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ぼちぼち人間

これはもしかしたら自分の置かれる環境が、今までよりずっと保護的で温かいものになったから言えることなのかもしれないけれど、人間はもっとヒトに戻ったほうがいいんじゃないかと思う。

この世界のはじまりは、(と言ってしまうと仰々しいが、とにかく)「造り出された星の環境や、そこで発生した生命」にこそあって、人間社会とはそれの一部を円滑に保護し、動かしていくためのシステムでしかない。つまり社会のために人があるのでなく、人のために社会があるので、
「金銭のために個人の尊厳や健康が犠牲になる」だとか「集団のためなら一人がどうなっても致し方ない」だとか「問題解決に重要なのは、他人のお気持ちよりまず金や物」みたいなことは、思っていたより合理的でも効率的でも適切でもないのかも知れない。
社会の中にいるのはヒト(生物学的な意)というよりは人間である。ただし、人間人間と言いながらも、そんなのは人類が勝手に作り出した自己像みたいなものだ。人のために社会がある以上、人間にしがみついてヒトから離れては、永年に渡って発展し続ける、命を繋ぎ続けることは無理なんじゃないだろうか。
(ここでの永年に渡って発展し続ける、命を繋ぎ続けるというのは、
人間社会をどんどん発展および繁栄させていく、という意味ではなく、
数百万年続いた人類の遺伝子を、別種にしろ同種亜種にしろ何らかの生き物の種として形に残す、という意味。)
「命を繋ぎ続けること」を否定してしまったら、この、生命の水で出来た、地球という星全てを否定することになるんじゃないか。それは生物として最も愚かなことではないだろうか。

ヒトも動物なんだよなあ。自分のこと人間だと思うからおかしくなるんだよ、個人レベルだってそうでしょ。
自分は自分でしかないのに、偏った自己イメージや曖昧な自他境界にしがみついていたらだんだんおかしくなるでしょ。今の時代は、その「だんだんおかしくなる」の最先端へ向かってどんどん加速している気がする。

まー、恐竜のほうがそういうの上手だったんじゃないすかねえ。頂点捕食者としてのバランスを保ちつつ、何千万年以上もそのトップを走り、絶滅後も後継種を遺す、みたいなの。
人間はもっと速いスパンで、色んな種を巻き込みながら、プチュっと滅んでいく気がしている。

まあそれより確実に早く私のほうが死ぬので…といいつつ、私が生きてるうちに核戦争が起きて、私が人類最後の生き残りになる可能性が、限りなく0に近くとも0ではないのが今世のえげつないところである。怖いね怖いね。でもヒトが頑張って人間やろうとするから戦争なんて起きるんだろうなあ。

だから、ほどほどに人間をやろうね。この星を否定したくないのであれば、ヒトであれ。
我々は人間である以前にヒトなんだよ。
今みんなが必死になって死に物狂いで人間をやろうとしている中でヒトであるのは難しいことだけれど、だからといって死に物狂いで人間をやるのはあんまり良くないことな気がしている。ほどほどに人間をやろう。

ぼちぼちでね。ぼちぼちでいこう。ぼちぼち人間。


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