遠い国から8/9
皆さんこんにちは。前回の投稿からほぼ2年が経ちました。
何でもかんでも中途半端に終わらす私ですので、有り得る話です。
でも書きたいとはずっと思ってて、最近重い腰がようやく上がったので続きかきます。
この日は僕の巡礼の中でかなり大切な日となってます。巡礼だけじゃなくて、今まで生きてきた人生の中で大切って言っても過言では無いので書くのに少し気合いが必要だったんですね。
という言い訳を前置きとします。
出発前に
巡礼は基本的に荷物をたくさん持てないので
服は着回すためにすぐに干すんですよ。
皆さん覚えてるかわかりませんが、巡礼中盤のメセタでは太陽ギラギラ乾燥ワールドだったのですぐ洗濯物が乾いたんですが、少しずつ湿気が増えてきたのでだんだん乾きにくくなってきてたんですよ。
しかも山の天気は変わりやすいですよね。
朝に突然雨が降ったりするんです。
つまり何が言いたいかというと、
朝起きたら雨が降ってて干してた洗濯物が濡れてました〜〜〜。
まぁTシャツは換えがあるのでまだ良いですが、問題はズボンですよ。
歩く用の長ズボンはひとつしか持ってないので急いで取り込んで出発ギリギリまで宿にあったドライヤーで乾かしました。
まぁまだちょっとしめってて気持ち悪かったですが、これから傘もささずに歩くのでどうせ濡れます。
というわけで出発です。
こんな感じでリュックにレインカバーを被せ、カッパを被りながら歩きます。
僕はジャケットが撥水性があるやつなのでそのままフードを被るだけです。
正直それで事足りますが、カッパは持っておいた方が便利ですよ。と、もし行きたくなった人のために伝えておきます。
またしても霧の中を進みます。
結構濃いめなんですよこの霧。
先の方歩いてる人見えなくなるくらい。
昨日も山登りの日だったんですけど、今日はさらに山の中を進んでいくって感じの日でしたね。
しかも見てわかるの思うんですけど道があんまり良くない。
でもこの日の僕は、歩きの対策をしていたらしいのでそれほど痛まなかったそうです。
何してたかは忘れました。覚えてるのは日記を書いてる時の自分だけ。
タオルか何かで足首をギチギチに固めてたのは覚えてますね。それ以外は覚えておらぬ。
鉄の十字架
4kmほど歩くと巨大な十字架が見えてきました。
どうやらここは巡礼路の中でも重要なスポットらしいです。
というわけで撮影大会が始まります。
ここは巡礼者の願いを込めた石を巡礼者の出身地から持参し、この場所に置くという風習(?)があるようです。
なのでこの丘の石一つ一つに文字やらイラストやらが書き込まれています。南京錠とかもあった気がする。
一体どれだけの人が願いを捧げてきたんでしょうね。
はるばる東の果て日本から来た僕はと言うと、
なぁ〜〜んも持ってきてませんでした。
というかその話自体初耳なんですよね。
まぁ調べとけよって話なんですけど。
今思えば、自分はここまで来たんだぞっていう足跡を残せるいい機会だったので勿体ないですね。
まぁこういう事もある。
それはそれでいい思い出。
この場所は先史時代には祭壇として、ローマ時代には歩く人と商業を司る守護神マーキュリーを祀る丘として大切な場所だったらしいです。
そんな大切な場所がキリスト教の巡礼地となって今でも受け継がれているんですね。
人間ってしぶとい。
先にいた団体さんの写真を撮ってあげて
僕達の番ですね。
みんなでこの十字架を囲んで手を握ります。
そして何やらスペイン語の言葉。
目を瞑って祈りを捧げます。
って誰に?
だいたいこういう時僕の頭ん中空っぽなんですよね。
神社でお祈りする時とか
墓前の前で手を合わせる時とか
頭の中に言葉が出てこないんですよ。
まぁ無理矢理呟くようにして浮かべてるんですけど。
他のみんなはどんなこと祈ってたんでしょうね。
僕は多分膝が悪化しませんようにとか祈ってたんじゃないでしょうか。
これは何やら相談しているアンドレアとハヴィ
と、インスタ用に俺に写真を頼んだホセアンヘの写真。
1枚目めっちゃ良くないですか?
