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カブトムシ ~夏の終わりの恋~

 これは9月初旬、とある日曜日の昼下がりのこと。

 僕は2人の友人と、二羽の鳥を彷彿とさせる大手家具屋へと出掛ける約束をしていた。その日は寝すぎてしまい、起床後すぐに準備に追われていた。

 歯を磨き着替えを済ませ、ヘアワックスを使って雑に髪をセットし、普段使用しているリュックを背負う。これで出掛ける準備は整った。

 コロナの影響もあり、友人に直接会うのは久し振りだったのでワクワクしていた。靴を履き外へ出て、ゆっくりと扉を閉めてしっかり施錠する。

 その時、僕は気付いた……。足下に何かがいると……。

 気配のする方へと目を向けると、そこにはメスのカブトムシがいた。これまで生きてきて、玄関前でカブトムシと遭遇する経験が無かったので、思わず驚きの声を漏らしてしまう。

 この子は、こんなところで何してるんだろう? 思いながら、スマートフォンのカメラを起動し写真を撮った。今の時代、誰も彼も何かあるとすぐにカメラを向けて写真を撮りたがる。僕もそんな時代を生きる人間の1人なんだなぁ、と改めて実感した。

 僕は、カブトムシとの不思議な遭遇を誰かに共有したくなり、LINEで友人へ「玄関にカブトムシいたw」という文に、写真を添えて送り付けた。

 カブトムシは放っておけば勝手にいなくなるだろうし、別に移動させることもないだろうと思った僕は、急ぎ足で友人との待ち合わせ場所へと向かった。

●●●

 時間にして、2時間くらいだろうか。友人との買い物を終えて、ご飯を食べることもなく、それぞれが帰路につく。そういえば、あのカブトムシどうしたかなぁ。ふと、出かける前に遭遇したカブトムシのことを思い出した。

 そんなことを考えながら、自宅へと辿り着く。

 まだいたら笑っちゃうなぁと、少しだけ期待していたが、僕の期待は外れた。玄関前にカブトムシの姿はなかった。

 まぁ、蛾とかであれば何時間も同じ場所にいることも珍しくはないだろうけど、蜜も、潜るための土もないような場所にカブトムシがずっといる訳ないよな。

 僕は小さく笑い、鍵を開けて自室へと入った。

●●●

 次の日の月曜日。

 通常通り朝から出勤し、夕方に仕事を終えた僕は、自宅の最寄り駅に着いた。最寄り駅から自宅までは徒歩で移動しており、ほとんど座りっぱなしの事務仕事で固まった体をほぐすには丁度良い運動にもなる。

 自宅マンションに着き、階段を上がって自室へと向かう。玄関前まで来た僕の目に、驚きの光景が飛び込む。

 昨日、玄関前にいたカブトムシが、また姿を見せていた。

 僕は、ただただ驚いた。「えっ、なんで!?」と普通に声に出して驚いてしまった。出勤するときは見当たらなかったので、どこかに隠れていたのだろう。それなのに、僕が帰って来るときに姿を見せてくれたことを、嬉しく感じ、自然と頬が緩んだ。

 そこで僕は、昨日と同様にスマートフォンを取り出してカメラを起動させ、写真を撮った。この奇跡的な出来事を友人に共有するため、これまた昨日同様に「朝はいなかったのにw」という文に写真を添えてLINEを送信。

 嬉しい気持ちもあったけど、飼える訳でもないし、2日も連続で家に来られたところで困ってしまう。さすがに今日は放っておくわけにもいかないと思った僕は、カブトムシを右手で掴み、左の掌に乗せて歩き出す。迷子のカブトムシのために、木の生えている所を探し、そこに逃がしてやることにした。

