続・17歳の私。

どうも続きます。17歳の私。リアルに1994年の2月に書いたものだ。何があっても許されるだろう。私がニュースで犯人として過去の文集を晒されるまでは。
今でも変な人と言われることが密かに好きです。変人です。友達が少なくても、虐められても。
虐められたらオンナノコ以外は殴りかえして女の子は殴っちゃいけないから(殴ると泣くから)ランドセルつかまれても、こづかれてもつねるくらいで反撃し。傘が盗まれて川に捨てられて(マジで後で知った)も無視されても関心が薄くて気が付かなかなくて友人が家に捨てられていた泥だらけの傘を届けてくれる。そんな女でした。ライバルの男の子には爪の切り方まで研究して勝とうとしていました(今はともだち)。
身長は1.5倍なのに運動音痴だったのでクラスメイトが鬼ごっこしかしてない昼休みには円形の図書館の床に座って15度くらい進みながら時間いっぱい本を読むか、机でずっと自由帳に絵を描いたりしていました。鬼ごっことか体育の競争と本当に罵詈雑言しかないからね。
だが、私はやることかいっぱいで時間が足りなくて人に関心が薄い。なので自分のしたいことはやり続けた。それはずっと変わらないけど”自分以外の人に親切にしたいから自分の時間を割く”も変えていない。だからと言って親切にした人たちと仲良くなりたいとかは別。人見知りだし、嫌いな人でも困っていたら親切にはしなくてはいけないのだ隣人だから。
クラスの困った子と同じクラスにされて修学旅行でお世話させられたり慣れっこさ。大人になったらこんなの日常だったわ。
という訳で、17歳の私の話2話。

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「変な人」

私はよく「変な人だね」とか「変わった人ですね」とか言われる
。(初対面の人にさえ!!)
ここでギモンに思うのだが、「変な人」とか「普通の人」ってのは、どこらへんからラインが引かれているのかっっ誰がそんなの決めてんのさってことだ。そもそも「ふつうの人」なんているのか?もしもいるなら教えて欲しいものだわ。ぜひ一度会ってみたいね。
私にしてみれば、カレーにソースをかけるひとも、お魚が大好物だっていうひとも皆「変な人」なのだけど。逆に返せば、きっとカレーにソースをかけてる人や、お魚の好きな人にしてみれば、私の方が「変な人」なのだよね。

要するに、私が考えるには、その人個性というものが自分にとってすごくキョーレツたったりするとき「こいつは変だ!」っておもうんだろうと思う。私だって「あの人は変だ!」と思う人がいるもの。
そういう人を見つけるとすっごくうれしかったりする。かっこいい!!と思うの。だって自分には絶対できないことが、その人には当たり前にできちゃうんですよ?!思わずそういう人を私は尊敬しちゃう。
だから、「変な人」というのはもっと堂々としてていいのじゃないかとおもんですよ。
私は、人に大きな迷惑をかけいない限り、変なことはどんどんやっていいとおもうぞー!



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