ふとした瞬間を切り抜けたと思ってます。
あとホセアンヘの笑顔も地味にすき。
曇り空から一変
やはり山の天気は変わりやすいんですね。
さっきまで曇り空と雨の中を歩いていたのに気がついたら晴れてました。
いやぁ気持ちいい空に変わりましたね。
この辺まで来ると山登りってよりもハイキングですかね。
風が冷たくてほんとに気持ちいいんですよ。
歩いてるだけで気分が良くなってきます。
雨の中歩いてると、試練って感じがしてそれはそれで良いんですけど
やっぱり晴れてるのが1番ですね。
日差しもそんなに強くなくて、湿度も少し落ち着いてきたので、ほんとに最高です。
こんな景色の中を進んでいきます。
途中植物パワーが強すぎて道が隠されかけてる場所もあったりするんですが、そこはフィジカルでこじ開けて進みます。2枚目みたいなところね。
果てしないように見えますが、歩いてるとちゃんと進んでるんですよ。(??)
歩くと進むって当たり前なんですけど、距離がでかくなればでかくなるほどその感覚って鈍るじゃないですか。
歩いてて進んでる気がしないんだけどちゃんと進んでる。
的なことを言いたいわけですね。
これは長い距離歩いたり走ったことある人ならわかってくれるかなと。
鐘で導いて
なんか沢山国旗がついてる不思議な建物が見えてきました。どうやらここは元廃村のManjarín(マンハリン)というところで、この建物はアルベルゲ(巡礼者用宿泊施設)らしい。今この村に住むのはオスピタレオ(宿主)のトマスという人だけのみらしいです。時々このトマスという人が鐘を鳴らして巡礼者を導いてくれるらしいです。
私がここに着いた時は霧も晴れてたので視界が良かったですが、スタート時のような天気だと前も見えませんからね。鐘の音はほんとに頼りになる道標となることでしょう。
そんなこんなでここに寄ってみましょう。
ここには猫ちゃんがいたのですが、人になれててなかなかかわいかったです。何匹かいて、その中の1匹はお腹が大きくなってました。
外に出てみるとシワシワの大きな犬が。
こちらも大人しくてかわいい。
さてあんまり長くも留まっていられないので出発しましょう。
高原の中を
今日歩いているのは山の頂上あたりでしょうか。今日目指す街はPonferrada(ポンフェラーダ)ここから1000mほど下った場所にある街です。
気持ちいい高原の中を歩いていきましょう。
写真の道、だいぶ狭いでしょう。
ここに自転車が来ると結構端に寄らなきゃいけないんです。
この巡礼路は自転車でもOKなので、結構な数の自転車巡礼者がいます。 歩きの人はどうやっても自転車の人よりも遅いので端によって先に行かせてあげなければなりません。
しかし背後から自転車が来ていてもなかなか分からないもの。なのでみんな自転車の接近に気がついたら「ビースィー!!」と叫んで前の人に伝えてあげます。
恐らくこれはスペイン語で自転車を意味するBicicleta(ビシクレタ)の最初の部分を叫んでいたんだと思います。日本で言うと、「チャリーーー!!!!」って叫んでたようなもんですね。多分。
遠くの方に街が見えてきました。おそらくあの距離は今日の目的地であるPonferrada(ポンフェラーダ)でしょう。多分。例によって例に漏れず、街は見えてからが長い、まだまだ街には着きません。
というかこの時、下ってる感じあんましなかったんですけど、結構下ってますね。下りは膝が痛くなるもんですが、日記の中の私はあんまり膝の痛さを訴えてないので天気と空気とアドレナリンが助けてくれたのでしょう。
歩き始めて3時間以上はたったかと思います。
この街で休憩といきましょう。
やはり朝なのでまだ人の気配はしませんね。
写真は残されてませんでしたが、大通りにあったバルに立ち寄った記憶があります。
少し休んでまた出発。私はあまり休憩が長くできない性分なので、他のみんなより早く出発しましたね。
次の町までは約3.7km1時間もあれば着く距離ですね。
特に変わった出来事はなかったようなので、それまでの道を写真でダイジェスト的に紹介します。
というわけで次の街に着きました。
この街は休憩したりした訳では無いんですが、村のなかの様子が結構雰囲気良くて記憶に残ってます。
さて、こうして街を通り抜けていくと可愛い看板を見つけました。
このタイプの看板は初めて見ましたね。
なんだかレトロで可愛い雰囲気。持って帰れるもんならって帰りたい。
次の街までは約4.7km。
このまま降り続けて緩やかな坂を下っていくという感じです。