 自宅マンションのすぐ近くで、木の生えている場所と言っても、道路脇の花壇に生えている木しか見当たらなかったので、とりあえずそこに逃がして自宅へと戻った。

●●●

 自宅に帰ってしばらくしてから、先ほどLINEを送った友人からの返信が届いた。その内容は「お前、カブトムシのメスにモテるのか」というものだった。

 友人からの返信を見た瞬間、僕の心臓がドキッと大きく動いた気がした。そういうことだったのか……。僕の中で何か府に落ちたような心地よさがあった。

 「あのメスのカブトムシは、僕に恋をしていたんだ……」

◇◇◇

 私は、カブトムシのカブ子。

 最近の私は、なんだかおかしいの。胸がモヤモヤするというか、ズキズキ痛むと言うか……。とにかくなんだかおかしいの。

 前までの私であれば、オスカブトのたくましくてツヤツヤで、どんな物でも持ち上げてしまいそうな立派な角に惹かれていたのに、最近はピンとこないのよね。

 それもこれも彼のせい……。あのオス人間と出会ってから、私は変わったわ。実際のところ、あの人がオスなのかメスなのか、カブトムシの私には判断出来ないけれど、あれはきっとオスね。本能がそう言っているもの。

 私はクヌギの木に登り、黒に染まった空の世界で輝く満月を眺めながら、彼の事を考えていた。最近は随分と肌寒くなってきた。夏を生きる私達には、もう時間が無いかもしれない。そんな不安を胸に宿しているとき、私の意志とは関係なく羽が開いた。心なしか、いつもよりも羽が輝いて見えた。それは月の光に当てられてそう見えるのだろうか、それとも……。

 考えている時間が勿体ない。羽はもう開いている。あとは、クヌギの木を力一杯蹴って飛ぶだけだ。

 行こう、あの人の元へ。

◇◇◇

 私が彼を見かけたのは、ある日の夜、道路脇に生えている木の上で少し休憩していた時の事。

 木の下の方で、何やらカサカサと音が聞こえてきた。不思議に思った私は、下を覗き込んだ。そこでは一匹のカナブンがひっくり返っていて、落ち葉の上で身動きが取れなくなっていた。その姿があまりにも不憫なものだったので、私は木を降りて助けに行こうとした。

 その時、彼が現れた。彼は優しくカナブンをつまんで、起こしてあげていた。彼の優しさを見た瞬間に、ミツバチの針が胸に刺さったような衝撃が体を駆け抜けた。カナブンを助けた後、彼はそのすぐ横にある、何だか良く分からない大きな建物の中に入って行った。私は彼のことが気になり、気付かれないように後ろを飛んで付いて行った。

 今度は別の大きな物体の前で、彼が足を止めた。次に彼がその大きな物体に手を掛けると、大きな物体は蝶の羽のようにヒラヒラ動いた。そうして、彼はヒラヒラの物体の先へ入って行った。私の勘が正しければ、ここが彼の住処だと思う。

 どうにかしてお近づきになれないかしら。私は一瞬、自分がカブトムシであることを忘れて、そんなことを考えていた。

◇◇◇

 そして今日、私はあの時の記憶を辿って彼の住処に辿り着いた。

 空を見上げると、月とは違った輝きを放つ太陽が、空の頂点から少しだけ傾いていた。こんなに明るい時に、土の外に出ることなんて今までなかったため、体力的に結構辛いものがある。それでも彼に会うため私は必死に頑張った。

 彼の住処の前でウロウロしていたら、以前も目にした大きな物体がヒラヒラ動いて、中から人が出てくる気配を感じた。私は突然の出来事に慌てふためいた。どうして良いか分からず、とりあえずヒラヒラの端っこへと逃げてみる。

 出てきたのは間違いなく彼だと思う。せっかく会いに来たのに。こんな明るい時に頑張って会いに来たのに。振り返る勇気が私には無かった。少しして、背後からパシャリと不思議な音が聞こえた。聞いたことのない奇妙な音に思わず飛び跳ねてしまいそうになったけれど、それを堪えて私はその場でじっと止まっていた。

 そうこうしているうちに、彼はどこかへ行ってしまった。

 結局私は、彼に正面から向き合うことも、彼の姿を見ることも出来なかった。せっかくのチャンスを無駄にしてしまった。

 だけど、どこかへ行ったと言うことは帰ってくるということよね。

 急遽、住処を変えなければの話しではあるけれど……。途中で彼が、カラスに食べられてなければの話しだけれど……。もしも帰って来なかったらどうしよう……。なんだか不安になってきちゃったわ……。嫌な想像が膨らんでいく。

