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「うそ」「大袈裟」で言葉を封じないで。

誰かにとって些細な問題も、当事者にとっては致死率が高いことはある。
私の問題は、第三者にとっての自尊心を保つためにあるわけでも、誰かに消費されるコンテンツとしてあるわけでもない。

杉田水脈議員の「女性は平気で嘘をつく」発言
幡野広志さんの削除された記事

否定されることを重ねながら生きていると、傷つかないふりも上手になるけれど、記事の回答一段落めで気持ちが悪くなって読むのをやめた。一日置いて、再び開いてその下も目を通したけど、やっぱり辛い気持ちのままだった。

誰かにとって「普通」で「簡単」な毎日も、誰かにとっては耐え難く困難でギリギリの思いで生き延びている毎日だったりする。私は、いつだって「普通」と戦っている。嘘みたいな暴力と共存した日々から逃げ切って平穏に生きるために、「普通」を勝ち取ろうとしている。


1.私は、愛されるために生きているわけじゃない

生きていると、どうにも「可愛げ」を求められる場面が多い。

子どものうちは、大人たちに愛される「可愛げ」が求められる。無邪気さで大人を笑顔にさせることが、大人から信用を得る処世術。成人すれば、男に愛されるために従順に笑顔で愛を受け入れ、好き勝手も許すことが信用を得る恋愛術になる。社会に出れば、教えをこい上司を労って尊敬する「可愛げ」を求められる。

いつだって「無害」であることが、愛される条件だとチラつかされる。
いつだってケアを求められる。
信用を得るには、従順さが前提にされる。

可愛がられるために「無害」を装う。
愛されるために黙って笑顔で全てを受けとめる。
問題を起こすのはギャンギャン騒ぐ女の方だと言われるのが嫌で、ニコニコしながら我慢に我慢を重ねて心身を削る。

それを得策だと言うのは、いつだって加害者の論理だ。

私は愛されるために生きているわけじゃない。
私は私のために生きている。

無害で従順な結果に虐げられるくらいなら、嫌われたっていい。
愛されずとも、嫌われても、私の人生は続くし、私は前を向いて生きていける。

* * * * *

私は、毒親のことも性被害のことも、大きな声で誰かに話すことは滅多にない。

信頼している人にも、同じ境遇を知る人にも、誰かに向けて声を出して私の身に起きていたことを告げることは、自傷行為のように口から出る音の分だけ、私を傷つける。傷跡に爪をたて、血が出ても抉られる痛みを伴う。

それほど慎重な問題だけれど、他人からすれば「大したことがない」問題として軽々しく扱われることはある。

虐待を受けていたことも、親からの支配から逃れられなかったこと、性加害に抵抗しながらも被害を受け続けてきた事実は、私を決して強くなんかしない。私自身が克服していても、周りは「弱かったから防げなかった」「無知だったから被害にあう」という視線を向け続ける。私が強い子どもだったら虐待を受けなかっただろう。賢明な人間だったら早々に賢く立ち回って生きやすいように生きただろう。

浅はかで愚かだから、ピーピー泣いて喚くことしかできない。
だからそういう目に遭い、毒をもち、有害なんだ。早く毒を抜いて無害で可愛らしい女になって、愛されやすくなってほしい。

本人が無自覚でも、そういう期待を向けられることは少なくない。
小さな言動の積み重ねのなかで降り積もっていく、私とは異なる「弱く愚かな私」像ができあがっていく。傷に塩を塗ったくられてるようなものだ。


つい最近、喧嘩の最中、恋人に「どうして一人暮らしを早くしなかったの?」と気楽に尋ねられた。「僕は(親身に愛情をかけ世話をしてくれる)家族と一緒にいるのが煩わしくて、大学入学と同時に家を出た。その後も自立してきた」と続けて言われ、私は悔しさで唇を噛み締めた。

ばかやろう!!!