この辺は1人で黙々と歩いていたので特に面白いこともありませんでした。とにかく景色が綺麗で空気が良い。その中を歩けるだけでかなり良いことなのかもしれない。
次の町に到着しそうですね。
ここは特に大きな見どころもなくサッと通り過ぎた気がします。でも教会には立ち寄ったかな。たしか。
街の中を通り抜けるように巡礼路が伸び出ますね。確かにこんな雰囲気だった。もはや二年も昔なので記憶が薄い。写真と日記が当時の記憶を呼び戻してくれます。
私はいつものメンバーより早く歩いていたのでここで今日泊まるはずの宿の確認メールを送ります。というより送っていたようです。
Google翻訳にその痕跡がありました。
そして送られて来たのはこの写真と宿の名前のメッセージ。
読み取って地図アプリに入力して向かいます。
どうやら巡礼者専用のアプリがあったようなんですが、私は全く使ってませんでした。ガイドブックも重いのでもってなかったです。完全に他力本願になりつつある。
私は見つけてないのですが、スペイン人の仲間が見つけてくれたものです。せっかくなのでこの目で見たかったのですが残念ですね。
スペインに来てからほとんど漢字を見てないのできっと嬉しかったことでしょう。
さてあとは今日の目的地までどんどん歩くだけ。
今いる街から約8kmくらいです。
うーん多分14:40にアルベルゲについたと日記の中の私は言ってるのでここから2時間半は歩き続けたんじゃないでしょうか。
いつもより到着が遅めですね。しかし次の町は結構大きい街。おそらくアルベルゲも大きいはずなのでベッドの心配はいらないでしょう。
というわけで今日泊まる街に到着です。
しれっと書いてますが。ここまでそれなりの距離ありますね。27~8kmはあったと思います。
疲れは溜まっているはずですね。
宿に着くと、いつものグループでは2番目の到着。なかなか早いですね。怪我をしてるのでみんなより早く到着するのは久々かもしれません。
宿にチェックインする時、2人組の女性とほぼ同時にチェックイン場所に着きました。
彼女たちは私より疲れている様子だったので、順番を譲ったのですが、その様子を見たオスピタレオ(宿主)にすごく褒められました。
ふふふ。褒められるのは好きですよ。だって嬉しいからね。こんな順番譲るだけでいい気分になるならいくらでも譲りますよ。
ふとアルベルゲの横を見ると馬が……
しかも何か引いてないか?馬車??
気になるので後で見に行ってみよう。とりあえずお昼ご飯なのか夕飯なのか曖昧な時間にみんなでレストランに向かいます。
歌うたえ
さてご飯を食べに来ました。今日食べたのはこんなもの。
食事の味に関しては正直かなり記憶薄いですね。
なんかあんまり口に合わなかった記憶あります。
そんなことよりも、飯を食べ終わったらみんなでいつもの様に盛り上がってるのですが、今日は私の出身国、日本に焦点が当たりました。
なにか知ってる曲を歌ってみてくれとの事。
え?歌ですか。歌は〜〜〜。嫌いなんですよ。
下手くそだから。だからカラオケも嫌いなぐらいなのに異国の地でなんでもいいから歌えと。
正直かなりあせりましたが、既にワインを1杯飲んでたのでドラえもんのうたを歌いました。恥ずかしかった。まじで恥ずかしかった。
でも案外みんなノリノリで助かった。
その後スペイン語バージョンで大合唱してくれました。動画はあるんですが載せるのめんどくさいので載せません。
あとこの後何故か君が代も歌ったそうです。
なんでやねん。国家を歌う流れだったんだろうか。
買い物そしてATM
日用品を買い足しにスーパーへ向かう私。
日本ではまず見かけないスペースがありますね。
これ全部生ハムみたいですね。
値段が違うのはおそらく種類や熟成方法が違うんでしょうか。こんど行った時はこういうところね買い物してみたいですね。
買い物が終わったら現金をおろしに行きます。
カードも使えるところ多いですが、やはり何かあった時のために現金で基本支払いしてました。
ATMでおろすわけですが、手数料やらレートやらで日本円と実際出てくるユーロとの差に結構差が着いたりしてしまうんですね。
レートは仕方ないとして、手数料は安く済ませたい。学生の私にとって1000円違えばそれはもう大打撃です。
必死に調べて何とか安いATMを見つけました。
現金で500€おろします。この時のレートは日本円だと59000円でした。
銀行アプリで出金額を確認すると、何と61000円と記されています。
え????私の2000円はどこへ??
