「大丈夫なんとかなるさ」 これは昔の私の口癖。 それは今末の弟の口癖になっている。 「なんとかなるんじゃなぁい(この間延びが必要)」 あいつが言うと本当になんともならない……気をつけろ。 そしてあんなに悩むのが苦手だった私にも悩むという思考回路が25歳くらいの時にできた。ちょっとした人間だ。 今はどちらかというと、 「なんとかするしかないでしょ?」(どんなに禿げるほど心配しても、結局はなるようにしかならないんだから余計な心配してる暇があったら最善とありとあらゆる手を尽くせ。
どうも続きます。17歳の私。リアルに1994年の2月に書いたものだ。何があっても許されるだろう。私がニュースで犯人として過去の文集を晒されるまでは。 今でも変な人と言われることが密かに好きです。変人です。友達が少なくても、虐められても。 虐められたらオンナノコ以外は殴りかえして女の子は殴っちゃいけないから(殴ると泣くから)ランドセルつかまれても、こづかれてもつねるくらいで反撃し。傘が盗まれて川に捨てられて(マジで後で知った)も無視されても関心が薄くて気が付かなかなくて友人が家
1994.2.20につくった私のエッセイがある。明日〇7歳の誕生日の私が17才だった時の本だ。それこそ高校の頃、選択美術で糸とじで堅表紙の本を作ろう!という授業で作成したものだ。 でも、その本は母曰く私の本質が詰まっているものらしく、初めて出会った人など自己紹介の代わりに貸し出していて今ではすっかり古びた表紙になっている。なぜなら、家族にさえ私は聞かれるまで会話の中で自分の話をほとんどしないからだ。 国語と美術以外赤点に近かった私のそんな稚拙な本の書き出しは今とさほど変わらな
しませんか、しますか。 長く生きていると、どちらかを選択しなくてはならない場面に何度も遭遇する。 ずっと一人なので、相談できるのは親を除けば自分だけだ。親とはいえ、配偶者と違って今回のケースのような問題には相談しづらいというか。決められない問題である。 自分的には大事な事だけど、他の人に話せば「そんなこと」であり「わたしもそう」と言われる程度の説明しづらいものだし、癌とかもっと大変な病気の人もいるので生死に関係しないけどだからって誰にでも言えるものでも無い。 大病でなくても月
気が付けば、2022年も残すところ7時間ちょっとなんて時間になってしまいました。放置していたnote更新したのでセーフ。(公開は年を超したので全然セーフなどではないよ) 今年をざっと振り返ると前半が死んでいる。覚書なので長いです。飽きたら最後まで読み飛ばして欲しい。 1月 昨年末は母が手術のために入院し、その後父の前立腺がんの放射線治療のために1月中旬から入院のため検査やら入院説明やらで、引き続き休日は病院業務。だからと言って、残業も早番も残り番も休日出勤もしてさ。実家