 ええい、そんなこと考えている場合じゃないわね。私は顔を横に振り、不安な気持ちを払った。大丈夫、きっと彼は帰ってくるわ。信じて待ちましょう。

 そう決意したのも束の間、体力がもう限界だった。太陽が照りつける慣れない世界での活動は、私にとって未知の領域。このままでは危険だと判断した私は、初めて彼を見かけた時に休憩場所としていた、道路脇の木へと場所を移した。その木の下で休憩をしていると、ダンゴ虫が右に行ったり、左に行ったりウロウロとしているのが目に入った。その流れをじっと見ていると、なんだかとてつもなく眠たくなってきた。

 襲いかかる睡魔にしばらく抵抗していたが、ついには逆らうことが出来なくなり、私は夢の世界へ旅立った。

◇◇◇

 気が付いた時には太陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。私はどれだけ眠っていたのだろう。月の位置を見る限り、かなり長いこと寝てしまったらしい。彼は帰ってきたのかしら?

 私は木にしがみつき、なるべく高い位置へ登って行く。ある程度高さのある所まで来たので、羽を広げて飛び立ち、彼の住処の様子を見に行く。住処の前に到着したのは良いけれど、彼がいるのかいないのか私には分からなかった。彼がまだ帰ってきていないことを願って、私は住処の前で待つことにした。だけど、いくら待っても彼が私の前に現れることはなかった。

 ついには太陽が昇り始め、その光がゆっくりと世界を包んでいく。世界と共に私の体も光に包まれ輝きを放つ。太陽に照らされるのは得意ではないけれど、なんだかとても心地よい気持ちになっていく。その瞬間、私は悟ってしまった。

 今日が私の最期の日になるということを。

◇◇◇

 陽が昇り、世界が少しずつ賑やかになってきた。おそらく、人々が活動を始めたからだと思う。このまま、ここで待っていればきっと彼に会うことが出来る。私はそんな確信を持っていた。だけど、私はそうはしなかった。彼に会うことは最優先にしたい気持ちには変わりない。だけど、もう1つどうしてもやってみたいことが私にはあった。

 それは、この明るい世界で色々な場所を見て回ることだ。

 私は後ろ髪を引かれる思いで、彼の住処から飛び立ち、町へと繰り出した。町の風景を見ていると本当に不思議だなぁと思う。彼の住処がある大きな建物に似た建物もあれば、全然形が違う建物も多くある。森どころか、ほとんど木すらない。こんな場所でどうやって人間は暮らしているのだろう。私達カブトムシには絶対無理だと思う。本当に、人間の世界は分からないことだらけだった。

 その後も私は、町を探検していた。小さな人間がはしゃいで走り回っている建物の横を飛び、道路を物凄いスピードで走る物体を眺め、沢山の人々が蛇のように長い物体の中へ、行ったり来たりしている光景に驚いたりと、様々な物に見て触れて回った。

 そんなことをしているうちに太陽の光が世界から消え、私はすっかり疲れ果てていた。現在私は、この町に来た最大の目的を果たすため、あの場所へと戻ってきていた。もちろん彼の住処の前だ。

 会えるかどうかは分からないけれど、最後の瞬間までこの場所で待つことを心に決めていた。もし、会えないまま私の命が尽きたとしても、彼に出会えたことに感謝して、後悔を残さないようにしよう……。と思ったけれど、それだと私の亡骸が彼の住処の前に残っちゃうか。それだとさすがに彼に迷惑だろうし、きっと驚くわね。私は、驚く彼を想像して小さく笑った。

 でも、やっぱりちゃんと会いたいなぁ……。そう心の中で呟いた時、私はこちらに近付いている足音に気が付いた。その足音が私のすぐ後ろで止まる。動くことが出来ずじっとその場で止まっていると、昨日も聞こえたパシャリという音が響いた。昨日と同様、その音に驚いていると、私の体はとても温かい何かに掴まれた。

 私の体がどんどん地面と離れていく。ある程度の高さまで体が上がり、止まったと思ったら次は平らの温かい物の上に乗せられた。

 状況がいまいち理解できず、その場で振り返ると、そこには夢にまで見た彼がいた。

 えっ、えぇぇぇ!? どうやら私は、彼の手の上に乗せられているらしい。

 私が困惑していると、私を乗せたまま彼はどこかへ歩きだした。どこへ向かっているのか、私には全く分からない。それにしても、何て温かくて大きな手なのだろう。この手の温かさから、彼の優しい人柄が私の体へ伝わってくる。私が恋をした人は思った通りの素敵な人だった。