そう、結局2000円も手数料取られちゃったんですね。これはほんとに悔しかった。まあまあ調べましたからね。そりゃ悔しいですわ。
まあ1回かかっちまったもんはしょうがないので
大人しく宿に帰ります。
ミサに出よう
今日のミサは、スペイン軍団のリーダー、聖職者であるラファが執り行ってましたね。
いつも通り進行して行くミサ。当然私は何言ってるか分からないので空気感だけ感じます。何となく後ろの席に座りがちですね。まぁ何となく1歩引くというか、なんというか。
確かこのミサ中にふと、「あ、今日、長崎原爆の日だ」って思ったんですね。
そして何となくこのことをラファ(リーダー)に伝えてみようと思ったんですね。
なんでかと、聞かれると答えられないですね。
ほんとに何となく、今まで彼らと過ごしてきて、言ってみようかなっていう思いが湧いたんだと思います。
あと少し、知って欲しいという思いがあったのかも。なんか特に、原爆に対して強い思想があるわけじゃないんです。でも今まで学校で原爆被害のことを勉強したり、長崎に修学旅行行ったみたりして、そういう積み重ねでふと思ったのかもしれないです。
まぁ、これを伝えるのは夜ご飯のときでいいやと思ったので、馬見に行きましょう、馬。
馬車で巡礼
さーて、さっき見つけた馬車を見に行きましょう。
さっき見つけた時はまだ、馬車と馬が連結してる状況でしたけど今は馬がフリーになってますね。
うーんかわいい。
実はこの巡礼は馬車でもOKなのです。
しかし初めて見ました。馬車自体を初めて見ましたよ。おそらく我々が歩いてきたような細い山道は使えないはずなので車道を走ってたのだろうか。
フラフラと近寄っていく私に馬車の人達が話しかけてくれた。せっかくなので少しお話を聞いてみよう。
どうやらアルベルゲの中の施設は使わずにこの馬車とテントを張ってそこで寝るらしい。なかなかワイルドですね。キャンプみたいで楽しそうだ。
この写真撮った時間20:55ってなってるんですが、明るすぎやしませんかね。もう9時になるど。
確かに緯度は東京よりも高いので有り得る話ですね。
そろそろ宿に戻る時間なので、馬たちにサヨナラします。馬車主もいい人たちでよかった。
ヒロシマ・ナガサキへ
宿に戻るとみんなが軽い夕食を取ってたので混ぜてもらった。
そういえばさっきミサで思いついたことを、ラファに相談してみよう。
正直かなりドキドキしていた。だって言ってしまえば彼らにとっては初耳のことかもしれないし、正直関係の無いこと。それを東の果てから来た坊ちゃんに言われてもなんのこっちゃとなるかもしれない。
とりあえずラファに、今日は長崎に原爆が落ちてたくさんの人が死んだ日なんだと伝えてみる。
そうすると食事を終えたあと、ラファがみんなを集めて祈りを行ってくれた。なんと言えばいい?と聞かれたのでGoogle翻訳を使って、
みたいな文章を書いて渡しました。正直なんて言えばいい?って聞かれると思ってなかったので、その場で考えました。なんかもっと簡単に決まりの文句を言って、ではみんなで祈りましょうってなるかと思ってたのです。
ラファはこれをみんなに伝えて、集まった人達で手を繋ぎ、祈りを捧げてくれました。
この光景見てたら、実はめちゃくちゃ号泣しちゃったんですよね。号泣というか、喉の奥からジワァァっと広がって勝手に涙出ちゃったという感じです。
私は、国を愛してる!!日本万歳!っていうタイプではないんです。でも国籍も宗教も言葉も、文化も何もかも違う人達が、自分の国で起きた悲しいことに対して真剣に祈りを捧げてくれている姿を見たらほんとに勝手に泣いちゃったんですねー。