と罵りはしなかったけれど、内心呆れた。育毒親や毒祖父母が子どもの自立を妨げる例はいくらだって転がってる。私の知ってる限り、毒親育ちは皆同じ経験をしている。幸せに育った彼は知ろうともしないまま、ただ私が自律性の低い人間だと暗にほのめかしたくて、問いかけるフリをして私を傷つけたかったのは、喧嘩の流れでも察した。

確かに彼の目論見は成功した。
私は、たったひとつの質問で傷ついた。彼の目論見が外れたのは、私の自尊心が傷ついたわけではなく、私の心そのものが傷ついてしまったことだ。

本当は、答えたくなんてなかった。
鼻で笑ってしまいたかった。
傷ついていることも認めたくなんてなかった。

でも、私は、彼の中の間違った私像をぶち壊してやる義務を、私自身に対して負っている私の強さを毒親からだけでなく、彼からも奪われてはならないのだ

だから、努めて冷静に、客観的に事実を伝えなくちゃいけない。

大学時代は親も不在で4年間、一人で暮らしていた。親が戻ってきた後も、学費と生活費を稼ぐために働きながら家事も全部していた。父のワイシャツにアイロンをかけ、シワがあればグシャグシャに丸めて籠に戻された。食器が汚れていると洗った食器を全て流しに突っ込まれたこともある。家族が寝静まった深夜に食器を洗い直した。
博士課程になって学費軽減や休学ができるようになっても、本にお金がかかり、恋愛もすれば時間もお金もいっそうかかって就職する道を選んだ。冒頭の記事だとこうした状況を「普通に考えておかしい」「大袈裟」「眉唾」だと言う人もいるけれど、普通じゃないからDVやハラスメントなわけで、誰かが加害者を止めない限り、際限なんてない。

「お前みたいなやつは一人で生きられない」
「都内で人間らしい生活を続けたいなら、大企業の正社員じゃなきゃ無理。せめて正社員と結婚できなきゃ無理」
「お前なんか一人で生きていけない」
「実家にいるから好きなことして死なずに済んでる。生かしてくれてる家族に感謝して、もっと家事を丁寧にやれ」

毎日呪いのようにそう言われ続けてきた。
本当に苦しくて、限界を感じる度に家賃が安いアパートや大学寮を調べもした。でも分離不安で留守中は吠える犬、病気の母、家にいない父の中で、誰が犬の世話と家のことができるだろう?と諦めた。成人した子どもにも叫んで物で殴りつけながら、子どもを呪い続ける母親に半分同情もしていた。逃げる道なんてないと思っていた。

まあ、自分でもよくもまあ頑張れたと思いますよね。
今の私なら無理。そんな理不尽さ、跳ね返すしかない。「バカたれ、じゃあお前が全部やれ」に尽きる。生きるために家族の愛は必須じゃない。いい年した大人が揃って何を甘えてるんや。やれ、自分のことは自分で。


何年も前のことだ。今はしがらみをきって心も強くなった。笑ったり怒ったり、親の毒は毒を持って制し、今ではついに親も丸くなった。逃げられなかった私は私なりに頑張ってきた。偉いぞ自分。

けれど、私は彼の何気ない問いに、ボロボロと涙をこぼして答えた。
冷静に言葉を選びながら、涙で喉に引っかかる言葉は辿々しく、自分でも弱々しい様子に悔しくて堪らなかった。

「わかっていたはずだよね。どうしてこの質問をしたの?」
「ごめん。でも、君の親の話を聞いてると矛盾が多い。家に縛りつけながら、早く家から出ていけと言ったり。僕も混乱しちゃう」
「毒親って知ってる?」
「どく…?知らない」
「説明は省く。自分で調べて。あなたのご両親のように、成熟した親を持つ子どもなら経験したことはないことを、私はいっぱい経験してきた。ほとんど話してないし伝えるつもりもない。でも、これだけは言うよ。子どもを支配し依存したがる親のいる家庭は矛盾であふれてる。だから苦しんでいたんだよ。“ダブルバインド”ならわかるでしょ?」
「あ……」

彼はようやく気づいて、口をつぐんだ。
私だけの経験ではあるけれど、毒親の苦しみは私だけのものじゃない。この世にごまんと存在してる。心理学用語や客観的な言葉にして初めて、彼は私を理解しようと思えるようだった。

”お前のことは信用しないぞ”という態度で傷つけることで、自分を守ったり勝ち誇ることで私を制することができるとでも思っているんだろうか?私を見下したら、私を組み伏したら、何を得られるんだろう?その偽物の自尊心を愛の担保にしようとでも思っているのなら、間違っている。