 少し歩いて、彼が動きを止めた。その場所は、私の良く知っている場所だった。私が初めて彼を見掛けた場所。道路脇の木の前だ。そこで彼は私を掴んで、木の幹へ降ろした。そうして彼は、彼の住み処へと帰っていった。

 私は、名残惜しさから、彼の姿が見えなくなるまで、その背中を見続けていた。彼にとって私は、ただの迷子のカブトムシ。そんな可哀想なカブトムシを、木へ戻してあげただけのこと。

 だけど、私にとっては大切な思い出になった。彼と一緒に過ごしたのはとても短い時間で、この短い時間のために大変な苦労もした。だけど、心は満たされていた。どれも、すごく素敵な時間だった。本当にありがとう。

 彼が降ろしてくれた場所にしばらく止まっていた私は、木を登っていき、彼を見つけた日に休憩していた枝へと場所を移した。その瞬間、猛烈な眠気に襲われた。だけど、今回の睡魔は様子が違った。体の力が一気に抜けていく。私は、それに少しも抗うことが出来なかった。もう起きることは無いんだろうなと思った。私は薄れていく意識の中で、一言だけ置き土産を残した。彼に届くように願いを込めて。

 夏の終わりに恋をして良かった……。

●●●

 「あのメスのカブトムシは、僕に恋をしていたんだ」

 ぷっ! 僕はイケメン俳優になったつもりで、そんなことを言う自分が面白おかしくなり、吹き出してしまう。

 そこで僕は、出勤前に干していった洗濯物を取り込み忘れていたことを思い出し、ベランダへと向かった。洗濯物を干すのは好きだけど、取り込むことは嫌いなので、つい後回しにして忘れてしまうことが多々ある。

 ベランダを開けて洗濯物を取り込んでいると、夜風に混じって一瞬だけある匂いが漂って来た。

「何か一瞬カブトムシの匂いがしたような……って、もしかして……!」

 僕はさっき逃がしたカブトムシが、今度はベランダに迷い込んで来たのではと思い、ベランダを見回した。だけどカブトムシの姿は見当たらなかった。どうやら、気のせいだったみたいだ。

 洗濯物を取り込んだ後は、明日の仕事帰りに買って帰ろうと思っている食品や、日用品を忘れないよう、スマートフォンのメモ帳のアプリへ入力していく。「玉ねぎ、ニンジン、水、チョコレート、それと食器用洗剤でオッケーだな」入力が終わって、メモ帳を保存しアプリを閉じる。

「おっと、もう1つ忘れてた!」再度メモ帳アプリを起動する。「また家に来ちゃった時のために、これがあった方が良いだろうな」

そう言って僕はメモ帳の最後の行に、カブトムシ専用のゼリーを加えた。


                                 了


あとがき

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この作品は、フィクションとノンフィクションを合わせた作品となっております。前半の僕の語りがフィクションで、後半を占めているカブ子の語りがノンフィクションです。

嘘です、逆です(笑)

正確に言うと、前半の僕の語りの友人からのLINEまでがノンフィクションですね。「あのメスのカブトムシは、僕に恋をしているんだ」なんて恥ずかしいことは言ってないので、勘違いだけはしないようにお願い致します。

あと、僕の語りの部分で言っておきたいこととして、作中に登場する「僕」ほど「だだだ」は良いやつではありません(笑)

それと、基本的に小さい虫以外は苦手で、カブトムシを掴むことは出来ません。道路脇の木に逃がしたのは事実ですが、実際は家から段ボールを持ってきて、それに乗せて逃がしに行きました。

ちなみに、カブ子はピンピンしていました。段ボールの上でも動き回っていて弱ってる様子ではなかったように思います!

では最後になりますが、改めて読んで頂きありがとうございました。また何かあれば積極的に投稿して行きたいと思いますので、その時はぜひ宜しくお願い致します。

                               だだだ



 

 


 

 

 





 

  

 

 

 

  

 

 

 

 





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