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推しを亡くした過去を回想した話
BTS・ナムさんがインスタグラムに投稿していた、真っ黒な画像。
ホビちゃんが入隊する日の映像で、涙を拭っているナムさんの姿を見たばかりだったので、とても心配になり調べてみたら…。
私は「ASTRO」というグループも、ムンビンさんも知らなかったのですが、
ニュースを見て、気持ちが重くなりました。
関係者はもちろん、ファンの方々も、どれほど心を痛めていることか。
そしてふと思い出したのは、過去に推していたバンド「フジファブリック」のフロントマンである志村さんが亡くなった時のこと。
フジファブリックを追いかけていた当時、高校生だった私。
入学早々不登校になり退学したのち、通信制高校に入り直していました。
孤独な自宅勉強中心の日々で、キラキラした学生生活を送ることなく、友達もいなかった私にとって、フジファブリックの存在と音楽は生きる糧でした。
志村さんの生み出す曲も詞も、
音楽に対して誠実で、きれいな顔立ちをされているのに変態チックで、どことなく陰がある志村正彦という人そのものも大好きでした。
クリスマスイブのその日も、フジのファンアートを描こうと、いつも通りネットを開きました。
その時、志村さんが突然亡くなったという知らせを目にしました。
すぐには信じられませんでした。
色々なところで流れるニュースを見て、段々と「これは現実なんだ」と実感し、大泣きしました。
確か同じ年に祖父も亡くなっていたのですが、
志村さんが亡くなった時の方が、涙の量が多かった。
何て非情な孫なんだと思われるかもしれません。
でも私の中では、1年に1回会うか会わないかという祖父よりも、毎日歌声を聴いていた志村さんの存在の方が大きかったのだと思います。
そして徐々に落ち着きを取り戻した数日後、近所の川沿いを散歩しながら、悲しくなるので聴けていなかったフジファブリックの曲たちを、久しぶりに聴きました。
「あぁこの音楽があれば、私はどこまででも歩いていけるな」と、茜色の夕日を見ながら思ったことを覚えています。
推しの存在・推しとの関係性って、よくよく考えれば不思議ですよね。
私は志村さんのことを知っていても、志村さんは私のことを知らない。
「志村さんに会った」といえる経験は、たった1回だけ参加できたライブくらいでしたし。
それでも私にとっては「この人がいるから、私は生きていける」と思えるくらいの大切な存在。
推しがいなくなってしまう経験は、二度としたくありません。
でも2次元とは違って3次元の推しは、私と同じ生きている人間。
推しが今、この世に存在し生きているという尊い事実がある反面、
ある日突然いなくなってしまう可能性をゼロにできないという、目を背けたくなる事実がある。
だからこそ、BTSという新たな推しができた今、できるだけ悔いが残らないよう応援していきたい。
会える機会があれば、できるだけ会いに行きたい。
志村さんのことがあった時、勇気を出してライブにもっと行っておけば良かったと、どれだけ悔やんだことか。
チケットが取れなきゃ会いに行く権利も何もないんですがね…とほほですよ…。
あとこれを機に書きますと、
アンチの皆さん、アンチコメントをご本人やファンの目につくところに書き込まないで下さい。
好き嫌いは個人の自由なので、それに対しては何も言いませんが、
「嫌い」という感情を、わざわざぶつけてこないで下さい。
嫌いな感情を吐き出すくらいなら、好きな人やものに対して「好き!大好き!」という感情をぶつけて下さい。
その方がよっぽど健康的だし、アンチの皆さんにとってプラスになると思います。
まとまりのない文章になってしまった。
最後に。
部外者の私がしゃしゃり出て書くのはどうかと思いつつ、話題にあげてしまったので…。
ムンビンさんのご冥福をお祈りいたします。
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