とまでは言わなかったけれど、彼はすぐにその考えに至ったようだった。

「私もね、本当は大学入学と同時に家を出られたはずだったよ。高校の先生に推薦を受けて海外の大学に合格した。受験監督にも楽しみにしてると声をかけてもらった。でも、留年した兄が海外の大学へ行き、私は『女の子は手元に置いておくべきだから』と親に許してもらえなかった。
18歳の当時の私は、学費の高い大学と物価の高い土地で親からの援助もなく勉強できると思えなかった。あなたの国では、大学は無料で、生活費は親からの援助があったでしょう?18歳だったあなたの偉大な決断を、18歳だった私がくだせなかったのは、私が弱かったからでも努力不足だったからでもない。
『諦めなきゃ生きていけない』と思わざるを得ない判断材料しかなかったからだよ」

彼は「自分を恥じている、ごめん」と素直に謝罪した。

やっぱり、私は彼にそんなことを知られることも、それを伝えなければいけないことも、悲しくて辛くて苦しかった。最後に理解を示されたところで、私は救われないのだ、決して。過去は変わらないし、彼が私をバカにするために安易に土足で踏み込んだことについても、私の中で悲しみが広がっていくばかりだ。

たとえ親に非があったとしても、時間が経過しても、私は惨めさに苛む。どれほど過去の私を救いたくても、今の私を救うことしかできない。そうやって救い続けながら前を向いて、元気に生きていても、何度だって不意打ちに顔面を殴られる。

考えなしの言葉に、
悪気のない一言に、
私は自分でも気づかないほど傷を抉られる。

その度に、知ったふりをして安易に小突いてきたあげく、自主的に理解しようと努力もしない人が「こういうこともあるんだ」と思える程度に、自分の苦しみをオブラートで包んで説明しなくちゃいけない。
傷は塞がっても何度でも爪をたてられ抉られて、何度も何度も自分で唾をつけて治そうと苦心している。

私たちが唾をつけているのは、眉毛なんかじゃない。
他人につけられる傷にだ。第三者の優越感のためにこじ開けられる傷にだ。

想像できない人に私を救うことはできない。
だから、私はそんな人たちに救いの手を求めない。


2.嘘と信じたい出来事も人間もこの世には存在する

私は、悲しい出来事も辛く苦しい胸の内も、自分たちを正当化するために語るわけじゃない。信じてもらいたくて口にするわけでもないのだ。勇気を出してまで言葉にするとき。それはSOSのために手を伸ばしたり、自分や同じ経験のあった人の手を握りしめたり、生きるための行為だ。

自分に経験がなく想像を絶する出来事が現実なんだと知ったとき、多くの人は言葉を失うのだと思う。かける言葉もなく、遠い場所で泣いている人に届ける力もない、その無力感に苛まれる。

本当は、手をとって抱き寄せて毛布で包んであげればいい。背中を撫で、安心させてあげられたらいい。非難すべきものを非難し、守れる術や道を見つけられたらいい。でもなぜだか、それができない人たちは多い。自分に救う力がないその無力さを認めたくなくて「大袈裟」「嘘」と鼻でわらって自分を守ろうとする。

傷ついた人を前に、自尊心を守ろうとする人は「自分が信じたくないもの」として突き放すのかもしれない。


小さい頃から叩かれて蹴られて、泣き叫べば一層叩かれた。「第三者に知られてはいけない」被害者である子どもは、そんな暗黙のルールに従って、何をされても無意識に親を守っていた。

服を全てをはぎ取られて髪を持って引きずられながら外に追い出される。
文字通り、そのままだ。服を着ていれば首に赤い痕が残り、裸なら後でボサボサの頭から抜け毛を掴み取ってはぼんやりとそれを見下ろすことになる。

風呂場で浴槽に頭を押さえつけられている兄の気配に、震えながら嫌な汗をかいて寝たフリを続けていた子ども時代。兄からの性被害に抵抗しながら、親の前では仲の良い兄妹でい続けることを成人してからも続けていた。

