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自分のペースで生きればいい。

今日、兄に子どもが生まれた。
姪なのか甥なのかは知らない。

私の両親にとっては待ちに待った初孫だ。結束のかたい我が親族の一門に新たな同志が誕生した瞬間でもある。

「おめでとう」
「おめでとうございます」
「よかったね」
「いいパパになってね」

本来の私だったら病院で立ち会ったかもしれない。24歳まで兄とは親しかったし、きっと兄嫁とも仲良くなれていたと思う。自分のことのように喜んで祝福の言葉に笑顔で感謝しただろう。

現実には、そうした言葉は呪詛のように私を蝕んでいる。

私の両親は感情的なタイプで夫婦という「男女」関係を子どもの前でも包み隠すことはなかったし、子育ても愛憎を込めた。愛ある暴力の結果、物心ついた時から兄は妹に性的悪戯を行なっていた。

そしてなんと紆余曲折ありながらも20代半ばまで続いたのである!
詳細は別のページに書くとして、妹は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の兄を除かなければならぬと決意した。妹には家族がわからぬ。妹は、人である。笛を吹き、本と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

海外輸入品のあやしい薬も1年にわたって盛られ続け、あげくの果てに夜這いに持ち込まれた道具に、妹は発狂し叫びながら男を蹴り飛ばし、道具を壁に投げつけた。

プラスチックが砕け散る音とともに「そこそこ幸せな家族」は崩壊したのだった。(実際のところ、道具のほうはさほど壊れませんでした)


「me too」運動などなかった時のことだ。
“おしとやかで優しい、少しとぼけた妹”として愛されてきたアイデンティティは粉砕した。親の支援のもと兄は家を去った。

「あんたの勝ちね。これで満足? あんたのせいで息子を失った」

母からのビンタよりも殺傷能力の高い言葉を見舞い、私の視界から色彩が消えた。不眠で食事も喉を通らない状態だったので単純にビタミン不足の可能性もあるが、数年間、私はモノクロの世界で生きていた。

色がよくわからないから喪服のように黒い服を着て自分を弔う。ブラックボックスになっている家の事情を知らない世間様のために笑顔を顔に貼り付け、社会生活を送る花の20代。

ご心配なく。4年後、妹はある出会いを経て色彩溢れる世界を取り戻し、起死回生を遂げます。
その間、夜這い事件当時に交際していた女性と兄は結婚。そして今日、第一子がこの世に産声をあげたのでした。

* * * * *

人間は基本的に面倒くさい生き物だ。
社会では合理的・効率的に考え動くことを求められる。けれど、現実は不合理に満ち溢れていて効率的になんて考えることも動くこともできない。

エスカレーターのように何の苦もなく前に進める人もいれば、そうでない人もいる。きっとこの世にはいっぱいいるはずなんだ。人には言えない苦しみを自分にも隠して、前を向いて一生懸命にお日様を見上げて前へ進もうと頑張っている人たちが。


私にとって「おめでとう」と心から言える瞬間があるとしたら。それは、兄が地獄の業火に落ち、塵となって消えゆく様子を静かに見届ける瞬間なのだ。私の安寧はそうしてやっと訪れると未だにかたく信じている。そのことから抜け出せない。

お正月の初詣。
除夜の鐘を聴いて参列。もらった甘酒を両手に包みながら、愛する人の隣で、穢れを祓うように燃やされ、灰となっていくものを眺める穏やかさ。
それと同じだ。

私は人を呪う自分に苦しんでいる。
涙が止まらないけれど、願わずにはいられないのだ。

私から家族を奪った人、私から私を奪った人がこの世から消失することを。
何年経とうが生々しく全ては記憶され、痛みも悲しみも癒えることなどない。進んだつもりでもあっという間に時は戻され、「24歳の私」に戻っている。心も体も引き裂かれた当時に、30代になったはずの私は戻ってしまうのだ。


それでも。
泣いていても、ビール片手に罵詈雑言を並べ立てていても、だ。

今は、頭の中で自分の声が響き渡る。
「それでも、自分の人生を生きるんだ」と。
誰に惑わされることなく、自分自身にすら惑わされずに己の人生を生きていくんだと。


私の体の中には“猛毒”が流れている。

「メンタル弱すぎ」
「成長しろ」
「強くなれ」

そう言われ頑張れば頑張るほど、体内の猛毒で心身は弱るのだ。もがけばもがくほど、がんじがらめになるように。だから言ってやればいい。

うるせえ!!!!!!!!!!!

それなりに仕事を覚えてゼロからお金を生み出すことを覚えた30代、なめんなよ!微々たる額でも貯金もあるんだぞ!健康意識だって高いんだぞ!金ないのに遺伝病のために保険にだって加入してんだからな!

ひとりで生きていくために狡賢さだって身につけたのだ。
体の中に流れる猛毒は自分の命さえ奪いかねないほど危険なものだ。家族から受けた「支配」と「暴力」は私の”文化”として定着していたからこそ、愛する人を傷つける毒素にもなる。

8年前の私には想像できなかったこと。
私は他人を愛せるようになった。受け入れられるようになった。

今の私には想像できないこと。
結婚し、子どもを産むこと。暴力と無縁の家族を持つこと。

8年後の私は、笑顔で答えをくれるだろうか?
それは40代になったらまた考えればいい。今は、今できること、その一歩一歩を大切にすればいいと思う。

いつかきっと、その一歩が私を救ってくれると信じて。
今日も生き延びている私に乾杯。

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