「人間万事塞翁が馬」

part1
長女は勉強が好きな子である。
東大の建築学部で院を卒業すると、1年間、とある研究所に勤めたが、大学院時代に書いた論文が契機となって再び東大の門戸をたたき、ゲットーとユダヤ教の研究を始めた。
そしてある日唐突に
「お母さん、私、ベネツィアに行った後2年くらいイスラエルに行くことになった。」
相談ではない、宣言だった。
安全でない場所への留学はだめだと言い聞かせていたため、すべての準備を終えてからのまさしく宣言だった。
「行くんやったら、お母さんの首絞めてから行け!」

その日から、娘とは連絡もとらずにいた。

この長女、私を説得できないとみて、私の親友と、妹に仲介をお願いしていた。
イスラエル行きをこの親友と妹は私より先に知っていたのだ。

二人の言うことは同じだった。「娘は止めても行くんやろ。」「なら、行かしてやり。」

その通り、どんなに止めても曲げない子だということは私が一番よく知っている。
結局は親の惨敗だった。

飛行場で「何かあったら、お前を蹴っ飛ばしてやる。」と大きくなった長女を抱きしめた日を忘れることはない。

part2
イスラエルでの娘の生活はコロナのため、予定とはかなり違ったものになったようだ。
以前、短期間中国に行っていた時とは違って、通信が自由であったため、頻繁に連絡があり、心配は取り越し苦労だったかと思った矢先、「ガザからロケット弾。イスラエル対抗してミサイル攻撃」の一報が入った。
ニュースから目が離せなくなり、遠い地の空襲警報の音が耳から離れなくなった。

私は、娘の論文には目を通すが、イスラエル情勢に詳しいわけではない。
しかし、このとき、イスラエル軍の強さが娘の身を守っていると実感する。
と、同時にガザでは小さな子どもたちまでが犠牲になっていることも、以前よりずっとずっと身につまされた。
娘の命を守るイスラエルという国家と、監獄に閉じ込められ死んでいくガザの人たちの存在は私の中で渦巻いて、とうとう食事がとれなくなった。


いくら考えても、正しい答えなんて見つけられなかった。
「勉強なんてさせなければよかった。」ふとそんなことを思った。


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