のことでした。
6は先生に呼び出されました。
「9君。そろそろアレはできたかな?」
『アレ…?』
「なんだ、まだなのか。卒業生に送る言葉と、体育祭の選手宣誓の文言、あと、委員長としての委員の役割配分と…」
先生は、6には聞き馴染みのない言葉を、次々と呪文のように唱え始めました。
『え、知らない。そんなのやったことないし、どうやれば良いかもわからないし、大勢の前に出るなんて緊張で押しつぶされちゃうよ…』
「せ、先生、僕、そんなに沢山できません…」
そう、6が唱えるも、
「何言ってんだー?今までだって元気に、楽しそうに「やります!」って言ってくれてたじゃないか。熱でもあるのか?」
先生は、そう言って不思議そうに首をかしげました。
6は、呆然と立ち尽くし、その後、どうやって自分が家まで帰宅したかを覚えていませんでした。
『卒業生に…えっと、何だっけ…あと、委員会の配分…他にも何か色々言われていた気がする…あれ?何だっけ?どうやるんだろう』
6は、取り敢えずやらなければいけないことをリストアップすることにしました。すると、やらなければいけないことが、15個もあったのです。
今まで、一気に15個も物事に取り組んだこともなく、人前に出る経験もなかった6にとっては眩暈がするような数でした。
『と、とてもじゃないけど、僕にはできない。無理。無理。やりたくない…そ、そうだ。9君にその時だけ変わって貰おう。そうだ、だってこれは、9君がやるべきことなんだから』
そう思った6は、9君の元へ向かいました。
『9君9君。僕、君がやるべきことをできる気がしないよ。その時だけ代わってくれないかな?』
そう9君に伝えると、
「え、やだよ。だって今は君が僕でしょ?僕さあ、本当は良い子でいたくなかったんだよね。先生からの期待の目とか、お父さんとお母さんからの重圧とか、凄く凄く嫌だったんだー君になれて、僕は幸せ者だよ」
そう、9君は6に言いました。
『え…僕が、僕になれたのが、幸せなの?嬉しいの?だって、勉強も運動もできないし、友達もいないし、悪口ばかり言われるし…』
「そんなの、個人の受け止め方次第じゃない?僕は別に気にしてないもん。勉強も運動もできなければ、別に一生懸命勉強しなくても良いし、運動できなければリレーの選手に選ばれることなく、ただ座ってればいい。友達がいなければ、自分の好きな事ができる。こんなに幸せなことってある?」
そう、9君は言いました。それは、6にとっては考えたことのない、考えられなかった考え方でした。
『僕は、幸せだったんだ…それを、自分が自分で不幸せにしていただけだったんだ…』
愕然として、6は何も言えませんでした。9君にとっての幸せが6にとっての苦痛で、6にとっての幸せが、9君にとっての苦痛だったのです。でも、6は、9君の人生も苦痛でした。それは、6の人生ではなかったからなのか、6の考え方が偏っていたのか、6の能力の問題だったのか、それは6には分かりませんでした。
でも、はっきりと分かっているのは、自分が、自分に戻りたいということでした。
『どうしたら、元に戻ってくれるの…?』
恐る恐る6が9君に尋ねると、9君は暫く6を見つめてじっと何かを考えた後、答えました。「じゃあ、50m走にしよう」と。
条件付きでも自分に戻れる兆しが見えた6は、『分かった!!!』と、即座に答えました。「あ、因みに、お互い元の姿に戻ってからね」という言葉を聞く前に。
元の姿に戻っての勝負…それは、6にとっては勝ち目のない勝負でした。
「じゃあ、ここからあそこの木までの競争ね」と、9君は逆立ちを戻して、元の姿に戻った後、楽し気に6に言いました。
青ざめた顔で、6も元の姿に戻り、ガクガクと震える足でスタート位置に立ちました。
『これを逃したら、もう一生、僕には戻れないかもしれない…』
その重圧と緊張と恐怖が、6の身体を蝕んでいました。
「よーい…どん!」
そんなことも知らんぷりで、9君はスタートを切る合図を叫び、走り出しました。
6も、走ります。走っている時間は、永遠かと思えるほど遠く深く、長く感じられました。
『僕が、自分に戻ったらどうなるんだろう…また、一人ぼっちになるのかな…運動も勉強もできなくて、からかわれるのかな…嫌だな…でも、9君のまま生きるのも、嫌だな…9君は沢山のものを抱えながら、一生懸命生きているんだもん…僕にはそんなこと…そんな、こと…』
少し前を走る9君を眺めながら…ふと『あれ?』と思いました。
『9君って、こんなに足、遅かったっけ?』と。
なんで自分が9君のすぐそばを走っていられるのか、6は自分でも分かりません。でも、9君の斜め後ろすぐを走っている自分がいる。これなら、勝てるかもしれない!!!
6は、全力で、全力で走りました。今までこんなに頑張ったことがないくらいの力を振り絞って、ただがむしゃらに走りました。
「「バンッ!!!!!」」
木を叩く2つの音が聞こえました。
2人は、ほぼ同時にゴールの木へたどり着いたのです。
そして、他人には分からない、2人の間には、勝負の勝ち負けは分かっていました。
『君の、勝ちだね…』
勝ったのは、9君でした。
でも9君は、不服そうな顔をしています。
「お前、最初本気で走ってなかったでしょ?こんなの勝負じゃないよ。」
『え…』
「だから、これはお前の勝ち。あーあ、6君になってから運動サボってたからかなあ…。…6君さ、僕になって沢山運動してたでしょ?それってさ、楽しかったからかもしれないけど、ちゃんとした努力なんだよ。楽しみながら努力できるって良いなあ~僕なんか、友達に嫌われないようにしながら必死にしてた努力なのにさぁ~お前は楽しみながらしてた努力だったんだもん。放課後とかチラッと見てたけどさぁ羨ましいよ、お前が」
そう、9君は言いました。
『僕、努力してたの…?』
「そうだよ。だから、足も速くなって、体力もついて、しかも多分、走りながらなんか考えてたんでしょ?凄いよ、お前」
6としての自分が褒められたのは初めてだったので、6は何も言えませんでした。ただ1つ分かったのは、自分が今まで間違った努力の方法ばかりしていたということ。
他人と交わらず、一人で考えて、勝手に行動して、空回りして、努力が結果に結びついてなかったということ。他人と関わって、コツを教えて貰って、楽しむことが、その次の原動力に繋がっていくこと。
それが、この50ⅿ走をして分かった、6にとっての真実でした。
「じゃ、帰ろうか」
呆然としていた6の手を掴み、9君は歩き始めました。
「明日からは、自分自身で生きてくってことで」
『うん』
「あと、これからは一緒に遊ぼうね。明日、6君を友達に紹介するからさ」
『うん』
「友達第1号ってことで宜しく」
『うん』
「なに泣いてんの?」
『うん』
「うんじゃなくてさ。…まあ良いけど」
『うん』
これは、6君と9君しか知らない、秘密のお話。
秘密の約束。
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