嘘だったらいいよね。
大袈裟な話だったらいい。
妄想だったら安堵するよ。

家族という閉じ込められたブラックボックスの中で起きていたこと。悲しいけれど、ブラックボックスで起こる暴力はこの世にきっとごまんとある。不思議なほど、「男女関係」は利権争いのごとく利害をめぐるパワーバランスだと考え、女を「大袈裟ママ」「被害妄想のメンヘラ」「平気で嘘をつく」と言ってしまう男と女がいる。

そんな人たちの言葉を称賛する人たちもごまんといる。
想像力の欠片もなく無知からの発言なのに、自分のほうが当事者よりも”正しい”と考える奢った人たちの言葉は、勇気を出して声を出した、助けを求めた人たちを打ちのめそうとする。

間に受けなくていい。

バカには「バカ」と、何も知らないのに大袈裟・嘘と決めつけるbullshitには「クソ食らえ」と親指を下げてやればいいと思う。

そのバカやbullshit発言者は、社会的に高い地位にいる人、影響力をもつ人、あるいは何の力もないけど愛している人や信頼している人かもしれない。

でも、そんなのは関係ないのだ。
偉かろうが影響力があろうが、愛して信頼していようが、バカには「バカ」と「クソ食らえ」と言ってやろう。目を覚ませ、この大馬鹿者!と。


3.言葉は誰のためにあるのか?

幡野広志さんの削除された記事とcakesの対応などを見ていて「note辞めようかな」と、数日考えていた。「言葉は誰に向けられたものなのか」を考えたとき、他人の苦しみを食い物にしていると思うとゾッとした。

苦しいこと、辛いこと、悲しいこと。
傷ついたこと。

そういったものを私が隠していれば、人生はもっと「普通」だっただろうと思う。あの時、私が黙っていれば関係は拗れなかったと思い返すことは多くある。

私が言葉にしなければ、何事もなかったように隠蔽できる。
それができれば、私は今でも両親にとって「素直で気立ての良い娘」であっただろうし、兄にとって「可愛くて仲良しの妹」のままだった。権力のある上司にとっては「オンもオフもケアしてくれそうな、傍に置いときたい部下」として出世もしていたかもしれない。私が「従順で求められるものを全て受け入れる女」だったら今頃は誰かの妻や母になっていただろうし、「温厚で優しく母性を感じさせる女」だったら、苦心することもなく彼はシンプルに私を愛してると言えるだろう。

まるで私が私を不幸にしているようだ。母が昔、私にかけた言葉と同じように「黙っている」ことのifは呪いそのものだと思う。

本当にそうだろうか?

黙っていれば、今でも私はDVを受けていただろう。
黙っていれば、今でも兄は機会があれば私に触れようとしただろう。
黙っていれば、上司の愛人にされ、上司の妻に訴えられていたかもしれない。
黙っていれば、きっと私は望まない生き方をしていたかもしれない。
黙っていれば、私は彼との恋を終わりにして逃げていただろう。

私一人が苦しんで、私以外の人たちが快適に過ごせる。
それは学生時代に家に縛られ、限界を感じながら生きていた私の生き方だ。それを許せる人間たちの資質を問い質す。一人で苦しむ人のほうを問い質し、その弱さをバカにすることがどれほど残酷で無知で恥ずべきことかは、言葉にしないと当人はわからない。

だから。
そう思う人たちが声をあげてくれたから、「女は平気で嘘をつく」への不信感や間違いを認識する人は増えたし、DVに苦しむ女性を嘘つき呼ばわりする残酷な記事に謝罪文がつき、あらためてDVやそれをめぐる言葉のあり方を考える機会を得た人たちも多くいたと思う。

人間は間違える生き物だ。
どんなに体や頭を鍛えても、間違えるものは間違える。
その度に立ち止まって自分と向き合うために言葉はあるのだと思う。

誤りにNOと言える言葉は、巡り巡って見知らぬ他者を助ける力になっている。だから、私は言葉を奪う「可愛げ」で愛されるよりも、言葉を尽くして誰かを愛する人間になりたい。


noteを辞めて、別の場所に移るかどうかはまだ考え中だ。
今は、noteに綴った私の軌跡から一歩先に進んだ足跡をつけている。
その先の道は見えていないけれど、でも場所が変わっても紡ぐ相手が変わっても、私は私の言葉を紡ぎたい。

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