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黒猫、虹の橋を渡る🌈 生まれ変わっても、また同じ模様で戻って来てね。

家で飼っている黒猫の具合が悪くなり、病院に行って検査をしてみたところ、腎臓が悪い事が判明した。

猫が腎臓が悪くするのは、ほぼ宿命に近く、私も気を付けていたつもりだが、黒猫はまだ若いので、注意していなかった。(黒猫は7歳、白猫が11歳なので、そちらばかり気を取られていた。)

具合が悪くなって病院に連れて行った時も、血液検査のサンプルを取った時も、大暴れで負傷者を出していたくらいなので、「きっと大丈夫だ」と思っていた。

しかし、血液検査の結果、腎臓が悪いことが判明した。

腎臓機能が低下している腎不全なのか、尿閉塞の様な一時的なものなのかは、黒猫が暴れる上に、検査の為の機材が無く、薬をもらって様子を見る事にした。




病院から戻った日は意外にも食欲があったので、「一時的なものじゃないのかな?」と期待したのだが、その後、段々、食欲も落ちていき、水分ですらスポイトであげないと飲まなくなってしまった。

あいにくと今週は三連休で、獣医さんも金曜日(祝日)はいなかった。

点滴をすると、一時的にでも回復すると聞いていたが、それをやるにしても黒猫が抵抗しないぐらいに弱まっていないといけないので、数日様子を見ていた。

金曜日になって、ほとんど動けなくなり、水もスポイトを使わないと飲まなくなってしまったので、土曜日に点滴をしに行くことになった。




それまでは涼しく、静かなところがいいのか、ベッドの下やベッド脇のサイドテーブルの下にいることが多かったのだが、金曜日にはほとんど動けなくなってしまい、ベッドにタオルを敷いて、隣で一緒に寝た。

一定間隔でスポイトでお水をあげて、朝晩には薬をあげる。

今までは薬をあげる度に抵抗され、手足が傷だらけになっていたが、この日にはもう抵抗する力が無いのか素直に飲み干した。

薬を飲んでくれて嬉しいと喜べばいいのか。それとも、抵抗する力が無い事に悲しめばいいのか分からなかった。

あまりに動かないので心配になって、できたら近所に出かけようと思っていたが、予定は全てキャンセルして、黒猫の傍にいる事にした。

あまりに静かなので、時々振り返って、弱々しくも規則正しくお腹が上下しているのを確認して、ほっとしたりしていた。




夜も、寝ている間に呼吸が止まってしまったら怖いので、電気をつけて隣で眠った。

隣に眠る黒猫をなでながら、体調を崩したとは言え、まだふわふわの体に触れる。

以前と違って毛づくろいもできないのか、手足も口元も汚れており、タオルで拭いた。

それでも、ベッドで一緒に横になって眠るひと時は、近づいている死の前の、とても幸せな時間だった。




無事に朝を向かえ、病院が開く時間まで黒猫の隣にいて、時間を潰した。

昨日に引き続き、あちこちを拭いたり、お水や薬をあげたり、病院に行くために爪を切ったりした。

そろそろ病院に出かけようとして、ケージに入れようと抱き上げた時、下に敷いていたタオルが濡れていた事に気づいた。

あれ?おしっこ出ちゃったかな?

もう一人でトイレに行けないのか~。帰ったらおむつも買って来ないとな、そう思って。病院に出かけた。

結局、おむつを買う必要はなくなってしまったんだけど。

黒猫は抱っこされると、いつもはすぐあちこちを見渡すのに、今日は大人しく抱っこされて、私の顔を見ながら「にゃ~」と弱々しく鳴くだけだった。でも、赤ちゃんに戻った様な気がしてかわいくもあった。



病院に着いて待っていると、獣医さんが到着したので、近況を簡単に説明すると、「それは点滴じゃなくて、酸素吸入かな。とりあえず、先に処置室に入りますね。」と黒猫を連れて入って行った。

しばらくして出てきた獣医さんは、「もう口で息をしているので、かなり危険な状況です。下手に点滴をすると、返って苦しくなるので、先に酸素吸入をして、様子を見ましょう。」と言われた。

猫が起き上がれない状態だと、かなり悪い事は予想できたので、方針は決めていた。

「分かりました。苦しむ延命はしなくていいので、できるだけ痛みが無い方法でお願いします。」

もう、死は目前だと覚悟した。それならできるだけ痛みが無いのがいい。




しばらくして、酸素吸入が終わった黒猫はケージに入った状態で戻ってきた。

「もうこれ以上はできる事はないと思います。酸素吸入もしたし、痛み止めも一つ打ちました。もし今夜を超えられたら、また相談しましょう。」と言われ、黒猫を連れて帰る事にした。

この時は、まだ黒猫はぐったりしているだけだと思っていたのだ。




Uberで家に戻る途中、いつもの友人に病院から戻って来るところだと連絡した。

「え、もしかして、もう亡くなってしまったの?」と言われて、ハッと気が付いた。

え、そんな事ないよね?