これは日本で同じことしてもらっても泣かなかったかもしれません。
日本とは遠く離れたスペインの土地で、意思疎通も上手くいかない人達に囲まれた中で、明確に私の母国の為に何か思いを強く感じてくれたということ自体に感動したのかもしれない。
いやどうだろう。わかんない。
感動して泣いたってことだけは事実。
何やら泣き始めた私を見てみんながハグしてくれた。正直恥ずかしかった。やべぇ泣いてるのバレたとも思った。
けどハグされたら、なんか、余計泣けてきた。
でも安心するしすご嬉しかったことは覚えてます。
そんでもってアンドレア(同い年イタリアボーイ)が私にGoogle翻訳の画面を見せてくれた。
なんて風に書いてあった。
うーん、その言葉にありがとう。って感じですね。
やはり色々あるけども、この人たちにくっ付いて巡礼を続けてきてよかったなと思える瞬間でした。
そんなこんなで泣くのも収まった頃、
祈りを捧げる様子を見ていたオスピタレオ(宿主)が折り鶴を持ってきて、「平和」という文字を入れて欲しいと言ってきました。どうやら3日前くらいに広島に原爆が落とされたことを知ったようで、それで折ってたみたい。他にも色々な言語で平和と書かれた鶴でいっぱいだった。
その時の写真はないんですが、たぶんじんわりキたんじゃないかと思います。もう、あまり思い出せないけどね。
正直今まで、平和学習とかで戦争や原爆について学びはするけど、何もできることはないなぁと思ってました。
けどこうやって遠く離れた場所で、悲しい出来事に祈りを捧げる機会を作れて本当に良かったんじゃないかとおもう。
日記にはこの後のことは記されていないので、いつも通りルーティンを、こなして眠りについたんだと思います。
1日を振り返って
これがiPhoneに残っていた記録ですね。
ガイドブックに載ってる距離よりも実際に歩いた距離の方が確実に多くなります。まぁ当たり前ですけどね。
この日は確か、ほとんど街の観光をしなかった気がします。というか寝ちゃったような気がしますね。
しかし、やはり34.7kmも歩いてるのか。今考えるととんでもないですね。
この街にはテンプル騎士団の砦、城があったのですが観光には行けませんでした。めちゃくちゃ悔しい。絶対スタンプあったはずなのに。というのも下調べなんてしてないのである事自体知らなかったんです。あとから仲間に言われて知りました。
少し見にくいですが、画像下の黄色ポイントから画像上の黄色ポイントまでが今日歩いた距離です。
山の中を街に向けてぐーっと降りてきたことが何となく分かりますね。
しかしこの日は道中の写真の量が他の日の2倍位はありました。余程、高原を歩く感じが気持ちよかったのでしょう。何枚も爽やかな山と空の写真がありました。正直何使うか迷いましたが、あんまり写真まみれにするのもなぁと思ったので頑張って選びましたよ。
ここから先、最後の難関オ・セブレイロ峠を超えなくてはなりません。
峠の頂上まで約50km。一日で歩ける距離では無いので、中間地点でひとまず泊まります。
記憶では、このポンフェラーダで観光できなかった悔しさの反動で、次の目的地で街歩きしまくってスタンプ押しまくった記憶があります。
なんかちょっと浅ましいですね。
2年振りに続きを書きましたが、やはり時間かかりますねこれ、書くのに3時間くらいかかってます。
しかしやはり最後まで終わらせたいので頑張って続けます。たぶん。頑張ります。
では、また次回、よろしくお願いします。
次回予告的写真
つづく
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