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おとなのよろこび

クラスで班ごとに分かれ、劇などをする授業があり、授業参観でそれを発表する…というのがあった。
娘は元気に登校しているときに決めたものだから恥ずかしながらも主役を引き受けたらしい。

その後、行かない日々が始まり、練習や決め事は班の他の子たちが、娘がいるという感じで進めていてくれたみたい。ホントに申し訳ない限り…

授業参観ができなくなったので、録画で親御さんには見ていただく。という形になった。
 相変わらず娘は行き渋り。

先生はだんだん焦ってきていたんだろう。たまにくれる電話では色々と考えてくださってることがよくわかった。
なので、私もできるかぎり先生のその気持ちと、待っていてくれている同じ班の子らの気持ちに応えたいし、娘には応えてあげてほしかったので、少しずつゆっくり(たまにはガッツリ(笑))どうかな?どうかな?と打診していった。


最初はやる気があったものが、少しだけ嫌がるようになる。そして、だんだんと本気の嫌になっていく。

大人の気持ちは、最初は少しだけどうかな?というのが、だんだんと焦り+なぜやらない?とやるべきでしょ?とみんな待ってるよ?という責任の押し付けとなっていく。
 
↑こう、言葉にすればそりゃ嫌がるわ…と思うけど、その時の当事者になるとほんとにわからなくなる。


結局娘は録画の時間登校した。本当に本当に頑張っていったのだと思う。

行き渋りって、私はしたことないけど、当事者は相当キツイんだろうな…と上っ面で思っていた。

娘が録画の時間に登校する前日の夜、めちゃめちゃうなされていた。普通に喋ってる?というぐらいの声の大きさで。

うなされていた。

寝ながら苦しそうにうなされている9歳の女のコに誰がそれ以上頑張りなさい。と言えるだろう?
あなたの将来のためだから。
と、まだ見ぬ未来のためにもっと苦しめと言えるだろう…


録画を終えた日、担任の先生から電話を頂いた。先生はそれは嬉しそうに、しきりに私にお礼を言ってくれた。みんなで作り上げれた嬉しさが伝わってきた。
私もホッとした。
先生は自分の先生と言う仕事の、醍醐味をほんの少しだけ味わえたのかなとか思った。

お友達に迷惑かけずに済みほっとした。
先生の期待に応えられてホッとした…

でも、こころがキュッとしていた。


ん?…キュッとした気持ちを、深堀してくと、私はとんでもないことをしたのではないのかな…とゾワッとした。

大人が自分の役割を全うできた喜び…

うなされてた娘…

あれ…

私、間違えたなぁ。

後悔と情け無さと申し訳なさに押しつぶされそうになった。



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