一緒に家に帰るんだよね?

まだ生きてるよね?

黒猫をくるんでいたタオルで顔が見えていなかったが、てっきり眠っているものだと思い込んでいて、まさかの可能性を考えていなかった。

タクシーの後部座席で、ケージの上部を開く。

外は晴れていて、明るいのに、なぜか、よく見えない。

黒猫は大人しかった。

何度目を凝らしても、お腹が上下しているのが分からない。

顔を見ても、生きている様にしか思えなかった。

そう「生きている様にしか」思えなかったのだ。

酸素吸入後からタクシーに乗る間のどこかで、黒猫は虹の橋を渡ってしまった。




黒猫が虹の橋を渡ってしまったと分かってから、どこか正気ではなかったと思う。タクシーで帰ってくることにしておいて良かった。お陰で無事に部屋に着いた。

黒猫が入ったケージが行きとは違い、妙に重く感じた事を覚えている。

家に戻っても、白猫と三毛猫は薄情にもこちらにやって来ない。動物達の間では死んでしまった仲間は、死体に過ぎないのかもしれない。

家に戻って、明るいところで見ても、黒猫が死んだことが信じられなかった。

私の目が悪いだけじゃない?

かすかだけど息してるんじゃない?

だが、黒猫を抱き上げた時に、でろ~んと体に力が入らない事で、やっぱり死んでしまったのだと理解した。

まだ体もあたたかいのに。

目を閉じさせて、体勢を整えて、インドは夏なので、(腐敗を防ぐために)アイスパックで体を覆った。

黒猫は5kg近くあって、お腹から太もものあたりがふわふわ、ぽっちゃりでとても気持ちいいのだが、数時間程、しばらく泣きながらそこをなで続けた。

なんか、今にも起き上がって、こっちを見そうなのに。信じられない。




黒猫がいなくなったことは悲しいが、頭のどこかは冷静で、家に戻った時に、友人に黒猫をちゃんと埋葬したいと伝えてあった。

インドの事情は分からないが、埋葬してもいいし、日本の様に火葬でもよいと思っていた。(インドでもヒンドゥー教徒は火葬だと聞いている。)ただ、かわいそうな状態で、野ざらしにだけはしたくなかった。

昔、グレイ(前に飼っていた猫)を亡くした時は、若干の後ろめたさを感じながら、家の前の空き地にこそこそと埋めた。黒猫はそんな気持ちを持たずに弔ってやりたい。

幸い、友人はすぐに埋葬を手配してくれたので、団地の近くに業者が穴を掘り、塩をまいて浄化し、埋めてくれた。

埋める時は、私が自分で抱っこして穴に置いた。その時まで、黒猫が起き上がるんじゃないか、暗い穴で一人起きたら困るじゃないか、と半ば真剣に考えていた。(友人に、「違うよ。」と諭された。)

「バイバイ。次に生まれ変わる時は、すぐに分かる様に、同じ模様で戻って来てね。」ぎゅっと抱きしめてそう伝え、黒猫は土に戻っていった。




団地から黒猫がいる場所は車で5分もかからない場所だが、帰り道、友人は「後、8回も猫生が残っているんだから。」と慰めてくれた。

「猫は9つの命がある」とか、「天国で新しい模様に着替えて生まれ変わる」と言われていたから、「次の猫生に生まれ変わる時は、すぐ分かる様に同じ模様で帰って来てね。」とお別れの時にお願いしたのだ。

多分、どんな模様でも巡り合えると信じたいけど。

このお話、すごく好きなんです。



今日の昼にお別れをして、意外と冷静にしているけど、気持ちの整理はついていない。

心の整理は時間が解決してくれると思うが、今は、黒猫が旅立った時の気持ちをここにアウトプットしたかった。

家に戻ってから、黒猫を看病する間に、薬やお水、黒猫の毛にまみれてしまった部屋着を洗濯に出した。部屋着と同じ様に、自分の悲しみもきれいに洗い流されていくのだろうか。

バイバイ、黒猫。黒猫がいない家やベッドはガランとしていて寂しいよ。

でも、また会おうね。

(トップの写真は、黒猫が土に戻っていった場所)




あれ?様子がおかしいな、って思った時

血液検査の結果が分かった時

黒猫が病気になってから


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